40 翼の片鱗。
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ガタッともたれていたソファからずり落ちて、うたた寝していたことに気がつく。
つか、今何時だよ?ポケットから携帯を出して液晶画面をつけてみれば、4:00am。ああ、もうそんな時間なのか。
買い出しから戻った時には困惑顔で覇気のなかった成田サンが、何をきっかけにか復活し、その後、レコーディングが再開された。オレがいなかった間には全て一発録りとか聞いてたのに、今は、事あるごとにピアノ講師の要望が入り、リテイクを要求されている。録り直し、録り直し、プレイバックを聴いては調整をしてまた録り直し。
が、明らかに、スタジオ内の空気が熱いというか活気がある。これは調子がいいということなのか?それともやっぱり悪いのか?部外者のオレにはわけがわからない。
神崎リコは「明日撮影があるからー」とか言って早々に帰っていったのだが、待ってると言った手前、オレは当初の覚悟通り朝まで付き合うことになってしまったというわけだ。
眠い目をこすりながらガラスの向こうを見れば、成田サンが少し上気したような真剣な顔つきでヘッドフォンに手を当て、プレイバックを確認しているところだった。曲が終わり、ピアノ講師がマイクで話しかける。
「どう?わかった??2コーラス目が少しズレてるっしょ?」 『はい、、、でも、これ、どちらかと言えば今のテイクが正解で、前のパートが間違え、』 「なんだけれども、前のパートの方がノリがいいから、そっちに合わせて欲しいんだわ。」 『えええ、そ、そうなんですか!?』 「そうなんです。」 『わ、わかりました、、、あの、じゃ、瀬野さーん、』 「なんすかー?」 『前のパートの返しを、もうちょっと大き目にもらえますか?』 「了解、、、えっと、ちょっと流してみるから確認してもらえます?」 『はーい。』
どうやら彼女はまだまだ元気な様子。眠気も疲労も感じないくらいに集中しているのだろう。少し休憩を挟んだとはいえ、開始からもうすでに6時間は経過しているというのに。「すげー集中力、、、」とつぶやけば、なぜかエンジニアの瀬野さんがコンソールをいじりながら、「ほんと。彼女の集中力、半端無いっすわ。」と返事をした。
「あ、山口くん、起きてたんだ。」 「、、、スンマセン。一人で寝てて。」 「いやいや、全然いいよ。一方的に付きあわせてるのこっちだし。」 「今度はどうなんすか?まだダメ?」 「うん。今回は本当にいーね。愛ちゃんって録れば録るほど神テイク量産で、超楽しいよ。」 「秋田さん、僕も超楽しいっす。」 「だよねー。」
いや、お前らが楽しいかどうかは聞いてねえよ。
と、そこで、モニターの調整を終えたらしく、スピーカーから成田サンの声がこちらに聞こえる。
『すごく聴きやすくなりました。瀬野さん、ありがとうございます。』 「どういたしまして。」 「じゃ、愛ちゃん。ラスト1パート、いってみよっか。」 『はい。お願いします。』
カチッとこちらのマイクがオフになったのを確認してから、ピアノ講師に声をかける。
「あと一回録ったらお終いなんすか?」 「うん。OKテイクが出れば、ね。」 「、、、やっと帰れる。」 「まあ、最後だからしっかり聴いてなよ。今日の愛ちゃんの頑張りを。」 「はあ、、、」
曖昧な返事をしつつグイッと伸びをすると、変な姿勢で寝ていたせいで凝り固まった首がパキッと鳴った。
ソファに座り直し、モニター・スピーカーを正面に構える。もう耳にタコができるかと思うほど聴いたメロディが流れだし、「もうこの曲は一生聞きたくねえよ、」と思ったのもつかの間。成田サンのヴァイオリンが鳴り響いた瞬間に、急に気持ちが揺さぶられる。
まったく違うジャンルのまったく違う立ち位置での演奏だというのに、彼女の演奏に、いつか見た翼の片鱗が見えた気がした。
演奏が終わり、「オッケー。これでお終い、お疲れ様。」とマイク越しに声をかけたあと、ピアノ講師はそのまま録音ブースに移動していった。
ガラスの向こうでは、ピアノ講師と成田サンが何かを話している後ろ姿が見える。
なんだ?二人で何を話してるんだ? くそう、なんでこっちに聞こえねえんだ?
イラつくオレに気がついたのか、エンジニアの瀬野さんが「秋田さんがマイクのシールド抜いたみたい。なので、こっちではモニターできないっす。」とボソッとつぶやいた。
「い、いや、、、別に何話してるかとか、気になんないですから!」 「そう?」 「そう、です!」 「それにしてもキミの彼女、すごいっすね。」 「彼女じゃねーし!!」 「あ、そうなんだ。」 「・・・・・。」 「僕、ちょっと感動したっす。熱量が違う。アマチュアだからこそ、かな?」 「そういうもん、ですか?」 「うん。人が何か大きな壁を乗り越える瞬間を見た、くらいの特別感があった。」 「ああ、」
それはたぶん、彼女が今日この場で、実際に何かを乗り越えたからなんだと思う。
詳しいことはオレにはよくわからないけれども、彼女は逃げなかった。 逃げなかったんだ。
で、オレはどうする?
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