番外編:ビブリオバトル

 きっかけは新開くんの何気ない一言だった。いつもと同じく図書室から下足室へ向かう廊下の途中。新開くんから話を振られる時は大抵ろくな話にならないと思っている私はあまり視線を合わさないように隣を歩くというなんとも無駄な抵抗をしていたのだけれど、それくらいで話を切り出すことを諦める新開くんではなく。

「ビブリオバトル、って知ってる?」

 仮にも図書委員である手前、知らないと言うわけにはいかない。ビブリオバトル――最近本好きの間で流行っているいわゆる書評合戦だ。各々がおすすめの本を持ち寄って、その内容や面白い点をプレゼンし、最終的に参加者に一番「読みたい」と思わせた人が勝つ。図書委員として企画したことも何度かある。体育会系と違ってあまり優劣を争うことに縁がないと思われがちな文化系、それも本好きが自分の持つ「最強に面白い本」で競争するというなかなかにイレギュラーな戦いだ。
 新開くんが意味なく何かを話し出すことはほぼないから(東堂くん曰く「隼人はああ見えてなかなか抜け目のないヤツだ」)、きっとこの話にも続きがある。

「うん。たまに図書室でもやってるよ」
「そうなのか」

 私の答えに頷きつつ思案をめぐらす様子には特に普段と変わったところはない。特に他意はなく聞きたかっただけなのかも、と結論づけて他のことを考えることにした。明日は調理実習だからエプロンとか忘れないようにしないと、とか、今日東堂くんに借りたサイクルタイムを早く読みたいなあとか、そういったことを。

「一度くらい俺もやってみたいな」
「そう」

 だから新開くんの一言を半ば聞き流して、適当に相槌を打っていた。それから新開くんが黙ったことを不思議に思って顔を上げると、珍しく拗ねたような顔をしている彼と目が合った。

「そう、って。俺、今誘ってんだけど、名前のこと」
「え」
「今週の日曜、空いてる? ビブリオバトルやろうぜ」
「え?」

 話の展開を理解できていない私に向かって新開くんは「残念ながらデートじゃないけど」と冗談を飛ばしつつ、断らせないようなプレッシャーをかけてきた。私がどうしたって断りようがない最強の一言で。

「尽八も誘うから」

**

 と、まあそういった経緯から私は日曜日に箱根学園の男子寮の前に来ていた。休みということもあってか時折出かける男子とすれ違う。怪訝そうな顔をする人、「デートの待ち合わせかよ」と舌打ちでもしそうなほどの僻みオーラでこちらを睨んでくる人、「新開ならもうすぐ来ると思うよ」と聞いてもいないのに新開くんの情報をくれる世話焼きな人、反応は様々だったけれど、私の居心地が悪くなるという意味ではどれも似たり寄ったりだった。
 待ち合わせ時間を三分過ぎたところでようやく新開くんが現れて、うっすら汗をかいている私を見るなり「ごめん、結構待たせたみたいだな」と謝った。その後続けられた「私服かわいいな」という見え見えのお世辞については「そう」と一言でスルーすることにする。こういうことをさらりと言えるから新開くんはモテるのかもしれない。新開くんが優しかろうが冷たかろうが私が新開くんに惹かれることはまずないけれど。

「尽八たちもそろそろ来るはずだから、もうちょっと待ってくれるか?」
「うん。…あとその、新開くん」
「ん? 何」
「私は多分寮には入れないと思う」

 いくら知り合いだからといって男子寮に女子一人で入るというのは私の精神的にも社会通念上からも良くないことだろう。東堂くんと休日に合えるということで無駄に気合の入った格好をしていることも今更ながら少し恥ずかしくなってきた。
 私のそうした不安を、新開くんは軽く笑い飛ばした。

「ああ、違う違う。ここは待ち合わせ場所ってだけだよ。ちゃんと学校で部屋は借りてある」

 さすがに寮に女子入れたら寮監に怒られちまう、と楽しそうに言っている新開くんを見ていると、なんとなくわざと私に黙っていたような気がしてしまう。新開くんのことだ、私の反応を見て遊んでいた可能性は低くない。
 じろりと新開くんを睨んでみたものの、新開くんはそしらぬ顔でエナジーバーをかじっていてそれに気づきさえしない。糠に釘、暖簾に腕押し。まさか新開くんと二人でいる気まずさを日曜日にまで体感する羽目になるとは思っていなかった。ため息をつきたくなるほど不毛な時間を過ごしながら寮から出てくる人がいないかぼうっと眺める。十分くらい経ってからようやく「苗字――!!」と手を振りながら東堂くんが走ってきて、その後ろから荒北くんと福富くんが現れた。

