01 キミと僕
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瀬野くんは、もういい大人だというのに、なぜか一人称が「僕」だ。
無愛想な顔に似つかわしくないその「僕」という言葉の響きを、わたしはとても愛おしく思う。
瀬野くんと初めて出会ったのは、夏のなんてことない夜。 近所にある煙草の自販機の前だった。
仕事帰りのわたしが、ちょうど切らした煙草を買うためにいつもの自販機に寄ると、そこには年齢不詳ながらも、まあ20代だとはわかるくらいの男の子が空の煙草のパッケージを握りしめたままボーっと立っていて。きっとタスポでも忘れたんだろうと、「カードお貸ししましょうか?」と声をかけると、キョトンとした顔でこちらをしばらく見つめた後、「や、僕、財布ごと忘れたみたいっす。」と呟いたわけ。
普通だったらさ、「それなら、さっさとそこをどけよ」くらいのことを思ってしまうわけだけど、なぜかその時のわたしは「ふーん、じゃ、おごったげるよ。」と緑のアメリカンスピリッツを一箱買い与えた上に、「それは悪いんで代金払うっす。」と手を引かれるままに近くの彼のアパートに連れこまれ、そのまま成り行きでセックスまでしてしまうという体たらく。普段だったらまずないことだ。
事が終わった後、「やばいなー、自分ちの近所でこんなだらしないことして後腐れたらどうしよう、、、」と思いながらも、後悔だけはまったくなかった。自慢じゃないがこれでも身持ちは堅い方なので、これは本当に例外中の例外。
だがしかし、ベットから起き上がった彼が最初に口にした言葉は、「あのー、、、仕事、してもいいすか?」だったのよ。
どう?最悪でしょ??
出会ったばかりで、まあなんらかの縁があって、なぜかこんなことになって、お互いの名前も知らない状態だというのに。ここは、これから自己紹介という名のピロートークが繰り広げられるのが普通なんじゃないかと思うのだけれども、瀬野くんは、出すもん出してスッキリしたのか、突然「仕事しなくっちゃ。」と。
で、で、いつもだったら。いつもだったらよ?そんなろくでもない男からは、「こいつは失敗したぜ!」と一目散に逃げるのが定石なんだけれども、なぜだかその日のわたしは暑さで頭が湧いていたのか、「いーよ。わたし帰った方がいいかな?」と言いながらも、「帰りたくないな」って思っちゃったわけです。
そしたらさ、なんと、瀬野くんはしばらく何か考えこむような素振りをした後、「見てる?」と言ったの。
おおおおおお、仕事を?してるのを??ただ見ていろ、と!?
ないないない。何この子、頭おかしいんじゃないの?と思ったものの、ガラッと開けた襖の向こうにあった仕事部屋は、見たこともない機械がうず高く積まれていて、さながら個人スタジオ。「いったい、何の仕事をしているんだろう?」とついつい好奇心の方が勝ってしまい、そのままベットの上から仕事をしている彼の背中を深夜2時まで眺めてしまったのでありました。
ピコピコと鳴る電子音。「何作ってるの?」と聞くと、「ラジオのジングル」と言われた。どうやら、瀬野くんはコンピューターで音楽を作るお仕事をしているようだ。朝一までにデータを送らなければいけない仕事があったらしく、それが終わったのが深夜2時、というわけ。
データを送信し終わった瀬野くんは、目をショボショボさせながらベットに戻ってきて、「良かった。間に合った。良かった。」と言ってわたしを抱きしめた。
わたしの背中に手を回しながら深々と安堵のため息をつく様子があまりにも可笑しくて、「そんなに締め切りやばそうだったの?」と聞くと、「それもあるけど。キミが帰っちゃわなくて良かったな、と思って。」なんて。
「キミ」だなんて言われたの、何年ぶりだろうか。 というか、男の人に「キミ」だなんて言われること今まであったかな? 何にしろ、帰らなくてよかったや。
そんなことを思いながら、「お仕事、おつかれさま。」と笑って瀬野くんにキスをする。
それは、動かなくても汗ばむくらいに、暑い日でした。
*** 突然ですがRECエンジニア、瀬野くんの彼女のお話。 秋乃さん、27歳。雑貨屋店員、という設定です。 完全に誰得企画。あ、わたし「エンジニア」という肩書きのつく男の人が好きです。(つまり俺得)
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