47 雨と煙草とアスコットタイ
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小雨の降る週末。今にも咲きそうに膨らんだ桜のつぼみもすっかり雨に濡れている。今日は、成田サンの発表会だそうで。
彼女の師事している先生の教え子達によるもので、まあ、しばらく海外に移住する先生を囲んだ送別会のようなものらしい。すでにプロになっているような人達まで出演するため、発表会というよりは、演奏会なのか?彼女の出番は、第二部のはじめ。
相変わらずの愛想のない白黒メールに書かれた住所と名称を運転手に伝え、市民ホールの横までタクシーで乗り付けると、エントランスから少しはずれた喫煙所に見たことのある顔を見つけた。背の高い猫背の男は、こちらを見ると煙草を持ったままの右手を軽くあげて、声をかけてくる。
「お、こないだはどーも。濡れずに帰れた?」 「、、、どーも。」
成田サンとこのピアノ講師だ。なぜだか知らんがスーツにアスコットタイ。 なんだ?クラシックの演奏会ってのは、客まで正装なのか??
「今日は、、、ヴァイオリンの発表会でしたよね?」 「あー、そうなんだけど俺も出るの。彼女の伴奏をするんだよね。」 「そうなんですか。」 「そうなんだよ。」
ピアノ講師はそう言ってニッコリと笑うと、深く煙を吸い込んだ。ジジジッと赤い火が煙草を燃やしていくのを見ながら、ついついこないだの仕返しに、底意地の悪いことを言いたくなってきた。
「なんか、、、必死っスね。」 「ん?」
オレのぼそっと呟いた言葉が、聞こえなかったわけはないのに、和やかな顔はそのままにしばらくのんびりと煙草を吸っている。ま、こんくらいじゃ動じねーってか。と、思ったとき、灰皿にギュッと吸い殻を押し付けると、低いトーンでこちらも見ずに独り言のよう喋りだす。
「近くにいるうちに、できる限りやっとかないとねえ、、、」 「え?」 「彼女が遠い場所で一人で戦っているときに、ふと思い出せるような何かを、さ。」
直接的には否定も肯定もしていないが、これはたぶん明らかに肯定。
「、、、そういうのは、ちゃんと言葉で伝えた方がいいんじゃないですか。」
オレの言葉が意外だったのか、少しビックリしたような顔をした後、笑いながらいつものトーンで話し出す。
「いやー、愛ちゃんも俺も、案外言葉が不自由でね。」 「は?」 「こういうやり方しか、できない人種なんだわ。」
ピアノ講師はスーツの内ポケットに煙草をしまうと、じゃ、がんばってきますわ、と言って楽屋口へ消えて行った。
”愛ちゃんも俺も、案外言葉が不自由でね”、か。
それにしても、動じないどころか隠す気ゼロかよ。一回りも下の女相手に必死になってるなんて、普通はバレたくないもんなんじゃねーの?
そこらへんも含めて、オレには理解できない人種ってことか。
そして、彼女も?
「おーい、ヤマケン、入り口はそっちじゃねーぞ!!」 エントランス付近で待っていたらしい三人が、こちらに気がついて寄ってくる。
「、、、わかってるって。」 「いや、おめーはぜってーわかってねえ。」 「でも、15分遅れでここまでたどり着けたことは褒めてやる!!」 「うるせーなー。で、サヤカは?」 「もう中に入って、席取ってるってよ。さっきメール来てた。」 「あっそ。」
じゃ、行きますか。
言葉の不自由な人達の、饒舌なおしゃべりを聴きに。
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