「靖友たちも参加してくれるみたいだから呼んでみたんだ」

 にっこりと笑う新開くんはおそらく私が彼ら二人(主に荒北くん)を苦手としていることをわかっている。仲良くしてくれたらいいな、なんて親切心からではないだろう。自己紹介より先に首根っこをつかまれて連行されれば第一印象が最悪なのは道理だ。今も私をじろじろ見ている荒北くんの視線はお世辞にも心地いいとは言い難い。朝から絡まれたらどうしようと不安にかられて目を泳がせていたら東堂くんと目が合う。

「苗字も参加するのか? しっかり見ていてくれ、オレの華麗な活躍ぶりを!」
「う、うん」

 制服姿とは違ったラフな東堂くんの格好は私の心拍数を上げるのに充分だった。私服で人と会うだけでここまでドキドキする乙女心が自分にあったとは驚きだ。
 新開くんたちはそんな私たちのやり取りをよそに和気藹々と話している。

「寿一たちもちゃんと本持ってきたか?」
「当然だ」
「テキトーなのでいいんだロ?」
「ああ。自分で紹介できる本ならな。あと、今回は小説ってことで」

 大まかに「小説だったら何でもいい」といっても、人によって小説の好みは様々で、だからこそ互いの好みの違いを知るのは楽しい。そういった意味では、私が誘ったわけではないにせよ荒北くんや福富くんが参加してくれたのが嬉しくもあった。
 私服で学校に行くというのはなんだか変な気がするけれど、たまには悪くない。東堂くんの私服が見られたから、という理由はあまりに安直に過ぎるだろうか。

**

 新開くんが借りた部屋は、校舎ではなく卒業生が同窓会などで使う別館、箱根学園会館の方だった。どういう申請をすればこの部屋が借りられるのか私は知らないけれど、この部屋をチョイスしたあたりに新開くんの今日に対する意気込みが感じられる。守衛の人から鍵を受け取って何やら書類にサインをしている新開くんを見て「こまけー準備してんな」と言った荒北くんの言葉には同意したい。
 守衛室を過ぎてから会館に入り、在学生が来ることは少ないはずの会館の中を迷うことなく歩く新開くんについて行く。自転車競技部とか体育会系のクラブだとOBの追い出し会とかで使うこともあるんだろうか。階段を上がって突き当りを曲がり、長い廊下を進んでようやく見えた会議室Cというプレートの前にたどり着いた時に新開くんは鍵を開けて私たちに中に入るよう促した。
 机や椅子は申請した人数に従って準備されていたのか、人数分きっちりそろっていた。円卓に椅子五つというシンプルなものでありながらも2リットルペットボトルの水とコップも置かれている。

「んじゃ、始めるか」

 全員が適当な席に着いてから新開くんがそう切り出す。

「箱根学園自転車競技部第一回ビブリオバトル、ってことで。司会は言いだしっぺの俺がさせてもらう。朝に軽く説明はしたけど、皆それぞれ持ち寄った本について自分でプレゼンしてもらう。プレゼンが全部終わってから、一番面白そうだと思った本にそれぞれ投票してほしい。それで勝者が決まるってわけだ。何か質問があれば今聞いてくれ」

 簡単な説明はもうしてある、と新開くんは言っていたものの、実際のところやってみないとわかりづらい点もある。あまり長々と説明ばかりしていると荒北くんあたりが遮りそうな気もしていたから、三分足らずの説明と質問形式はちょうど良かった。
 一瞬何か考え込んでいた東堂くんが「ちょっといいか」と軽く手を挙げる。「ああ、いいよ」と新開くんが答えてからフッと不敵に微笑んで、よくファンの子からせがまれている指をさすポーズを決めた。

「既にオレへの勝利は約束されたも同然だが…賞品は何かあるのか?」
「一応あるぜ。それは後のお楽しみってことで」

 新開くんが用意する賞品といってもエナジーバーしか思いつかない私は想像力が貧困なのかもしれないと思っていたら、荒北くんが「エナジーバーはいらねーかんな」と言っていたのでわりと皆考えることは同じらしい。「食べ物じゃないからそこは大丈夫だよ」という新開くんの答えに満足げに頷いて、東堂くんは「期待しているぞ」と笑みを浮かべた。
 対照的に全く賞品に期待した風もない荒北くんはじろりと私を見て、「オイ新開」と低い声を出した。十中八九私に関係する質問だろうと予想はできるものの、その非友好的な態度は怖すぎるのでどうにかしてほしい。

