04 わたしの指定席
=====================
瀬野くんは誰に対しても「さん」付けで、変な敬語を使う。
10代後半から成り行きで音楽の仕事をするようになったらしく、周りが年上の人ばかりの環境にずっといたらそんなクセがついてしまったのだと言っていた。
年上(といっても、一つしか違わないけど)の男の子に「秋乃さん」とさん付けで呼ばれるのは、なかなか悪くないぞ、なんて昨日までは思っていたけれども。
コンビニで買ったミネラルウォーターをブラブラさせながら瀬野くんちの玄関を開けると、そこには真っ青なエナメルのピンヒールがあったのだ。
流行りだとか、季節感だとかをまるっきり無視したその個性的な靴をじっと眺める。こ、これは、、、どう見ても女物だ。そして、相当のオシャレ上級者だ。きっと顔も可愛いに違いない。もしくは、顔は普通だけれども雰囲気可愛い子ちゃんだ。もしくはもしくは、背の高いモデルのように痩せた美女だ。きっとそうだ。
さて、ここで問題。
さっき終電がなくなったばかりの深夜1時に、どうしてこの靴の持ち主は瀬野くんちにいるのでしょーーーか!?
@家が近所だから。 A泊まる予定で来ているから。 B終電がなくなったことすら気が付かないほどに盛り上がってる(何に!?)
うおおおおおお、全部嫌だああああああ!!!!!
靴も脱がずにそのまま立ち尽くしていると、ガチャリと仕事部屋の方のドアが開いて瀬野くんが出てきた。
「あれ。秋乃さんだ。どうしたんすか?忘れ物か何か??」 「あ、あの、、、帰り道に通りがかったら電気がついてたから、、、いるなら顔見てから帰ろうかなって。」 「へー。今日はずいぶん遅くまで仕事してたんすね。」 「迷惑、だったかな?」 「えーと、、、今ちょっと人が来てて、終わるまでにもうちょいかかりそうなんすけど。」
と、その時、仕事部屋から女の人の声がし、部屋から出かけていた瀬野くんがそちらに向き直る。
「瀬野っち、誰か来たのー?」 「ああ、うん。」 「データもうあと10分くらいで焼けるし、待っててもらえば?わたし、すぐに帰るよ?」 「そう?じゃ、そうさせてもらう、、、というわけなんですけど、秋乃さん。待ってます?」 「え、いいの?」 「いいっすよ。じゃ、俺、ちょっと便所。」 「あ、、、はい。行ってらっしゃい。」
ど、どうしよう。とりあえず「データを焼く」とか言ってるくらいだから、仕事関係の人なのかな?仕事の邪魔にならないよう、寝室の方で待ってた方がいいんだろうか、、、でもでも、挨拶くらいはしておいた方がいいよね?
とりあえず靴を脱いで玄関に上がり、半開きになっている仕事部屋のドアに恐る恐る近づくと、小さく深呼吸。よし、挨拶だ。挨拶。社会人の基本だ。
「あの、、、お仕事中にスミマセンでした、隣の部屋で待ってますのでゆっくりしてくださ、」
ドアをそっと開けながらそこまで言って、中にいる女の人と目が合った。
彼女が座っていたのは、わたしがいつも座っているソファ。わたしがいつも、瀬野くんの音楽を聴かせてもらう、あのソファに知らない女の人が座っていた。
ソファの上ですっかりくつろいでいる彼女は、片手を上げて「いえいえ、すぐ帰りますから。」とニッコリ笑うと、残り少ないペットボトルのお茶をゴクリと飲み干した。
そして、追い打ちを掛けるかのように、トイレから戻ってきた瀬野くんが女の人に声をかける。
「それで結局何枚焼けばいいんだっけか?」 「えっとね、とりあえずわたしの分と事務所の分だから二枚。あとは自分で焼くよ。」 「えー、ヨーコの分だけじゃダメ?」 「なっ、二枚くらいあっという間でしょーに。そのくらいやってよ!」 「めんどくせーなー、お前さっさと帰れよー。」
い、今、、、よ、ヨーコって言った!今、瀬野くん、彼女のこと呼び捨てにした!!しかも、タメ口だ、タメ口だよ!!!
あまりの衝撃に、隣の部屋に移動するのも忘れてその場で立ち尽くしてしまう。 パソコンの前に座って煙草に火をつけていた瀬野くんが、そんなわたしに気がついたのか振り返って声をかけてきた。
「あれ、秋乃さん、こっち入ります?それとも、あっちの部屋で待ってる??」 「わ、わたし、、、」 「ん?」 「帰りますっ!?」 「え、ちょっ、」
猛スピードで踵を返し、蹴り飛ばさんばかりの勢いで靴を履くと、アパートの階段を駆け下りる。
なんだ? なんなんだ??
あの女はいったい何なんだ?あの異様に近い距離感はいったい何??腹が立つほど余裕の態度は何???しかもお茶、コップにも注がずにペットボトルから直接飲んでた!あのお茶、わたしが一昨日買ってきたやつ!!うわーん!!!
というか、わたし、今の今まで気にしたことなかったけれども、瀬野くんの何なんだろう? 勝手に彼女だと思ってたけれども、そういえば、「付きあおう」と言われたこともなければ、「付き合ってくれ」と言ったこともなかった。
そうだ、よくよく考えてみれば、「好きだ」と言われたことすらないんじゃないだろうか?
瀬野くんちから自分ちまで、普段なら歩いて10分の距離だが、たぶん、今までで最短記録であろうタイムで自宅の中に滑りこむ。 ドキドキする。苦しいのに息が深く吸い込めず、ハッハッと短い呼吸を繰り返す。まるで犬みたいに。
今のわたし、まるで、捨てられた犬みたいよ。
prev next
back
|