59 ギリリと掴む。
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その言葉に思わず彼女を凝視してしまう。
いったいあのじいさんに、何を言われたというのだろうか?そして、それを聞いたピアノ講師が大して動揺することもなく、内容の聞き取れない低いトーンのまま成田サンと話し続けていることにも驚いた。
なんなんだこいつら。
まったく理解不能なまま二人の様子を眺めていると、部屋から看護師が一人出てきて成田サンに声をかけてきた。
「面会に来ていた方、ですよね?」 「あ、はい!あの、先生の、、、唐木さんの具合は、」 「今のところバイタルは安定してきています。ひとまずは大丈夫ですよ。」 「そう、ですか、、、良かった、、、」 「お身内の方であれば、後で医師の方から説明もさせますが。」 「いえ、身内というわけではなくて、、、」
成田サンがそう言い淀んでいると、ワゴンを押しながら病室から出てきた年配の看護師が「あら彼女は身内よ。ね、成田さん。あとから先生に状況説明してもらうように言っとくわ。」と笑顔で口を挟むと、「もうちょっとそこで待ってなさいね。」と声をかけて去っていた。
と、そのとき、ピアノ講師が時計をチラリと見てからこちらに向かってとんでもないことを言い出したのだ。
「、、、山口くんさ、俺、これから仕事なんだわ。愛ちゃん頼んでいいかな?」 「は?」
はあ?んだよそれ、
こんな状況だってのに、自分の仕事の方が大事だっつーのか? どういう神経してやがんだよ。
てめーがそういう気なら、こっちだって、、、
って、こっちだってなんだってんだ。なんだオレは。本当にさっきからオレはいったいどうしたいんだ。くっそ。こいつらといると、調子が狂ってばかりだ。
成田サンはと言えば、「良かった、ほんとに良かった、」と呪文のようにつぶやきながら病室の扉を見つめて固まっているため何の反応もない。たぶん、オレらのやりとりはまるで耳には入っていないのだろう。
「ほんとにいいんすか?それで。」 「うん。いーよ。」
こちらはそれなりに挑発を込めた視線を送っているというのに、あちらはと言えば相変わらずのポーカーフェイス。まったく本心の読めないその飄々とした顔に、今までで一番イラついている自分がいた。
「あんまなめてると、どうなっても知りませんよ?」 「いや。別になめてるわけじゃないんだ。」 「は?」 「なんにしろ腹立たしくて仕方がないよ。」 「はあ?」
突然わけのわからないことを言い出した相手に面食らっていると、細身のその男からは想像もつかないくらいの力で肩をグッと掴まれた。
「じゃ、あとはよろしくね。」
一瞬、ギリリと痛むくらいの力で掴んでいたその手は、嘘みたいにスッと力が抜けると、ポンポンと気安くオレの肩を叩いて離れた。
「じゃ、愛ちゃん、俺行くね。」 「・・・・・。」 「愛ちゃん?」 「え!?あ、はい!スミマセン。ええと、秋田さんもう時間ですよね?間に合いますか?」 「ん。大丈夫。何か変わったことがあったら出れるかわかんないけど電話して。」 「はい、、、」 「じゃーね。」
視線だけでピアノ講師を見送ると、静かになった廊下にはオレと成田サンの二人。 ここでようやく彼女と目が合った。
「、、、大丈夫か?」 「、、、うん。あの、さっきはどうも、、、ありがとう。」 「いや、別に。」 「ヤマケンくんがあの場にいてくれて本当に良かった、、、というか、あれ?でもなんであの病室に?」 「オヤジに用があってたまたま病院に来てただけ。廊下歩いてたらあんたの叫び声がしたから。」 「そうだったんだ。偶然に感謝しなくちゃ。」 「そーだな。」
偶然じゃ、ないんだけどな。
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