75 甘い赤
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日が沈んでからも気温は高く、湿度のせいで重たい空気がまとわりつく。
予備校の夏期講習ではそろそろ志望校決定へとリーチがかかった受験生が殺気立ち、週明けには成田サンがサマースクールのためにウィーンへ旅立ってしまうという、そんな夏休みのはじまり。
目の前では、浴衣姿の成田愛が唇を食紅で赤く染めながら、屋台で買ったリンゴ飴をカリカリと齧っていた。正直、かわいい。そして、ただでさえ小動物っぽい彼女が、さらに小動物っぽさを醸し出しているというのに、今日はそれに加えてなんだか妙な色気がある。キリリと着付けてある紺地の浴衣のせいか、祭り特有の雰囲気のせいか、はたまたいつもより遅い夜の時間帯のせいか。
「なんか、、、口赤くなってるけど。」 「え?ほんとに!?」
さっきまで必死で飴を齧っていた彼女が、少し赤く染まった唇からさらに赤い小さな舌をのぞかせて、ぺろりと唇をなめた。
「!?・・・・・。」
なんとなく見ちゃいけないものを見たような気になって、はっと目をそらしてしまった後、なんでオレがこんなにうろたえなければいけないのだ、と考えなおす。
あれだ。別に見てたっていいじゃねーか。 自分の彼女の顔を見るのに、何の遠慮がいるというのだ。
「ん?まだまだ赤い?変?変だよね?ちょっと待って!拭いてきます!!」 「や、そうじゃなくて。」 「え?まさか他にも何か重大な不備が!?」 「んー、、、不備。不備ねえ、、、」
オロオロと浴衣の前合わせやおはしょりを気にしだした成田サンを苦笑いで眺めながら、自分のどうしようもない煩悩を叩き出す。落ち着け、オレ。あれはオレの女だ。余裕あるとこ見せとけ。
「変じゃない。つか、すごい似合ってる、その浴衣。」 「え、、、ええっ!?」 「かわいいっつってんの。」 「か!? かわ、えぇ!?」
形勢逆転。成田サンが、唇どころか顔中を真っ赤にしてうろたえるのを見て、変な満足感を感じる。
どうかしてるわ、オレ。
そんなとき、空一面が花火に照らされ、少し遅れて大きな音が聞こえる。
ドーン!!
「わあ・・・」
一声、小さく歓声をあげてから、アホの子みたいに口を半開きにしたまま、成田サンが空を見上げて動かなくなる。オレが横にいるのも忘れてるんじゃねーの?ってくらいの集中の仕方に、舌打ちをしつつ、そっと肩を抱いて道の端に寄らせた。
そうそう。こういうとこあるよね、こいつ。 ま、別にいーんだけど。
さっき買ったラムネを飲みながら、彼女の黒目がちなその瞳の中にオレンジ色の火花が映るのを横目で眺める。
「ヤマケンくんは大丈夫だよ!」と、信じて疑わない彼女の気持ちを決して裏切らないように、という気合が知らぬ間に入ってるのかいないのか。とにかくいろんなことが上手くいっていた。
こないだの模試の結果も良好。 現役合格は十分に射程圏内。 成田愛はこの腕の中。
さすがオレ。今なら無敵だわ。
そう。
どういうわけか、不安なんて一つもなかった。 この夏が終わったところで何も変わることなんてない、としか思えなかった。
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