04 ノーミスで惨敗。
=====================
ストックホルム郊外にあるクラシックな建物に集まる、ドレスアップした人、人、人!わたしは今、スウェーデンのとある音楽祭に来ている。
特に音楽的に権威のあるものではないし、それほど規模も大きくないのだが、スウェーデン王室所縁の音楽祭ということで王室関係者は来るわ、なにやらセレモニー的なものがあるらしく客までみんな正装だわで、演奏者としてはとてつもなくプレッシャーのかかる会場の雰囲気となっている。
そして、今朝、移動の飛行機の中で唐木先生が倒れた。
7月の末くらいから確かに体調は優れない様子であったけれども、「ホームシックですよ。日本食が食べたいですねえ。」なんて言って笑う先生に、「わたしもです。」なんて見当違いな共感をしながら特に気にはしていなかった。慣れない海外での生活で気を張ってきて、ちょっと慣れてきたあたりで疲れが出るなんていうのはよくある話だろう。わたしだって一緒だもの、なんて。
思い違いも甚だしい。そもそもわたしと先生の年齢差を考えれば、一緒だなんてとんでもない。なんだかんだ言って、水も空気も食べ物も、そして文化にもわたしは気づいたら順応していた。
わたしの不調に原因があるとすれば、どちらかというと理由の分からない焦燥感からだ。 周りのレベルの高さというかポテンシャルの高さ、そして意識の高さに、どんどん追い詰められる。 もっともっと練習しなくちゃ、足りないものは努力で補わなければ、と、思えば思うほど自分に足りないものが何なのかわからなくなる。
気がつけば、先生の不調が年齢や環境の変化による疲れだけではなく、病魔によるものだなんて、まったく気が付かないほどに私の視野は狭くなっていたのだ。
「先生、大丈夫かな、、、」
周りに日本人がいないのをいいことに、日本語でそんなことをつぶやいてみる。声でも出さないと倒れてしまいそうだった。たった今、わたしの演奏が終わった。難易度の非常に高いコンチェルト。技術的にはノーミスでテンポ感も悪くない。ただ、わたしの気持ちは空っぽだった。出来栄えとしては最悪だ。大丈夫か?なんて、どちらかと言えば自分自身に聞いた方がいいんじゃないのという感じ。
先生はすでに市内の病院に入院済み。様態が落ち着いたら一度ウィーンに戻るのか、それともそのまま日本に帰らなければならないのか。
どうしてもっと、わたしは周りを気遣えなかったんだろうか。先生の側に誰よりも長くいたはずなのに。このタイトなスケジュールでの移動を、今回はわたし一人で行きますと言おうと思えば言えたのに。そもそも、こんなに酷くなる前に、体調は大丈夫ですか?と、なんで気遣うことができなかったんだ。わたしは、いつだって自分のことばかりじゃないか。
わたしには言葉が通じないと思っているのか、取材に来ていたプレスの何人かが英語で酷評しているのが聞こえる。
"技術力の高さばかりが悪目立ちして、情感も華やかさもない音楽。日本人らしいね。"
日本人らしいかどうかは別として、確かに今日の演奏は酷かった。ああ、でも、そんなこともうどうでもいいよ。早く先生のいる病院に戻りたい。
そういえば、飛行機の中で唐木先生を診てくれたのは、旅行で来ているという日本人のお医者さまだったっけ。状況を伝える医学的な語彙がまるでないので、本当に助かったなあ。テンパっていてきちんとお礼も言えなかった。名前なんていうんだろう。申し訳なかったな。
というか、
なぜだか知らないけれども、その時、ヤマケンくんが「落ち着け」と言って、身体を支えてくれるという幻覚をみた。心細さも極限まで行くと、妄想を実体化させるくらいのパワーを持つのか。もう、なんというか、わたしも末期だよな。
言葉が通じないふりをしたまま、特に取材を受けるわけでもなくバックステージから控え室に戻る。 いつもなら本番直後の興奮で五感のすべてが敏感になっているはずなのに、今日のわたしは足取り重く、心の中は冷たく空っぽだった。
prev next
back
|