ウミノアカリ | ナノ



39 恋の歌。
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軽い食事を終えると、録音ブースに戻り、譜面台に置いてあった手書きの譜面を全てまとめると楽器ケースに避けた。

記憶力には自信がある方。ここ数時間で散々弾いたので、譜面は全て頭に入っている。今、わたしが気にしなければいけないのは、こっちの方だ。

ヤマケンくんに渡された歌詞の書いてあるA4のコピー用紙。折り目を綺麗になぞって真っ直ぐにしながら、そおっと譜面台に乗せた。

これは恋の歌。

アップテンポで軽快ながらも、歌詞を読めばこれは切ない片思いの歌だった。


『とりあえず、サビの裏メロになるトップのパートからやってもらっていい?ブレイク前のAメロから流します。』

ヘッドフォンから聞こえる秋田さんの声に、マイクに向かって「了解です。」と答えると、楽器を構えた。

さあ来い。わたしの恋の歌!!

Aメロ、Bメロを、目線で歌詞をなぞりながら聞き流す。

バンっと思い切り良くブレイクした無音の隙間に、ヴァイオリンの音を乗せていく。あ、しまった、サビへの入りが遅れた。遅れたというか、どうしてもここはもう少し引っ張りたいらしく、身体が勝手に動いてしまった。作られた無音の隙間が、ほんの少し。ほんのコンマ何秒かだけれども足りない。

入りの失敗が少し気になるものの、サビの裏メロを情熱的に入れていく。リズムも音程も気にしない。目では歌詞を追いつつ、情景を思い浮かべる。

正直ポップスのことはよくわからないけれども、切ない片思いのことなら現役真っ盛りだ。

わたしの、片思い。
切なくて、嬉しくて、愛おしい。

わたしの、、、恋の歌!


***

「ブレイク明け、今の彼女のタイミングの方がいいっすね。」
「そだね。このテイクをガイドラインにして、バックを編集し直そっか。できる?」
「了解っす。でも、今のがまぐれ当たりだったらどうします?」
「んー、、、そうだったとしても、今のがいーなあ。」

ガラスの向こうで、さっきまでとは打って変わってエモーショナルな演奏をする愛ちゃんを見ていると、疲れや眠気が吹っ飛ぶような気持ちだった。譜面台に乗せられた紙に何が書いてあるのか、少し気になるものの、機械のように精密だった演奏が、瑞々しいものにガラリと変化した。

曲が最後まで終わり、楽器を下ろした愛ちゃんが不安そうにこちらを見たので、手元のボタンを押して声をかける。

「うん、すごい良かった。この解釈で全部録り直したいんだけど、いける?」
『あ、あの、、、でもサビの入りのタイミングが、』
「うん、そこも、今のタイミングにオケを編集し直すから大丈夫。」
『ほんとですか!?』
「一度プレイバック聴いて、タイミングを確認してくれるかな?」
『はい!』
「じゃ、瀬野くん、よろしく。」
「うっす。」

プレイバックを聴きながら、手元にあるコーヒーを飲み干す。

そういえば、こないだネット上で見かけたんだけれどもさ。

おっさんが書いた曲と詞を、若い女が若い身体で歌う、踊る。
大衆はそれを観て少女という幻想を共有する。
この一連の現象をアイドル(偶像)と呼んだ人は誰ですか、天才ですか?

みたいな文面。

本当にそうだと思うんだよね。この曲の歌詞にあるような切ない片思いを今時の女の子達がするだろうか?しないよな?そして、今回は作詞家もおっさんなら、曲を書いてる俺もおっさんだ。まさに、単なる野郎の幻想に過ぎないと思う。

でも、そこに、愛ちゃんがとびっきりの現役感を付け足してくれたんだ。


彼女の新しいアプローチを目の当たりにして、すっかり目が覚めたと思ったら、少し欲が出てきた。

「どう?もう一度このタイミングで入れる?」
『大丈夫です。このくらい引っ張りたいと思ってたんです。』
「あとね、いくつかお願いごとがあるから、ちょっと譜面持ってこっちに戻ってきてくれるかな。」
『え、、、あ、はい!』

少し驚いたような顔をした愛ちゃんを見て、気がついた。ああ、そうか。俺が彼女に注文をつけたりするの、初めてかもしれない。また不安そうな顔をするのかな?と思いきや、遮音ドアを開けて入ってきた愛ちゃんは、とても嬉しそうだった。

「な、なんでも!言ってください!」
「う、うん。」

そんなに前のめりにならなくても、、、と思ったりもするのだが。
そっちがその気なら、こっちも容赦しないから。

覚悟しておきなさい。


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