71 不安と無敵。
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不本意な形で入学した学校ではあったが、わたしもとうとう最高学年となった。
各学年に一クラスしかない音楽科所属のため、今年も教室の中は代わり映えしない。
花冷えの時期も過ぎ、日中は初夏というのにふさわしいほどの気温になる。なんとなく休み時間の定位置になっている渡り廊下も、日溜まりの温室のように暖かかった。
「今日はレッスン何時から?帰りに何か食べてく?」 「ん。ない日だから、ちょっと、、、予備校の方まで寄り道してく。」 「ああ、ヤマケンか。」
そう言いながら、さやかがわたしの顔を覗き込み、ニヤリと笑う。
「う、あ、、、うん。」 「なーに、恥ずかしがってんのよ!もう2ヶ月くらいたってんじゃない?」 「いや。だって。まったく実感わかなくて、、、」 「なんかさ、普通科で噂になってんだけど、"自称ヤマケンの彼女"って女の子は今までもいたらしいんだけど、ヤマケン本人が"彼女いるから"って公言してるのは今回が初めてらしいわよ?」 「お、あ、そう、なんだ、、、」 「なに?!テンション低っ!」 「だ、だってさあ、、、」
だって、仕方がないじゃないか。 この二ヶ月ほどの間、魂どころか肉体も宙ぶらりんに、なっているかのような心持ちだった。
何がどうなって、そうなったのかはまったくわからないが、どうやらわたしはヤマケンくんの彼女になったらしい。
受験勉強で忙しいだろうに、毎日LINEなり電話なりが必ずあるし、彼の予備校やわたしのレッスンの合間の短い時間を見つけては逢瀬を重ねる。
自分の好きな人にこんなに構ってもらって、幸せな気分にならない女の子なんていないだろう。
正直言って、こんなに浮き足だった気分は初めてで、世に言う「多幸感」ってやつはコレのことだと思う。ぶわあっと湧き上がる、自分自身ではどうにも制御できないこの気持ち。毎日の食事に、何かヤバイ薬でも盛られているのではないかというくらいの多幸感に溺れ、他のことが何も手につかないくらいだ。
でも、だ。
「ヤマケンくんは、、、いったいなんでわたしなんかと付き合おうと思ったんだろう。」 「は?何言ってんの?」 「いや、だってさあ」 「だっても何も、好きだからに決まってんでしょ?告白されたんでしょ?ヤマケンから付き合ってくれって言ってきたんでしょ!?」 「うん?、、、告白、、、?」
「付き合う?」って聞かれて、 「嫌なの?」って聞かれて、 「嫌じゃない」と答えた。
これって実際、どうなんだろう。
「あー、、、」 「なんなのよ!?」 「、、、付き合う?って聞かれて頷いただけで、好きとは言われてない。」 「はあ?なにそれ。っていうか、愛も自分の気持ちを伝えたわけじゃないわけ?」 「うわあああああ、ホントだ!確かにわたしも何も言ってないじゃん!!今気がついた!!!」 「あんたら、バカじゃないの?」
そうだ。わたし、まだちゃんとヤマケンくんに好きだって言えてない。この二ヶ月間、まったくそのことに気がついてなかった。
人のこと言えないなあ。 というか、ヤマケンくんはそこいらへんどうなんだろうか? あいつ、俺のことどう思ってるんだ?とか、不安になったりとか、
ヤマケンくんに限って、それはないか、、、
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(ありませんでした)
「ヤマケンよー。今日も愛ちゃんかー?」 「あ?予備校だっつの。まあ愛とも会うけど。」 「愛!?なんなのその突然の名前呼び!リア充爆ぜろっ!!」 「そうだそうだっ!てめえばっかりふざっけんなっ!!」 「うるせーよ。」
ギャンギャンと吠える馬鹿どもを適当にあしらいながら、携帯を見れば成田愛から「今から学校出るよ」とのメッセージ。顔に出さないようにしながらも、なんとなく表情がにやついてしまう。
とにかく、ここ最近のオレは絶好調だ。
先月末の模試ではA判定。理系科目では水谷サンをことごとく抜かしたため酷い罵声を浴びせられたが、まあ、負け犬の遠吠えはむしろ、勝者のオレには心地よい響きでしかない。
そして、お互いがあまりにも忙しいため短い時間でしかないのだが、成田愛とはけっこうな頻度で顔を合わせている。
しかしながら、だ。会うといっても特に何をするでもなく、一緒にいてなんとなく話をしているだけ。実のところを言えば、呼び方すら変わっていなかったりする。
いつまでもあいつが「ヤマケンくん」と呼び続けるもんだから、本人を目の前にするとなんとなく気恥ずかしくて「成田サン」としか呼べないのだ。
そんなこんなで 、なんの進展もないまま2ヶ月。 でもまあ、男と付き合ったことないって言ってたしな。焦って手を出して引かれても困るし。
何よりも、今までと何一つ変わったことはないというのに、それなりに満足してしまっている自分にビックリする。
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