35

 二十世紀最大の戦略思想家と言われるリデル・ハートは、著書の中で「戦略の成功は、一にかかって、目的と手段との計算及び調整にある」と書いている。
 つまり、何事においても目的に基づいた入念な準備が不可欠ということだ。政治や戦争といったマクロな領域だけでなく、部活やテスト勉強といったいたって身近な領域であっても同じことが言える。今の私のように、テスト前にクラスメイト(それも東堂くん)と二人で出かけるというあらゆる意味で無謀なことをしようとしている場合でも。


 できる限りのことはした。悩みに悩んだ末に決めた服と髪形は鏡の前で何度も皺が寄ったり崩れたりしていないか確認したし、しっかり充電した携帯の電池量は百%になっている。東堂くんがどこへ寄るつもりなのかはわからないけれど、大まかな駅周辺の地図と人気のある店の情報は頭にいれた。これで大抵のことは何とかなるはず。そして早めのバスに乗ったことで、集合時間の十五分前には着く。完璧とはいかずとも、ほぼ予定通り――
 と、そういった呑気な考えは時計塔の傍に立って携帯をいじっている東堂くんを見た途端に吹っ飛んだ。まさかもう先に着いていたとは。呆然と突っ立っていたら、ふと顔を上げた東堂くんと目が合った。ぱちん、と携帯を閉じてから「早いな!」とにっこり笑う東堂くんに「あ、ああうん」と頷いて、おそるおそる近づく。

「苗字のことだからきっと早いだろうとは思っていたがな」
「東堂くんはいつ来てたの…?」
「内緒だ」
 
 なんてことのないようにそう言われると「そっか」としか答えようがない。今こうして二人で話していても、近くを歩く女性たちからの視線が痛くて、休日なのに平日と同じような感覚を覚えた。

「どこか行きたいところはないか? 実を言うとあまりプランを考えてなくてな、行き当たりばったりになりそうだ」
「えーっと……」

 特に欲しいものはない。駅前で普段することといえば本屋で新刊をチェックすることくらいだし、服や雑貨は見ている時に店員から話しかけられるのがどうにも苦手でそれほど外で買った経験がないのだ。一通り店の場所は覚えているものの、今すぐ行きたいところがあるかと聞かれると難しい。

「そう真剣に悩まなくてもいい。歩きながら適当に考えようか」
「うん」

 「暑いから地下を通って行くか」と言う東堂くんについて行って、駅から地下へと降りる。東堂くんもよくここで買い物をしたり遊んだりするのだろうか。部活が忙しいだろうからそれほど頻繁に来ていることはないだろうけれど、女子と来たのは初めてではないかもしれないし。気になるけれど、知りたくない気もした。
 さりげなく聞いてみようかと私が悩んでいる間、なぜか東堂くんも何も話さなかった。さすがにずっと黙っているのも悪いかと思いつつも何も思いつかない。やっぱり普段全く人と遊びに出かけないというのは良くないのか。そうして私の思考が泥沼にはまってきたところで、東堂くんは独り言のようにぽつりと呟いた。

「オレとしては一度くらいキミと本屋に行ってみたいけどな」
「え……。どうして?」
「苗字がいつも楽しそうに本を読んでいたり本の話をしているからな。それに…少し、そういう時は隼人が羨ましくなるんだ」

 新開くんが羨ましい?
 東堂くんからそういった言葉を聞くのはなんだか変な感じがした。新開くんが東堂くんを、というならわからなくもないけれど。東堂くんは登れる上にトークも切れて、美形で(全て本人が常日頃言っていることだ)、ファンクラブまであって。優しいし、頭もいいし、私からすれば何の欠点もない人なのに。

「意外か?」
「うん。…東堂くんが他の人を羨ましがるなんて、珍しいというか」
「それは当然だな。オレは他人を羨む必要がほとんどない。……ま、かと言って全くないわけでもない。どうにもならないことだってある」
「…そうなんだ」
「いくら山神といえども、しがない男子高校生だからな。悩みだってあるさ」

 悩み。東堂くんとその言葉ほど遠いものはない気がした。部活でのタイムとか後輩との関係とかそういうことだろうか。何にせよ、東堂くんが悩むほどのことなら私が力になれることはほぼないだろう。

「苗字はどうだ? 悩みがあったら何でも相談するといい」
「私は……別に、ないよ」

 まさか本人の前で「東堂くんが好きだけど告白する勇気もなくてこのまま無駄に時を過ごしそうなことです」と馬鹿正直に言うわけにもいかない。こうして東堂くんの横を歩いていられるのもあと数時間だけ。席替えで隣同士でなくなればもう二度と話すことはなくなるかもしれない。しばらくは今井くんからの頼みごとの関係で少しは関わる機会もあるはずだけど。

「それならいいんだが」

 あまり納得していない様子の東堂くんには悪い気がするものの、本当のことは言えない。いつかは言いたい。東堂くんの気持ちがどうであれ、伝えるくらいはしておきたいと思う。
 と思っていても、東堂くんの傍を歩いて何て事のない話をしているだけで鼓動が早くなっている程度にまだまだ緊張は収まらないままだった。これでは告白だなんて夢のまた夢、せめて気休めにでも念入りに戦略を立てておかなければ。




back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -