ウミノアカリ | ナノ



72 絶対音感
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「待った?」
「い、今来たとこで、全然、待ってない!!」

海明の裏門を出て5分ほど歩いたところにある小さな公園。人目につくのが好きではない彼女の希望により、ここが二人の待ち合わせ場所になっている。
たまにはオレが先に、と思うものの、だいたい先に到着するのは成田サンだ。

「えっと、ヤマケンくん今日は予備校、7時からだよね?」
「けどまあ、あんたが用事あるようなら、早めに行って自習室入っててもいーし。」
「あ、用事、、、あるのだけど、ええと、わたしも7時からだから、、、も、もちろん自習室行くなら早めに帰、」
「んじゃ、いーじゃん。とりあえずどっか店入ろうぜ。」
「いいの!?」
「いーよ。」

ぶっきらぼうに返した言葉に対して、えへへ、と、彼女がはにかむ。

たかだか小一時間お茶するだけだっつのに、なんだ、その嬉しそうな顔は。
かわいーじゃねーか、くそう。

成田愛は付き合うことになった今でも、基本、なぜかオドオドしたままだ。いつまでたっても慣れる気配がない。いや、まあもちろん、急に距離感ない感じでグイグイくるような女も困るのだが、もう少しなんとかなんないものかと、正直思う。

そうじゃないと、なんというか、いつまでたってもオレまで落ち着かないのだ。
まるで、付き合い始めの一週間が延々とループしてるかのような心持ちだ。

「んで?今日のあんたの用事ってなんなの?」
「え?あ、あの、実は先週から、聴音のレッスンに行って、、、」
「チョーオン?」
「ええと、音楽や和音を聴いて、それを譜面におこしてく訓練?みたいな?」
「聞くだけでどの音かわかんの?」
「うん。調性の提示がある時はすごく楽だし、なくても、まあだいたい採れる、、、というかそれを確実に出来るように訓練中?」
「そんなん、何に必要なわけ?楽器がうまくなったりすんの?」
「え、、、っと、」

彼女に音楽がらみの質問を投げかけた時にしてはめずらしく答えにつまったことで、俄然、興味が湧いてしまう。

「うまくなるためのもんじゃないの?」
「ええと、それは、あの、、、、、に。」
「なに?」
「あの、、、じゅ、受験に。必要で、、、」
「は?」

受験?

今、受験っつった!?

「、、、受験って、ウィーンの学校のってこと?」
「いや、あの、、、に、日本の、」
「は?日本の大学受けるわけ?オレ、それ、聞いてないんだけど?」
「え、あの、、、まだわたし、ちゃんと学校も先生も決まってなくて、、、ええと、留学しなかった場合の保険というかなんというか、、、その、今ついてる先生から勧められて、、、」

ふうん?
そんな選択肢もありなわけ?

なんとなく具体的な話を聞くのを意図的に避けてきた「彼女の進路」について、寝耳に水な話で驚いたものの、正直に言えばかなり期待してしまう。一年以内にはまた海外へ行ってしまうとばかり思っていたのに、来年も、その先も、近くにいられる可能性があるというのだ。

なんとなく、本人がコメントしづらそうにしているので、きっとかなり不確定な話なのだろう。とりあえず、進路の話はこれ以上聞かないことにした。

「で、どうなの?チョーオン。」
「え?、、、いやあ、正直苦手かも。」
「なんで?聞いたらわかるんだろ?」
「難しいとかじゃなくて、ええと、なんか、そういう気持ちでいろんな音を聞く訓練をしちゃってるもんだから、普段も耳が休まらないというか、、、」
「ああ、絶対音感とかいうヤツ?鍋叩く音がわかったりすんだろ?」
「ええっ?そんなのわからないよ?!」
「音がなんでもドレミに聞こえて頭が休まらないってことじゃないの?」
「ああ、、、まあ、ザックリ言えばそんな感じだけども。」
「んだそりゃ。正確には違うわけ?」
「ええと、、、」

ちょっと考え込んだ後に、「例えば」と言いながら成田サンがオレの鞄に手を伸ばすと、パシンと平手で叩いた。

「これが、、、まあ、だいたいラの音。」
「だいたい?」
「うーん、435Hzくらいなら、、、や、ダメだわ。もっと低い。だから、だいたい。」
「どういうこと?」
「だからね、調律されたピアノの音でならドレミに変換は容易いのだけど、ドレミって1オクターブを平均的に12等分したものでしかないから、自然にある音ってドレミに変換するにはすごく微妙なの。周波数を上げたり下げたりしたところで、ピッタリの音名はつけられないというか、、、まあ、すごく気持ち悪いドレミ紛いのものが世の中にあふれているだけというか。」
「あー。」
「納得?」
「まあな。でも、たまにはあるんだろ?ピッタリなこと。」
「あ!あのね、ヤマケンくんが名前呼ぶときの出だしがEsだよ。ちょうど445HzくらいのEs。海外のオケみたい!」
「エス?」
「あ、Eフラ。ええと、ミのフラット?」
「フラットかよ。ちょうどじゃねーじゃん。」
「いやいや、でも、ちゃんと音名つく音だから。」
「、、、"成田サン"」
「ほら!やっぱり、ちゃんとEs!聴いててまったく気持ち悪くない!」
「何だそら。じゃあ、オレがあんたの名前呼んでるのが”ミー”って聞こえるってこと?」
「そうじゃないけど、ちゃんと成田さんって呼ばれてるなあって聞こえてるけど、、、まあ同時に"ああ、ミのフラットだなあ"とも思う。」
「ま、なんでもいーわ。あんたが聞き心地いーなら、何よりだ。」
「うん。とても良いよ。」

世紀の大発見をしたかのようなテンションではしゃぐ成田サンの耳元に口を寄せ、出来心で「愛」と囁いてみる。

「んなっ!?」
「これも、Eフラット?」
「そ、、、それは、あの、、今のはEsじゃなくて、A、、、に近いけど、あの、、、」

顔を真赤にしてうろたえている彼女がかわいくて仕方がない。

「けど?ちょっと違う?聞き心地悪い?」
「あの、、、ど、」
「ドなの?」
「ど、ドキドキして身体に悪いから止めて、、く、ださい、、、」
「あっそ。」

オレが彼女を名前で呼ぶのは、まだまだ先のことになりそうだ。


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