口実は捨てた

 テストの時期が近づくと、どうしようもなく憂鬱な気持ちになる。
 クラスの周りの大半のヤツもそうだろうけど、オレにとっての試験はそれとは深刻さのレベルが違う。「授業は真面目に受けろ」だの、「テストで赤点を取るようなら部活動は制限する」だの、高田城さんから常々嫌になるほどその手のお小言をもらっているから、何があっても赤点なんて取るわけにはいかない。
 それでいて我が自転車競技部の新キャプテンである真波さんは高田城さんの献身的なサポート(テスト対策)でギリギリなんとかなっているという話なのだから、オレだけでなく他の部員もどこか「不公平じゃね?」と思っているだろう。
 しかしそういった不満を言ってもどうにもならないので、オレも試験対策はそれなりにしている。普段の授業は寝ていることもあるけど、まあそれも先生たちから咎められるほどのものでもないし、半分くらいは授業内容もわかっている、はずだ。真波さんと違って、遅刻が日常茶飯事ってこともない。
 といっても独学で全てカバーできるほどの時間の余裕はないから、クラスの中で成績がそこそこ良さそうな人に「ノート貸して」と普段から言ってときどき借りておく。そこでノートの内容を見て、わかりやすく書いていると思った人からはテスト直前にもノートを借りる。
 借りる相手には悪いけど、ノートの内容でちょっとしたトーナメントを開催しているようなものだ。
 今、オレのクラスの中で一番ノートを借りやすくてなおかつわかりやすい内容なのは、苗字さん。オレがこうしてノートを借りるようになるまでは関わる機会もほぼなかったような文化系の女子だ。
 何度かノートを借りてからも、彼女はなぜかずっとオレに対しては素っ気ない。いや、もしかしたら男子全員に対して素っ気ないタイプなのかもしれないけど、少しは心を開いてくれたらいいのにと思う。
 
 昼休みの始まりを知らせるチャイムが鳴って、クラスの何人かが勢いよく食堂へ飛び出していくのを見送った後、オレは財布を持って席を立った苗字さんに後ろから「ちょっといい?」と声をかけた。「何?」と振り返った彼女の表情は、やっぱりどこかオレのことを警戒しているように見える。

「いつものことで悪いけど、ノート貸して」
「……ちょっと待って。はい、コピー」
「え、準備よすぎない?」
「だってテスト前は毎回聞かれるし、いちいち貸してたらこっちが勉強できないでしょ」
「ふうん」

 オレに机の中から出したノートのコピーの束を渡してからは、苗字さんは話を長引かせることもなく廊下にさっさと歩きだしていた。

「待ってよ。そんな急いでどこ行くの?」
「食堂。早く行かないと席がなくなるから」
「じゃあ一緒に食べようよ。ノートのお礼でおごるし」

 早歩きでオレを振り切ろうとする苗字さんの小さい抵抗は、残念ながらオレに対しては無意味だった。多少早歩きになったところで女の子の歩幅なのだから、オレに追いつけないわけもない。
 すれ違う名前も知らない同級生がオレを見て何かこそこそ話をしているのがふと視界に入る。入学後は先輩からの「新開の弟」という先入観と期待が混じった視線がうっとうしかったけど、インターハイ後はオレ個人を真正面から見られているような気がする。それはそれで慣れないかんじもするけど、悪い気はしない。
 ただその視線の何割かを受ける苗字さんは、露骨に「一人になりたい」という空気を出していた。

「…いい。新開くんと一緒とか、目立つから」
「別にほっときゃいいじゃん。何か困ることある?」

 不意に顔を近づけたら、「近いって……」と少し引かれた。苗字さんとはそれなりに会話をしているはずなのに、距離が一向に縮まらない。むしろ話せば話すほど、苗字さんの方から離れていくようなかんじがする。
 女子と話すのって難しい。

 苗字さんは「サンドイッチだけでいい」と言うので、売切れる前に先にそのサンドイッチとオレの分の焼きそばパンを買った。オレのメインとしては日替わり定食を狙っていたのにそれは無情にも売切れていて、仕方なくチャーシュー麺にした。焼きそばとチャーシュー麺――まあ、アンバランスなのはこの際仕方ない。
 混雑している食堂にも幸い二人分の席はあったので、二人で向かい合って座った。チャーシュー麺の汁で汚れないように、コピーは苗字さん側に置いておく。

「てかさ、このコピーってホッチキス綴じてくれてる? すげ」
「暇だったから」

 少し照れたようにうつむいた苗字さんは「そんなの大したことじゃない」とでも言いたげな顔をしていたけど、実際このコピーを取る手間を考えたら、結構大変だっただろうというのはある程度想像がつく。
 チャーシュー麺を食べ置いてからコピーの束をぱらぱらとめくって、白黒になった苗字さんのノートの文字を見ていたら、オレから話しかける口実がこのコピーによってなくなってしまうことに対して少し惜しい気持ちになってきた。

「ねえ、これから毎日食堂でテスト範囲教えてくれない? オレ、部活あるから放課後とか無理だし」
「新開くん、そこまで成績悪くないでしょ」
「まあそうなんだけど」

 嘘にしても、さすがにバレバレすぎたようだ。怪訝そうな顔をしてサンドイッチをかじっているこの目の前の女の子は、オレをどうも信用していないらしい。軽薄だとか、誰にでもそんなこと言ってるだろとか、内心思っているのはそんなところか。
 それならもう、変に取り繕うのも逆効果だろう。

「じゃあ直球で言うけど、苗字さんと毎日ごはん食べるのもいいかなーって思って」
「……」

 オレのその言葉は予想していなかったのか、サンドイッチを食べていた苗字さんの動きがぴたりと止まった。とほぼ同時に、彼女の顔が赤くなる。
 
「そういうの、誤解されるからやめて」
「どういう誤解?」
 
 こうして話している間も、周りからの視線は感じている。数時間したらくだらない噂になったりするのかもしれない。彼女が言いたいこと、懸念していることはオレももちろんわかっている。
 けれど、とぼけて微笑む。焼きそばパンをかじって、何もわかってないフリをする。そうすれば多分、オレにこの場ではっきり言い返せない苗字さんは言葉に詰まるだろうから。

「いいでしょ、ごはんくらい」

 ダメ押しでそう言えば彼女はきっと渋々承諾してくれるだろうと、根拠もそれほどないくせに、オレはほぼ確信していた。




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