ウミノアカリ | ナノ



78 戻ってきたんだ。
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いつもとは違う緊張感がそうさせたのか、今は亡き唐木先生の後押しなのか、本当のところはわからない。

第一楽章だけを弾いたその数分間、変な表現だが「興が乗った」としか言いようがない。

とにかく夢中で弾いた。

途中からは、ミシェルや教授の存在すらどうでもよくなるような、、、しばらくの間、こんな感覚はなかった気がして、弾き終わってからもしばらくはドキドキが止まらなかった。


音楽の余韻が全て消え去った部屋に、教授の椅子からキィという音が鳴り、我にかえる。

『さて、』

机の上にあったスケジュール帳らしきものを広げながら、教授がわたしに声をかけた。

『で、いつから来れる?』


*****


『C'est génial!ああ、もう大好きよ!愛!!』

教授の部屋を後にして、しばらく黙っていたミシェルが中庭に出たて途端に叫び出した。

まだなんだか信じられないような気持ちでいっぱいのわたしは、とてつもなく嬉しいはずなのに、素っ気ないそぶりをしてしまう。

『うん、でも、教授も"全然練習不足だから覚悟しておきなさい"って辛口評価だったし、、、』
『何言ってるのよ!練習不足なんて、単に練習すればいいだけじゃない!そうじゃないところがあるから、みてもらえることになったんでしょ!?』
『まあ、、、そう、なのかな?』
『わたしがあの教授にみてもらえるようになるために、どれだけのタイトルと準備を必要としたと思ってるの?あんな、あんな一回の演奏だけで、、、ううう』
『み、ミシェル?』
『でもいい!愛なら許す!!』

あ、そうだ。とりあえず、ヤマケンくんに先生が決まったって報告しなくちゃ。この幸運を、すぐにでも彼に伝えたい。

夏休み中いっぱいはこちらで粘るとして、9月にはいろいろ手続きをやっつけに日本に戻らないといけないな。

ああ、でも、

でも、その前にちょっとだけ。今は無性に楽器に触りたい。さっきの興奮の熱が冷めずに身体の中でくすぶっている。

「練習室空いてるかな、、、」
『ん?なんて??』
『ええと、練習がしたいんだけど、場所が』
『ああ、この時期は練習室いっぱいだよね。』
『うちのアパートメント、来る?』
『え?』
『ちょっと郊外だから、夕方までなら音出し放題だよ。あと、ついでと言っちゃなんだけど、今やってる曲を聴いて欲しいんだよね。解釈にちょっと迷ってて、、、』
『行く!行くよ!!聴きたい!!!』
『ほんと?じゃ、ロッカーの荷物取りに行ってからすぐ出よう!』
『うん!、、、あ、でも』
『ん?』
『ええと、ちょっと日本に連絡入れたいかな。メールだけさせて?』

「ふうん?」と少し不満そうな顔をしたミシェルが振り返る。

『あのね、愛。これからは日本のパパやママにいちいち報告なんてしてる余裕なんてなくなるからね。今までさぼってた分、覚悟してなさいよ。』

ニヤリと笑う、その自信に満ち溢れた綺麗な青い瞳に、ゾクゾクした。わくわくした。


音楽以外のことが、考えられなくなるような日々。

ああ、なんて魅力的な日々。
音楽の都に、わたしは帰ってきたんだ。
しかも今度は1人で、1人でだ。



それはつまり、「他の何かを手放さなくてはいけない」ということだなんて、久しぶりに自分の手元に戻ってきた、音に対する圧倒的な興奮に酔いしれていたわたしは気がつきもしなかった。


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