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「深夜の歩道橋」で登場人物が「見上げる」、 「足音」という単語を使ったお話を考えて下さい。
↑ 以上が今回のお題でした。
銀河鉄道の夜は、引用する部分を悩んで悩んで、結局、クライマックスの一番無難なというか、あまりパンチのないところを選びました。最初は30行くらい引用してて、どんどん削って削って、最終的にこれ。ああ、なんだか引用する意味があったのかどうかさえわからん状態に、、、
小さい頃の優山さんは、旅の途中でグラグラと揺れ動くジョバンニのこと、どう思いながら読んでたんですかねえ。最後にカンパネルラがジョバンニを置いて行ってしまったとき、何を感じたのでしょう。自分をどちらに重ねる?カンパネルラ?ジョバンニ??ああ、切ないわー。
そういえば、カンパネルラは溺れたザネリを助けるために、彼を岸に押し戻し自分はそのまま帰らぬ人となりましたけれども。優山さんは、溺れる自分にしがみつく手を払った、と思ってるわけです。それが僕という人間だ。と。そして、いつでも「もしもその手を払わなかったらどうなってた?」と想像し続け、苦しんでいるわけだな。うん。
小さい頃の優山さんは、「僕はもうあのサソリのように、本当にみんなの幸いのためなら、僕の身体なんて100回焼いたってかまわない。」って、ジョバンニと同じように思っていたんでしょうねえ。だけれども、結局、自分のために、ハルくんのしがみつく手を振り払ってしまった、と。
人を疎ましく思ったり、大事に思ったり。自分の中の理想の自分というか、誰かのために優しくありたいという気持ち(理性?)と、条件反射のように自分を守ってしまう本音との間でグッラグラなのはみんな多かれ少なかれ一緒だと思うんだけど。実際にはそうでもないのかしら?
誰もが優しい人になりたいって思ってて、けれども、なりたいとか思ってる時点でアウトな気もするし。だって、本当に優しい人ってのは、「優しくしよう」だなんて思いながら行動してるわけじゃないんでしょ?って、これも、優しい人間ではないわたしの「想像」でしかないんだけれどもさ。
世の中に存在する、本当に優しい人ってヤツは、いったいどんな脳みそをしているんだろうか? 輪切りにして見せて欲しいくらいだ。
ちなみにわたしは小学生の頃に、鳥取りの部分が妙に引っかかり、すんごい長い読書感想文を書いてなにやら賞をもらったことがあります。 「僕はあの人が邪魔なような気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」ってとこね。 ずいぶん暗い小学生だな、おい。
さて。深夜の歩道橋での話は、優山さんのターンでもう一ページくらい続くかもしれませんし、続かないかもしれません。はてさて。とりあえず、あとがきの方が長いってどういうことだ。ああ、、、
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