番外編:取るに足らない昔話の呪い

*新開視点
*新開と東堂の話








 何をやっても失敗しない人間というのを俺はそれまで見たことがなかった。
 そして本人は謙遜することなくそれを堂々と示して見せる。最初は嫌味なヤツだと陰口を叩く男も少なくはなかったけれど、本人が全く気にしなかった上にむしろ堂々と「男の視線も集めてしまうとはオレは罪な男だな!」と言い切ったものだから次第に鎮静化した。
 同じ部活だと知った時の驚きは今でもはっきり覚えている。思わず「え、冗談じゃなくて?」と聞いてしまい、「失礼な男だな」と睨まれたほどだ。中学からふわっとした噂は聞いたことがあった。地元の大会で伝説的な優勝をやってのけた素人クライマー。入寮するとは聞いていたけれど、俺が頭の中で「東堂尽八」について勝手にもっとストイックなイメージを作り上げていたせいか、違和感が大きすぎたのだ。

「正真正銘、オレが東堂尽八だ。三年間、よろしく頼むぞ。新開」

 その言葉と共に握手のため差し出された手は、自転車乗りの手をしていた。



 
 想像はしていたものの箱根学園で自転車競技部にい続けるということそのものが誰にでもできることではなく、一年であろうが課せられるメニューや練習量はできるかどうかギリギリの容赦ないラインで、つまり死ぬほどハードだった。練習の後に吐くことも度々あったし、これで寮の食事がまずかったら心が折れていたはずだ。
 自分たちの練習だけでなく先輩の練習の手伝いもして、機材の片づけ、場合によっては監督からのアドバイスを受けたりと、時間はいくらあっても足りなかった。寮に着いて自分の部屋のベッドに倒れこんだ瞬間に泥のように眠ったのも一度や二度じゃない。そして大抵、寿一か尽八に夕飯前に叩き起こされたっけ。

「寝るのは風呂に入ってからにする方がいいぞ。質のいい睡眠をとるのはアスリートの常識だ」

 尽八のそうしたお説教はいつも正論だったけれど、眠すぎて右から左に聞き流していたせいでほとんど覚えていない。食事の合間にも続く尽八の話はもしかしたら今の俺にとってすごくためになるものだったかもしれないから、そう考えると損したかもなあとも思う。でも食欲に勝るものは何もない。食べ盛りの男子高校生に自制を求めるのは酷な話ではないだろうか。
 食べることに集中してちっとも話を聞いていない俺に「聞いているのか!」と呆れ顔で言いつつも、尽八はいつも最後には黙って、おかずを一つ分けてくれた。

「サンキュ」
「そんな風に美味しそうに食べられるのならこの鳥も本望だろう」

 尽八が特別小食だったわけではないが、寮の食事は基本的に多めに出されていたから食べきれないことが多かったらしい。一年でまだ身体が出来上がっていない時期は特にそうだった。俺も難なく食べ切れたことは少ない。それでも見栄と意地で食べきっていたら自然と慣れた。


 目立ちたがりという性格といい、得意分野の違いといい、さほど自分と意気投合する要素があったとは思いにくいのに、不思議と尽八と話す回数は増えていった。人付き合いが上手い方ではない寿一とも難なく打ち解けていたし、こいつと一緒にインターハイを走れたら楽しいだろうなと思った。俺の学年が三年としてチームをまとめる年は、箱根でインターハイが開催される。俺には関係のない話だが、部としては地元の意地をかけて山岳賞を取りに行くに違いない。尽八はインターハイの話を自分からあまりしないけれど、全く興味がないことはないだろう。箱根学園に入る自転車乗りが目標にすることは一つだけと決まっているのだから。
 そんな俺の予想を軽々と越えてくるのが東堂尽八という男だった。

「お前にもファンクラブがあると聞いたが本当か、新開」
「へ?」

 いつものように練習を終えて着替えている最中に、尽八は毎度のことながら全く予想だにしなかった話を振ってきた。たかが高校生にファンクラブとは冗談も行き過ぎでは、と考えたものの、尽八の顔は冗談を言っている風には見えなかった。

「ファンクラブって何?」
「女子のファンだよ。今日話しかけられていただろ」
「ああ…なんか、やたらと差し入れくれる子たちのこと?」

 練習が終わるとどうしても腹が減る。だから食べ物や飲み物の差し入れはありがたくもらっていたし、俺だけでなく周りも渡されていたように思う。それに何かもらったからといって俺は彼女たちのことを何も知らないわけで、そこから何か始まることもない。 

「いやいやいやいや、冷たすぎるだろう! 大体お前目当ての子が多めに作って配ってるだけで…ってまさか、気づいていなかったのか!?」
「うーん。そんな興味ねえかも」
「なぜだ!! 応援してくれる女の子に何も思わんのか!」

 めんどくさくないか、そういうの。と出かかった言葉を飲み込む。もらえるものはもらって、その分部活で頑張ればいいだけの話だ。

「尽八だって、愛想よくしてるだけで付き合ってるわけじゃねえじゃん」
「一人だけ特別扱いするなどオレのポリシーに反するからな」
「そっちの方がひどくねえか」
「ひどくないさ。オレは彼女たちの応援を無駄にはしていない」

 「お前と違ってな!」と自信満々に言ってのけた尽八に「はいはい」と適当に返事をしながら、ネクタイを緩く締める。寮までの少しの距離でも着替えなければならないのは少し億劫だ。べらべら喋っていた割に尽八の方が着替えるのが早いのも納得いかない。それも毎回。
 俺の対応が冷たいと指摘した尽八の「ファンクラブ」への対応は確かに模範的なものだった。声をかけられれば笑顔で応じ、仮に軽く走っている間であっても無視はしない。

「東堂くん!」
「指差すやつやってー!」

 女の子の歓声に応じてみせる姿はアイドルのそれと大差ないほど完璧なもので、尽八が本当に俺と同じ高校生なのか疑いたくなったほどだ。たまに本気でこいつは単なる目立ちたがりじゃないかと疑ったことさえある。けれど結論はいつも同じだ。坂を上る尽八を抜けるのは何人かの限られた先輩だけだし、いくらパフォーマンスをしていようと実力は本物だった。

「応援ありがとう!」

 ただ、尽八を見ていて一つ思ったことがある。小さな疑問。取るに足らない仮定の話。それは尽八が口にした言葉に端を発する。

『一人だけ特別扱いするなどオレのポリシーに反するからな』

 今は、そうだろう。でもこれからもし、尽八にとって誰か一人が特別になったら?
 そうしたら、尽八はもう尽八じゃなくなるんじゃないだろうか。その一人のために、尽八は何かを失うんじゃないだろうか。馬鹿げた想定だとはわかっている。ありえないと理性が告げているのも。でもその小さな疑問と勝手な考えは頭を離れることなく、それからずっと俺を縛り続けることになったのだった。




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