22 テリトリー侵入。
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泣いている彼女を見るのは、これでたぶん三度目。 一度目は、土砂降りの図書館で。二度目は、市民ホールの楽屋で。三度目はというと、今、小雨の降る夜の商店街。
正直よく泣く女だなあとは思うものの、不思議とそれはイヤな感じではない。
成田サンはボーっとしているように見えて、ものすごく感受性が強い。いわゆる芸術家肌。彼女の悩みや孤独は、「こんな感じのことなんだろうなあ」と本や映画で観たようなことをこねくり回すことによって曖昧な想像はつくものの、たぶんオレには一生理解できねーんだろうよ。
なので今、小さくしゃくり上げながらポツポツとしているとりとめのない話の内容も、イマイチよくわからない。というかオレにはまったくピンとこない。
さっきまでは、海外留学でとてもたくさんの才能のある同年代の人間に会って、たくさん影響を受けて、みたいな話をしていたけれども、、、それって、普通にいいことじゃねーの?そして、今は、さっきまでいたお店で見た、あのピアノ講師の演奏がいかに素晴らしかったかを語った後、「桂木さんがプロを演奏家を目指しているのに実はすごく頭のいい大学の人でね」って、誰だよ、桂木って。
彼女の話をなんとなく系統別に分けて、まとめて、推測するに、、、まあ、音楽家としての自分の将来のビジョンが見えなくなった。ってなとこだろうか?
周りはこんなにすごいのに。こんなに周囲に求められているのに。こんなに意思を持って音楽に向き合っているのに。
わたしはいったい何をやってるの?みてーな?
オレからしてみれば、成田サンの音楽を待っている人はたくさんいそうに思えるんだが、そんな簡単なもんでもねーのか?将来の進路に限って言えば、それこそ、このまま日本で音大を出たってどこぞのオーケストラに就職できそうだし、音女の勝ち組パターンの「金持ちと結婚してヴァイオリン講師」だって全然可能そうじゃねーか。
と、まあ、自分の範疇じゃないことをグダグダと想像したところでしょうがない。
成田サンに電話をすると決めたときから線を引いていた。オレができるのは高校に戻らせることだけ。
それより。さっきからどうにも気になるのが、
「あのさ、成田サンさ、、、」 「は、はい!!あ、ゴメンナサイ。なんだか自分の話ばっかり、、、」 「や、それは別にいーんだけど。とりあえず、」 「とりあえず?」 「・・・・・」
暗がりでも泣き顔だとわかる成田サンの顔が、真っ直ぐにこちらを見上げている。
なんとなく言った「おかえり」という言葉がキッカケだったのか、なんなのか、彼女は今、明らかにオレのテリトリー内にいる。オレに対する敬語混じりのよそよそしい言葉遣いも、並んでいると言うには微妙に遠い物理的な距離も、何一つ変わっていないというのに、今までとは明らかに違う距離感だ。
すごく近い。なんだか知らんが、すごく近くにいる。何かが彼女の中で変わったような気すらする。
とりあえず、聞いてみたい。
あんた、オレの事好きだったりするわけ?
って、この空気で、んなこと言えるか。 アホか、オレは。
「、、、いや。なんでもねーわ。」 「??」
困ったような顔をしてこちらを伺う彼女の頭に、手のひらを乗せて視線を遮り、その勢いでグシャグシャとかき混ぜる。真っ直ぐに見つめられることをなんとなく避けたかったのかもしれない。
「とりあえず、そこのコンビニで傘買ってくるから。ちょっと待ってろ。」 「え!?そんな、むしろわたしが行くよ!!」 「へえ。明らかに泣いてますってな、その顔で?」 「う、、、」 「いーから待ってろよ。」
それだけ言って成田サンの頭から手をどけると、コンビニまで走り、レジの横に出してあったビニール傘を二本手に取った。
さっきまでとは正反対の明るい店内に、妙に冷静な気持ちになる。
そうだそうだ。このくらいで勘違いなんかしてたまるか、かっこわりい。オレくらいの男ともなると、あんな目くらいじゃ騙されねーからな。さっきだって、結局最後はあのピアノ講師の話ばっかだったじゃねーか。わざわざ他の男を好きな女なんかにちょっかいかけるほどオレは飢えてねーんだよ。
そう。
水谷サンのことは、オレの唯一の例外だ。
しっかし、どいつもこいつも、オレを体のいい相談相手に使いやがって。 だんだん腹がたってきたぞ、くそっ、、、
たってきたのだ、が、
傘を持って軒先に戻ると、ハンカチ代わりのハンドタオルを手に待ち構えていた成田サンがオレの肩についた水滴をせっせと拭きはじめる。
背伸びをしながら「こんなに濡れちゃってゴメンなさい!」と、一生懸命に拭いている姿を見ていると、文句の一つも言えやしない。
ほんとに。
いつからオレはこんな役回りばかりになったんだ。
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