とっくに落ちてる

 「ノート貸して」と誰かから言われて、反射的に「どうして?」と思ったのは初めてのことだった。
 新開悠人――彼の名前はもちろん知っていた。同じクラスというだけで私とはほとんど接点がないとはいえ、新開くんは人の目を引く。整ったルックスに、あまり自分と同学年と感じさせない飄々とした態度。もちろん女子からの人気はすさまじく、同じクラスや同学年だけでなく、上級生の間でもファンがいると聞いたことがある。
 そんな人から話しかけられて少しノートを貸すだけでも私にとっては非日常なのに、新開くんからのお願いは一回では終わらなかった。中間考査が終わってからも定期的に、それなりに重要なテストや提出物の期限前に彼は私に声をかける。
 断る理由もないから断れずに、私はノートを貸す。貸しながら、「新開くんにまた貸すかもしれないから」と考えて自分なりに努力してわかりやすく書いたノートのことを少しだけ恥ずかしく思う。

「苗字さんのノート、見やすかったからまた貸してよ」

 数日後にそう言ってノートを返す新開くんの手に自分の手が一瞬触れてしまっただけで動揺してしまう自分のあまりの単純さは、どうしようもなかった。


**

 たかがノート一つで、彼との何か特別な関係が始まるなんて期待はしたくなかった。どうせ、新開くんがノートを借りる相手なんて山ほどいるわけで、私はその中の候補の一人でしかない。
 だから新開くんとは一定の距離を保つようにしていたし、時には自分でも素っ気なさ過ぎるかと反省するほど冷たい態度をとったこともある。必要以上に彼に近づいて期待をして、傷つくのが怖かった。
 そんな私の態度の不自然さは、彼にはとうにバレていたらしい。

「苗字さんって、どうしてオレに冷たいの? 彼氏でもいるわけ?」

 いつものようにノートを貸した後、流れでなぜかお昼ご飯をおごってくれた新開くんは、ずばりそう聞いてきた。
 昼休みの混雑した食堂の一角で、突き刺さる周りからの視線に耐えながらかじるサンドイッチは全く味がしない。
 ついさっき新開くんは「これから毎日一緒にどう?」なんて言っていたけれど、私の方のメンタルが持たないだろう。どうにかしてそれは断りたい。
 
「い、いないけど……」
「ふうん。男が苦手ってかんじ? 緊張しちゃうとか」
「それはちょっとあるかも」
「なるほど」

 焼きそばパンを口にしながら「あんまりオレそういうのわかんないからさ」と言う新開くんは、確かに人見知りなんてしなさそうだ。
 それに、自分が目立っていても、特に気にしないタイプでもある。さっきから周りが「新開(くん)が女子と二人でごはん?」とざわついている様子にも全く動じていない。今すぐ逃げてしまいたいと思っている小心者の私とは真逆だ。

「あの、新開くん。やっぱりさっきの…明日からの話、なかったことに――」
「次の授業って何だっけ」
「……数学、だったと思う。多分」
「じゃあ、ギリギリに教室戻ればいっか。ちょっとデザート買いに行ってくる」
「……」
「プリンとティラミスならどっちがいい?」
「二択?」
「その方が選びやすいから」
「私はいいよ。そこまでおごってもらったら悪いから」
「いいって。で、どっち?」
「…………ティラミス」
「了解」

 何か新開くんにうまいこと丸め込まれたような気がしなくもない。明日から毎日これが続くとすれば、私の日常は大きく変わってしまう。新開くんのように目立つわけでも、まして目立ちたいわけでもない自分が新開くんと毎日一緒に、だなんて冗談にしてはたちが悪い。
 断らないといけない。じゃないと、いろいろと私にとって困ることになる。それなのに、どうして新開くんの姿を目で追ってしまうんだろう? 

「どっちも売切れてたからシュークリームにしたんだけど――って、何百面相してんの?」

 新開くんが笑ったとき、その表情を見て、私の心臓はどうして高鳴っているんだろう? 理由なんてわかってるのに、でも。




back
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -