夏祭り

 夏祭りに女子と行くのは何年ぶりだろう、と考える。少なくとも高校に入ってからは一度も行っていない。部活はいつも忙しかったし、そもそも彼女がいなかった。告白されても、「付き合おう」という気持ちになれずに部活を理由に断ってきたから。周りも基本的にそんな連中ばかりで、気が楽ではあったものの「オレの高校生活ってこのまま色恋と無縁で終わるのか」とふと思うと少しの寂しさを感じていた。
 インハイが終わり紆余曲折を経て名前と付き合い始めてから、男というのが至極単純な生き物と称される理由が少しわかった。いや、正直に言うなら付き合う前から薄々気づいていた。  
 名前が今何をしているのか気になる。オレのことを考えてくれたらいいなと思う。「東堂くん」とオレを呼ぶその声が愛しくて仕方ない。周りからは「巻島と何が違うんだよ」と言われたけれど、巻ちゃんは好敵手であって、名前はオレの彼女なのだから何も重なるものはない。仮に巻ちゃんに彼女ができたらオレは普通に祝福するだろうし、オレ以外のライバルができたとしても――そりゃあ多少は気になるけれど――それで巻ちゃんのクライムにさらに磨きがかかるならオレにとっても喜ばしいことだと思える。でも、これから名前がオレではなく他の男を選ぶ日が来たら、そんなに冷静にいられる自信はなかった。
 そんなことは杞憂だとわかっていても、だ。

「東堂くん」

 待ち望んでいた声が聞こえて、自分でも驚くほどに心拍数が上がる。学校にいる時は自然にいられても、外で二人となると否応なく緊張するものだ。名前は全く気づいていないようで、「東堂くんはいつも堂々としててかっこいいね」なんて言うけれど、オレだっていつもいっぱいいっぱいだ。現に浴衣姿の名前を視界に入れただけで固まってしまっている。

「…名前」
「?」
「綺麗だ」

 思わず口をついて出たオレの素直な感想に、名前は耳まで真っ赤にして「え、あ、ありがとう…ございます……」とうつむきつつぺこりと頭を下げた。髪の毛をアップにしているために白いうなじがちらりと見える。平常心平常心、と言い聞かせながら名前の手をとった。

「向こうにたくさん露店があるんだ。回ってみないか」

 うん、と頷いた名前の手は少しだけ熱くて、このまま祭りに行くなんてやめて連れて帰りたいと一瞬だけ思ってしまった。二人で帰ったところで寮には厄介な知り合いがわんさといるのだから、できるはずがないのだが。



 気の向くままに歩いて、露店で食べ物を買っていくうちに緊張は解けてきた。かき氷に、ベビーカステラに、たこ焼き。加えてチョコバナナとりんご飴。露店の主人があまりに熱心に勧めるものだから、一昔前の子供向けアニメのお面まで買ってしまった。高校生になってお面を買うのもなんだか変な気分だったけれど、横で名前が魔法少女のお面に熱い視線を送っているのを見て素通りすることなどできるはずもない。
 露店だけで済ませるのも味気ないので花火でも見て帰ることにして、露店から少し離れた場所にある公園のベンチに座った。空に上がる大小の花火を堪能しながらベビーカステラやチョコバナナを食べる。一つくらい寮にお土産として買ってもよかったが、僻まれて嫌味を言われるのは目に見えていたのでやめておくことにした。

「いっぱい買っちゃったね」
「おまけもしてもらったからな。…お、これ美味いな」
「どんな味?」
「食べてみるか? ほら、あーん」
「あ、あー…」
 
 躊躇いがちに口を開けた名前はこういったことに不慣れなようで、大した意図もなく「あーん」と言ったこちらまで照れるほどに恥ずかしがっていた。しばらく気まずくなって、花火を楽しむ余裕もなく無言で食べ物を口に運んだ。大体食べ尽くしたところで、花火もクライマックスに差しかかったのか大きめのものが上がっていた。こんな美しい夜空と花火を見ながらずっと無言というのも、なんだか良くない気がする。ちらりと横の名前を見やるとちょうど同じことを考えていたのか、目が合う。「「あ」」と同時に口を開いて、なぜか咄嗟に視線をそらしてしまった。

「た、楽しかったな!」
「う、うん! 来年も来られたらいいね」
「……来年…」

 何てことのない、すぐ先の話だ。「そうだな」と頷いて流しておけばいい。そうしていい思い出として今日を終えて、それで済ませてしまえば。ごまかしたがる感情に、理性が囁く。それでもいつかは話さないといけないのなら? 同じことじゃないのか?

「名前はもう、進路は決めたのか」
「まだあんまり。…大学に行こうかなって思ってるくらい」
「…そうか」
「どうしたの、東堂くん」
「……」

 本当のことは、言えない。今は。名前と同じ進路は選ばないだろうということも、今のように毎日会えなくなることも。オレがイメージしている将来のことも。それを言えば名前を悲しませるのがわかっているから――いや、それ以上にオレの気持ちの準備がまだできていないから。離れたくない。ずっと名前の隣にいたい。そんなものは現実を見たくないオレのわがままに過ぎない。
 ただ、今日くらいはそのわがままを貫き通したかった。

「好きだ」

 花火の残滓が残る空を見つめている名前にそう告げると、「と、東堂くん?」と驚いたように上ずった声を返された。どう言えばいいかなんてはっきりした答えはないし、今さらごまかすのも性に合わない。名前の肩に手を回して抱き寄せる。

「オレは名前が、好きだ」
「え、えっ…どうしたの、改まって…」
「でも…卒業したら、もう傍にはいられないかもしれない」

 ぎくりと名前が身体を強張らせたのがわかった。将来の話なんて普段口にすることはない。フクや荒北や隼人は大学に進学すると言っていたから、オレも同じだと思われていたとしてもおかしくはない。
 泣かれても当然だと思っていたのに、名前は「わかった」とあっさり言った。あまりのあっさり加減にオレの方が面食らってしまったほどだ。

「大丈夫」
「…名前」

 ゆっくりと名前がオレの背中へ腕を回す。早くなる鼓動はオレのものなのか名前のものなのか――おそらくどちらも。

「私も東堂くんのことが好き。…一緒にいなくても、離れてても…ずっとずっと、好き」
 
 他の誰かが言ったら、雰囲気に流されて言っているだけだろうと思うだろうに。名前のその言葉はオレの絡まった感情を解きほぐすのに充分だった。単純なことだ、オレが名前の最初で最後の男でいられたらいい。来年も再来年も、名前がオレのことを好きでいてくれるなら、それでいい。
 そんなわがままを受け入れてくれる名前を、オレはもうどうしようもないくらいに愛してしまっているから。




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