33

 テスト前のためか終礼が終わった途端さっさと人が返っていく中、彼女は教室に現れた。
 女子から呼び出しを食らうという初体験の出来事にドキドキ、なんていう能天気なことを考えられる空気ではなかったものの、私の中ではその時不安というよりは何かを期待している気持ちの方が大きかった。これが東堂くんのファンの女子生徒であったり自転車競技部関係の人だったりすれば話は全く異なる。相手が顔見知りだからこそ、だ。私の記憶力がなさすぎるせいで名前を覚えていないとはいえ、彼女は私がそれなりに気を許せる数少ない人だった。

「苗字さんに、話しておきたいことがあるの」
「……何?」

 部活禁止でがらんとしている運動場の隅で、彼女は少し緊張した面持ちで話を切り出した。自然と私も背筋が伸びる。夏服になっても蒸し暑さがマシになることはなく、薄ら全身に汗をかいていて、さほど話し合いに向いている環境とは言えなかったものの。 

「…私の友達のこと。今まで言おうかずっと迷ってたけど…」
「友達……って」
「新開くんと付き合ってたの。かなり前…一年くらい前の事かな。そんで、別れてからその子病んじゃってね。今でも男の人のこと信じられないみたい」

 少し前に彼女が私に散々説教をしてきた時のことをふと思い出した。あの時、確か『私の友達みたいになってほしくない』と言われたような気がする。詳しくは知らない。ただ、新開くんのこれまでの女性遍歴についてはさほどいい噂も印象もないのでそれなりに想像はつく。

「新開くんが…その、フった…から?」
「ああ、まあフったっていうのは本当だと思うよ。そのあたりは新開くんの方が詳しいんじゃない? でも私が言いたいのはそうじゃなくて、見たままを信じない方がいいってこと。…その子、あまりに新開くんのことが好きだったからか――まあ恋すると女の子ってそういうこと多いのかもしれないけど――付き合いだしてから、なんていうか、嘘に耐えられなくなったんだって」
「嘘?」
「そ。誰だって周りに見せる顔と『彼女』に見せる顔は違うよね。でもそう上手く隠せるもんじゃない。新開くんはそこが天才的に上手いか…本人に自覚なくやってるのかどちらかなんだと思う。その子はそれが新開くんの嘘に思えて、かといって嫌いにもなれないからどうしようもなくなったの。苗字さんも、そういうのなんとなくわかる?」
「新開くんのことなら、言われなくても…」
「そうだね。『新開くんのことなら』」

 含みのある言い方に何かひっかかるものを感じて、彼女の表情をうかがう。真っ直ぐ私を見据える眼差しからは、なぜか試されているようなプレッシャーを感じた。

「じゃあ苗字さんは、東堂くんのことなら信じる?」

 息が詰まる。答えについて、彼女はおそらくほぼ確信している。私が黙ったのを肯定と受け取ったのか「それだったら大して変わらないと思うよ」と微笑んだ。

「と、東堂くんは…嘘をつくような人じゃないから」

 誰にでも優しくて、困っている時はいつも助けてくれた東堂くんが、嘘をつくなんてどうしても考えられない。好きな人だから、という単純な理由だけじゃなく。誰にでも意識しないうちに外に見せる顔と内に秘めた顔があるということも、彼女が私のことを心配してそう言ってくれていることもわかっているのに、否定せずにはいられなかった。
 すると、彼女は「あのね」とため息をついた。

「どうしてそう言い切れるの、東堂くんが嘘をつかない人だって。不思議に思わなかった? 今年に入ってから東堂くんがどうして隣の席になったってだけで話しかけてくるようになったか、とか」
「え……?」
「苗字さんのこと最初から利用するつもりだったんじゃないの? だから親切にしてたって可能性もあるよね」

 東堂くんが私のことを利用していた?
 最初からそのつもりで親切にしていた?
 私がこれまで信じていた東堂くんの姿は全て嘘だった? 

 一度も考えたことはなかった。でも、考えてみればありえない話ではない。東堂くんが何か私に隠しているのはわかっている。新開くんに関わること――もしかしたら、それ以外にも。三年になって急に、というのも何か理由があるなら筋が通る。
 頭の中でそう思ってしまったことを消したくて、つい語気を強くして否定してしまう。

「そ、そんなことない…!」
「うん、何の根拠もないから全然違うかも」
「え……」
「今のはぜーんぶテキトーな推測だから。忘れて」

 私の反論を彼女はあっさり受け入れた。確かに、その推測には何の根拠もない。客観的に見ればおそらく大した理由もないのに私が盲目的に東堂くんを信じているのと同じだ。

「だけど、それくらい考えた方がいいんじゃないってことが言いたかったの。私の友達が男にトラウマ持っちゃったのはそのせいだし」

 新開くん個人のせいとも思ってるけどさ、と付け加えたあたり、やはり新開くんに対して未だに割り切れないものはあるらしい。その友達は本当に新開くんが好きだったからこそ、受け入れられないものがあったんだろう。私も東堂くんがもし嘘をついていたとしたら――今まで私に見せていた顔が嘘だと仮にわかったとしたら――平気でいられる自信はない。
 マイナスの方向に考えていた私を励ますためか、明るい声で「考えすぎるのも良くないけどさ」と背中を叩いてフォローしつつ、彼女はにやりと悪戯っぽく笑った。

「ま、苗字さんが好きな人が誰かなんて最初からわかってたけどね」
「っ……!!」

 自分でも抑えようがなく顔が赤くなってしまうのがわかる。「頑張って」と言われて、こくりと頷きつつもそこまでバレバレなら隠しながら頑張るのも難しいだろうなと思った。周りの人が鋭すぎるのか、私がわかりやすすぎるのか。




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