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36 コミュニケーション・ツール
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練習に使っていいよ、と、通されたのはレコーディング用のブースだった。

ガラスの向こうにあるコントロールルームでは、秋田さん達が編集作業に追われている。わたしの手元には、さっき書かれたばかりの譜面と秋田さんのMacBook。パソコンの中に仮ミックスの音源を入れてもらったので、編集が終わるまでの間に、これを参考にしながら譜面をさらっておいて欲しい、とのことだった。

手近にあったパイプ椅子にパソコンを乗せ、弓に松脂をつけながら楽曲をチェックする。さっき聞いたときには、純粋に楽しめたというのに、今は、自分の弾くパートとの絡みでリズムやベースばかりが気になる。まったく無音になる部分で弾くのもそうだが、サビの裏で弾くのが思った以上に難しいかも。わたしは、こういうリズムの上でヴァイオリンを弾いたことがないので、どこにアクセントをつけていいのやら、とりあえず弾いてみないとまったくわからない。

渡された譜面は非常に簡単で、むしろ簡単すぎるからこそどう弾いたものかと悩んでしまう。

一人で3パートを重ね録り、しかも、厚みをつけるために全てダブルで録る。ということは、、、一つのフレーズを6回重ねて弾かなければいけないわけで。とりあえず、ピッチ(音程)だけは相当シビアに気にしておかないと重ねるごとに不協和音が鳴ってえらいことになりそうだ。

アップテンポなポップスだから、リズムもかっちりやらないとダメだよなあ、、、
ピッチと、リズム。課題はそこらへんだろうか?

念入りにウォーミングアップをし、右手、左手の具合を確認。ん。良い感じ。軽くエチュードをいくつか弾いてから譜面に挑む。せっかくの秋田さんの仕事に参加させてもらえるんだ、絶対に良い物にしたい。なんなら、もう一度呼んでもらえるくらいに、、、なんてことを思うのは望み過ぎだろうか?

しばらく一人で練習をしていると、ガチャっと扉が開いて、レコーディング・エンジニアの瀬野さんが部屋に入ってきた。初対面の人はやっぱり少し苦手で、少し構えてしまう。

「マイクとモニターのセッティングしちゃいたいんだけど、、、」
「はい。お願いします。」

ケーブルをくるくるとひき回しながら、瀬野さんが目を合わさないままボソボソと喋りだした。

「僕は、、、申し訳ないけど今回のアレンジには反対っす。」
「え?」
「あの曲は、あのままの形が一番いいと思ってる。ブレイクを長くしてストリングスで引っ張るなんてあざといアレンジは、秋田さんの曲には合わない。」
「そう、、、ですね。」

確かにその通りだと思ったので素直に頷いてしまったが、それが彼にとって意外な反応だったのかなんなのか、顔を上げ少し驚いたような顔をしてわたしを見た。

あ、目が合った。と、思ったら勢い良く逸らされた。あはは。

きっと、この人もあまり喋るのが得意じゃないのだろうな、と、失礼な話だが瀬野さんにどことなく親近感を覚えて人見知り全開だった気持ちが少し緩む。

「とりあえず善処はするけど、ボツになる可能性も大きいってことはわかってて欲しい、、、す。」
「はい。」
「でも、そもそものアレンジがイマイチなだけで、キミの演奏が悪いとかそういうわけじゃないから。」
「はい。」
「あ、もちろん演奏がイマイチでボツになる可能性もあるわけだけど。」
「、、、はい。」

なんだろう。この人ちょっと面白い。

「じゃ、はじめよっか?このヘッドホンつけて。立ち位置はここ。マイクの向きを決めるから本番通り構えて。」

コクンと黙って頷くと、渡されたヘッドホンをつけて立ち上がり楽器を構える。

同じくヘッドホンをつけた瀬野さんがガラスの向こうに手を上げると、耳元でザザッとノイズがした後、耳慣れた秋田さんの声が聞こえてきた。こんな耳元で秋田さんの声を聞くことはあまりないので、なんとなくくすぐったいような気持ちになる。

『愛ちゃん、準備いいかな??』

ガラスの向こうに向かって大げさにウンウンと頷くと、「マイクで音拾ってるから、声出せば聞こえるよ」と笑われた。おおう、そういうことは先に言ってくださいよ。ふと見ると、横で瀬野さんが無言のまま肩を震わせて笑っている。すごい恥ずかしい、、、

『譜面はさらえた?』
「はい。譜面通りに弾くだけだったら、大丈夫です。」
『ん。頼もしいね。じゃ、とりあえずマイクバランスみるから何か適当に弾いてくれる?』
「な、なにか、、、ですか?」
『えーとね、あれ聴きたいな。クライスラーのやつ。』
「前奏曲とアレグロ?」
『そう、それ。さわりだけでいいからね。』
「はい。」

試験や課題でもたまに弾く機会があるこの曲。今まで散々練習してきた。しばらく弾いていないが全て指が覚えているはず、、、大丈夫。

フッと自分の息を吸う音がマイクを通してヘッドホンから聞こえ、続いて第一音を鳴らした。

むむ。ヘッドホンでモニターしながら弾くのって、こんな感じなんだ。初めての感覚に少し戸惑いながらも、久しぶりに弾くクライスラーに少し気持ちが踊る。

ああ、違うな。
久しぶりに、人前で弾くヴァイオリンに、ときめいているんだ。
わたしが音を出して、空気が振動し、それが誰かに伝わる。伝わる。伝わる。


秋田先生、お久しぶりです。今のわたしはこんな感じだよ。

瀬野さん、はじめまして、今日はよろしくお願いします。

リコちゃん、確かにわたし傷つくのは怖いけど、でも、、、



こんなに好きだ。



わたし、ヴァイオリンを弾くのが、それを誰かに聴いてもらうのが、好きだ。
お喋りがあまり得意ではないわたしの、コミュニケーション・ツール。


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