運命じゃない

 例えばオレが望んだ過去の時点に今戻れるとして、いつがいいっつったらそりゃもう、答えは決まってる。
 苗字のことを好きだと自覚した日、あの瞬間。そこに戻ってすぐにでも、なんとしてでも苗字とそれ以上関わらないようにしたい。大して仲も良くなかったただの同級生としてそれ以上の続きがないようにしてしまう、っつーわけだ。
 オレは苗字を好きになった上で、なんとなくその気持ちをしまったまま、大人になりたかった。



 
 成人になってからの私立の高校の同窓会は、大抵、ろくなモンじゃない。
 まず会場が縁もゆかりもないホテルって時点で、服装に気を遣う。そんな大層な会場で、まだ世間様から見ればただの若造でしかないヤツがお互い高校を卒業してからあれをしたこれをしたと得意げに語ったり、あるいは逆に謙遜を交えて「高校に戻りたい」と言って昔を懐かしんだりする。オレから見ればどっちもクソ。
 福ちゃんが「荒北も来るか?」とか聞いてこなけりゃ来なかったのに、とムダにでかい舌打ちが出そうになったのをこらえたのは、我ながら結構我慢した方だと思う。
 せめて会費を払った分飲み食いだけはしておくつもりで、手当たり次第にステーキやワインやらを取りまくって片っ端から味わうこともなく口に入れていると、後ろから「あの、もしかして荒北くん?」とオレに声をかけてくる女子の声がした。めんどくせえやつだったら一言二言喋って終わりてえな、と考えながら振り向いたところには苗字がドレス姿で立っていた。

「苗字……? なんだその髪型」
「え。一応美容院で巻いてもらったんだけど、変かな」
「別にィ。てか、同窓会ごときでわざわざ美容院行ったのかよ」
「だって、こんなホテルだったらちゃんとした格好で来ないといけないかなって……」
「そうか?」

 軽口を叩きながら、内心「やっべェなこれ」と思っていた。同窓会に出席することを決めたときから、ほんの少しだけ、こいつに会えることを期待もしていたから、驚きはそれほどなかったものの、想像していたよりもずっと――絶対にこいつ本人には言わないけど――綺麗になっていた。
 こいつを前にするとオレは、感情と欲求を持て余していたあの高校の頃の気持ちに戻ってしまう。いつまで経っても未練タラタラかよと自分を笑いたくもなる。
 
「荒北くんが来ると思ってなかったから、びっくりした」
「そうかァ?」
「福富くんとか東堂くんとかなら、来るだろうなって思ってたけど」

 そう言ったときの苗字の表情で、いろいろ面倒なことを察してしまった。オレと同じで、こいつも結局は好きで好きで仕方なかった相手とはどうにもならなかったらしい。

「福ちゃんは来るらしい。……けど、東堂は来ねぇって言ってた」

 言いたいわけではなかったものの、東堂について全く触れないのも不自然だからと一応補足した。「東堂」と聞いた瞬間にぴくりと苗字の睫毛が動いたのは、やっぱり少しは期待していたんだろう。

「……そうなんだ」
「用事あるんだと。家のことかもな」

 取ってつけたようなフォローをしながら、東堂がこの場にいたらこいつはオレに話しかけただろうかとふと考えた。話しかけないだろーな、多分。東堂がいたら、東堂のことしか見ていない。苗字はそういう女だ。

「これ終わったら、どうすんの」
「うーん……何も考えてなかった」
「どっかで飲むか?」
「うん」

 あまりにも自然に頷いた苗字を見て、「やっぱ冗談」と言う程には自制のきかなかったオレはもうとっくに手遅れだったんだろう。





 そこで連れて行ったのがシャレたバーのカウンターだったりすれば少しは格好もつくのかもしれないが、行くところがどこも満席のせいで断られ続け、結局オレの狭いワンルームのアパートに連れていくことになった。一般的に言えばヤリチンのくだらねえやり口みたいな結果になってしまったため、隣にいる苗字はさぞ帰りたそうにしているだろうと思いきや、特に帰りたいと言うでもなく平然とついてきた。それはそれで、なんだかこちらが落ち着かない。
 たびたび大学の連中が飲みに来るので、それなりに酒のストックは冷蔵庫に入れてある。黙ったまま床に正座をしている苗字に「ビールとチューハイならどっちがいい?」と聞いたら、「チューハイ」と返ってきた。オレは缶ビール、苗字はチューハイ。違う酒をちびちび飲みながら、どうってことない話を少しずつした。
 もちろん、東堂の話なんて全くしなかった。酒を飲みながら今さらどうしようもない過去の話なんてしたところでお互い居心地が悪くなるだけで、いいことは何もない。今は大学の学部で何を専攻していて、教授が異様なまでに休講を繰り返しているだの、バイト先が最近シフトを追加してきて大変になってきただの、当たり障りのない話ばかりしていた。
 つまみに出したポテチをかじりながら、ほぼ空になっている缶チューハイに口を付けつつ、「どうして部屋に誘ってくれたの?」と苗字が話を切り出した。

「好きだから。……っつーか、昔からずっと」

 嘘をつくこともできた。「店がなかったから仕方なく」と日和るなり、「セックスのチャンスがあるかと思った」とわざとクズを装ってみるなり、選択肢ならいくらでもあったはずだ。でも、こいつの前では取り繕うだけムダな気がした。
 オレの答えを聞いた苗字は、少しだけ驚いたような顔をしてオレをじっと見つめた。

「荒北くん、私のことウザいと思ってるのかと思ってた」
「まあウザいとも思ってたけど」
「そこは当たってたんだ」

 昔よりもずっと明るく笑っているのに、こいつの笑顔にはどこか影がある。
 ずっと好きだったはずの苗字を前にして、これ以上白々しく酒を飲む気にもなれず、肩を抱き寄せて唇を重ねた。触れるだけの、ただのお遊びのように。それでも突き飛ばされる覚悟はしていたのに、キスをしても苗字は特に何も変わらなかった。

「怒んねえの?」
「そういうつもりで連れてきたのかと思ってたから」

 口の端を上げて笑った苗字は、そのままくるりとオレに背を向けて、「ホック、外してくれる?」と髪の毛をかきあげ真っ白なうなじをさらして、そう促した。
 あまりにすんなりと事が進むことに興ざめでもすれば救いもあるだろうに、情けねぇことにオレはオレでやめておこうとかいう気はさらさらなく、促されるがままそのホックに触れて、大して手こずることもなく外した。その後に苗字はよどみなくファスナーをするすると下してから振り返った。
 ずっと好きだった女を抱けるのに、これで良かったと思えないオレがどうしようもなくみじめに思えて、その感情を捨てるために、苗字の唇にもう一度だけキスをした。




back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -