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「見に来ていないのかと思ったら、遅刻とはな! マイペースなキミらしいと言えばそうだが、全く惜しいことをしたものだよ。あと十分早く着けば、歓声に包まれ華麗にスタートを決めるオレを目に焼き付けることができたというのにだな!」
「うん…」
「ところで、家はこちらの方向で合っているのか?」
「あ、うん。っていうか大丈夫だから。東堂くんの家から遠かったら悪いし……どうせ徒歩で行ける距離だから!」
「女子を一人で帰らせるなど、選択肢としてあり得んな」
「う…」

 東堂くんはたまに真剣に恥ずかしくて格好いいことを言うから、困ってしまう。大して深い意味のないことだとしても、私にとっては小さいことじゃない。
 練習が終わってから、東堂くんと話せたらいいなと思っていて待っていたのは否定しないけど、「では一緒に帰るか!」と言われて実際にそうなるなんて予想できなかった。部活の人と帰ればいいんじゃないかな、とか、私より他のファンの子と一緒に帰ったら、とか、いろいろ言っても東堂くんは折れてくれない。

「キミはオレがいなくては一人でこの暗い道を歩いて家に帰るつもりだったのだろう。それはならんよ!」

 そんなことを言われて東堂くんと目を合わせる度胸なんて、私にはなかった。頬が熱い。俯いて黙った私を気遣ってか単なる暇つぶしにか、東堂くんはそれから今日の部活での話をつらつらと話してくれた。本当は、帰るまでの短い間だけじゃなくて、もっと聞いていたい。東堂くんの優しい声や、とりとめのない話。叶うことは、ないけど。
 そうして下足室から校門前まで歩いて行く。時計は六時ちょうどを指し示していて、朝八時十分にこの時計を見てから実に五時間五十分が経過したことがわかる。ぼうっと時計を見ている私に、「どうかしたのか」と怪訝そうに東堂くんが聞いてきたので、朝遅刻した経緯を軽く話した。ふんふんと頷いて聞いていたものの、話が朝出会った人の話にさしかかると「む」と東堂くんが軽くしかめっつらになる。でも、さらに「茶色の髪でパンを食べながら歩いてた」と言えば「なんと!」と心底驚いたように目を見開いた。

「隼人か!」
「あ」

 新開隼人くん。
 自転車競技部の人で、東堂くんと同じくファンクラブがあって、あと東堂くんに借りたものを返すのが遅い人。ひどい覚え方だと我ながら思うけど、実際知らないのだから仕方ない。

「新開くんだったんだ…」
「顔は知らなかったのか」
「というか名前が思い出せなくて。クラス一緒になったことなかったし、あんまり運動部の人のこと知らないから…というかあんなゆっくりで大丈夫だったの?」
「あいつはキミ以上にマイペースな奴だからな。本当はクライマーでなくとも八時には自主練を始めておけと言われているはずなのだが」

 私含め大体の人を振り回すことが多い東堂くんがため息をつくほどだなんて、新開くんは余程変わった人らしい。

「…で、まさかと思うがキミは隼人と話していて遅れたのか? この天から三物を与えられし美形クライマーのオレのスタートを見逃すほどに会話に夢中になっていたというのか?」
「は、はい…?」
「どうなのだね」
「ええ、えっと…」

 がしっと肩をつかまれて答えに窮する私を東堂くんは真剣に見つめている。東堂くんが自分で言っているから普段はあまり気にならない綺麗な顔が近づけられて、否応なしに心臓の鼓動が早くなる。どうしよう、小学生の時以来久しぶりに不整脈が再発してしまうかもしれない。とりあえず何か言わないと。ごまかすように、何か。思いのままに口を開く。

「ととと、東堂くんの方がずっとかっこいいよっ!! 今日は本当に見たかったけど…間に合わなかったから、だから…」

 ああ、多分今の私、耳まで真っ赤だ。東堂くんは少し驚いたように珍しく言葉を失っているみたいだし、沈黙が痛い。いっそ逃げてしまいたくなって「や、やっぱり私一人で帰るね!」と彼に背を向けて走り出す。も、五秒もたたずに腕をつかまれてしまった。これだから運動神経がないのは嫌だ。逃げ切れない。

「待ってくれ」
「……」
「ありがとう。…嬉しいよ」
「……」
「やはりオレ以上にかっこいい男などいるわけがないからな! 考えてみれば当然のことではあるが、改めて苗字の口から聞くと自信もみなぎるというものだ! …ん? どうした苗字?」
「いや…東堂くんはぶれないなあって思っただけ」
「オレは決してぶれんよ! まっすぐな男だからな、もっと褒めてもいいのだぞ」

 「嬉しいよ」の、その先の言葉を期待してしまっていた。私にとって東堂くんがもう誰とも代えがきかない特別な人であるように、東堂くんにとっての私もそうであって欲しかった。わがまますぎる願いだとは百も承知だけど、でも。

 私は東堂くんのことが好きになってしまっていたのだ。




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