30 社会見学のお誘い。
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久しぶりに見る、楽器ケースを背負った制服姿の成田サンに、自然と口角が上がる。
とりあえず進級はできそうだし、今まで通りとまではいかないにしても楽器も弾いているようだ。帰国後初めて会ったときに感じたあの違和感は、少しづつ影を潜めている。そう、あと少し。あと少し何かが足りない。
でも、きっとこの先はオレがどうこうできる問題ではないんだろう、と思う。
それでも、楽器ケースを背負って、学校のカバンと、何やら分厚い本を抱えた成田サンの足取りは軽い。隣を歩きながら、きっと彼女なら大丈夫だ、と、「信頼」にも近いような気持ちが自分の中に芽生えているのに気がついて、少し動揺した。
「、、、おい。荷物かせ、どっちか持つ。」 「え?いいよ、ヴァイオリンって中身空っぽだから重くないし!!」 「(空っぽ、、、そうなんだ。)で、そっちの本は?」 「これ?今練習してる曲がオペラのアリアをヴァイオリン独奏曲に編曲したもので、、、元ネタのオペラのお話を読んでおこうかなって、ヤマケンくんが予備校行ってる間に図書館に寄って借りてきたの。」 「曲への理解を深める、的な?」 「うん。イメージを絞るにはすごく有効。」 「イメージねえ、、、よくわかんねーけど、まあ言葉で説明されるのが一番楽だよな。」
プッー
そんな他愛もない話をしていたところ、車道からクラクションの音が響いた。振り向くと、そこにはグレーのミニバンが止まっていた。見たことのない車。オレの知り合いじゃない。チラリと隣の成田サンを見てみると、こちらも見覚えがないようで首をかしげている。
すると、スモークのかかった窓が開き中から予想外の人物が顔をのぞかせた。 テレビでよく見る”あの”顔に、自然と眉間にシワがよる。
「愛ちゃん!」 「、、、あ、えっと、、、リコ、ちゃん?」 「そうそう!今、一瞬、名前忘れてたでしょー?うふふふ。」 「いやその、えーと、ご、ゴメンナサイ、、、」
神崎リコがこちらを見て、「あら。こないだの彼も一緒?」と綺麗な顔でニヤリと笑った。くそう、見た目はいい。見た目はいいけれども、なんともいけ好かない女だ。
「今からスタジオに新しい曲のチェックに行くんだけれども、一緒に行かない?」 「え!?わたし??、、、な、なんで、、、?」 「秋田さんもいるしさ。社会見学的な感じで、遊びにおいでよー。」
断れ、断れ。そんな女の誘い、断っちまえ。 しかもあのピアノ講師も一緒とか、最悪じゃねーか。
「そんな、先生の仕事場に遊び気分で行くわけには、、、」 「いーからいーからっ!連れてったら喜ぶと思うんだー。ね?彼も一緒にさ!」 「は?なんでオレ?」 「秋田さん、気にしてたわよ?あなたから頼まれたのに、忙しくて何もできてないって。」 「え、、、ヤマケンくんが頼み、事?秋田さんに??」 「そうなのよう!こないだわざわざお店まで来てさー、秋田さんに愛ちゃ、」 「行く。行くからお前、もう黙れ。」
神崎リコが嬉々として喋り出したのをピシャリと遮ると、ビックリした顔でオレを見つめる成田サンを一瞥。
これ以上あることないこと言われてたまるかっつの。
「成田サン、この後用事あんの?」 「え、、、特には、、、」 「じゃ、決まりな。」
と、それを合図にミニバンのスライドドアが空き、神崎リコが「はいはーい、乗って乗ってー!」と、座席の奥に詰めて手招きをした。腹立たしいことに、すっかりこの女のペースだ。
車に乗り込み、大きくため息。 こんな予定じゃなかったんだが、、、
ふと窓から外に視線を移すと、仕事を終えてこれから飲みにでも行くのであろうサラリーマンたちがワイワイと繁華街に向かって歩いて行くのが見える。実に金曜日らしい光景だ。
ま、どうせ明日は休みだし。いっか?
隣では、「スタジオってどんなところだろうねえ、ドキドキするねえ。」と、まんざら興味が無いわけでもなさそうな成田サンがソワソワしながらシートベルトをいじっている。そうそう、こいつ、意外と好奇心旺盛。
「おい。家に遅くなるって連絡しなくていーのか?」 「えっと、今日は家に誰もいないから、連絡はいらないの。」 「は?」 「急に親戚でご不幸があってね、両親は日曜日まで田舎で法事。」 「週末ずっと一人かよ、、、物騒だから戸締りとか気をつけろよ。」 「う、うん。」
小さく「ありがとう」と言ってうつむいた彼女の顔に、前を走る車のテールランプや繁華街の色とりどりの明かりが映り込んでは消えていく。
金曜日の、夜の灯だ。
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