「コイツもプレゼンすんのォ?」
「いや、名前にはそれぞれのプレゼン内容についてメモをとってもらうのと…ま、いろいろと雑用を頼んである」

 私は新開くんから「議事録っぽいの作っといてくれ」としか言われていない。これ以上何を頼むつもりなんだろう。本当は参加したかったものの、「名前は絶対尽八に入れるだろうからダメ」と言われてしまったし、私自身それを否定できないから諦めた。
 二人の質問に答え終わってから、新開くんはそれまでずっと沈黙を守っていた福富くんの方を見た。

「寿一も何か質問ある?」
「特にない。要するに、適切な説明と戦略があれば勝てるということだろう」
「ああ」

 それだけのやり取りなのになぜか福富くんから強いプレッシャーを感じた。福富くんは福富くんなりにこのビブリオバトルに覚悟を決めて臨むようだ。そして、勝つつもりなのだということが伝わってくる。

「じゃあ誰からする?」
「新開からやればァ」
「うむ、そうだな。隼人が企画したのだから隼人からやってくれた方が流れがわかりやすい」
「オッケー」

 頷いて、新開くんが二冊の文庫本を机の上に置いた。

「俺が紹介するのはこれ。『グラス・キャニオン』上下巻、だ。かなり昔のミステリーだけど今読んでも充分面白いよ。かつては天才児として研究プログラムに参加していた少年が連続殺人犯として逮捕されるんだけど、主人公の小児臨床心理医はその逮捕を疑問に思って独自に調査し始めるんだ。というのも、その少年と主人公は研究プログラムで知り合っていて一時期いい関係を築いていたものの、少年の主人公への告白――恋愛的な、ね――で破局していてね。それに罪悪感を覚えたまま数年過ごしていた主人公が事の真相を探ろうとするという話だよ」

 一通り新開くんの説明が終わってから、なんとも言えない沈黙が下りる。
 げんなりした顔をしている荒北くん、反応に困っているのがよくわかる戸惑った表情を浮かべた東堂くん、全く気持ちの変化が外見から読み取れない福富くん、そして周りの様子をさほど気にした風もなく「どうかな?」と感想を求めている新開くん。自転車競技部のミーティングが毎度こんなかんじだと言われたら正直なところいろいろと心配になってしまう。重い沈黙を破って、荒北くんがため息交じりに呟く。

「しょっぱなからガチすぎんだろォ……」
「そうか?」
「それにしてもなぜこれを選んだんだ? かなり重いし人に勧めるにはハードルが高そうな本だが」

 当然と言える東堂くんの疑問に対して新開くんはしれっとした顔で「皆が知ってるような推理小説挙げてもスルーされちまうかなと思ってさ」と言ってのけた。ビブリオバトルにおいて本好きがよく考えることだ。ベストセラーランキングに入っているようなものを挙げても面白くない、誰も知らないようなタイトルを――発想としては決して間違っていない。
 でも内容を知っている私からすれば、その本を東堂くんがいる前で推薦することには特別な意味があるのかと勘繰らざるを得なかった。少年と主人公の関係はある意味で新開くんと東堂くんの関係にシンクロする可能性があるから。気の置けない関係を壊す爆弾を抱えていた少年。「自分でもわからない」と気持ちに答えを出さないままでいる新開くん。私の勝手な推測をよそに新開くんは「そうだなあ」としばし考える素振りを見せてからこう答えた。

「下巻の最後のシーンがすごく綺麗で、切なくなるんだ。そこだけでも読んでほしい、っていうのは言い過ぎだけど、今言ったあらすじ以上に面白いところがたくさんある」

 東堂くんはその言葉にふむ、と頷いてそれ以上は何も聞かなかった。新開くんから本を受け取って流し読みしているその横顔を見ているだけで私の心臓はうるさくて仕方ない。

「さすがだ、新開」
「ありがとよ、寿一」

 福富くんが何を「さすが」と言ったのかは私にはさっぱりわからなかったけれど新開くんには通じているのだろう。なんとなく「次誰にしようか」という空気になったものの「もう時計まわりでいいんじゃね」という荒北くんの一言と席順から、荒北くん、福富くん、(私は参加しないので除外)、東堂くんという順に決まった。

「っつーことで次はオレだからァ…」

 話しつつ荒北くんは単行本を一冊、どんと立てた。

「『サヴァイヴ』ゥ。大体おめーらなら読んだことあんだロ。俺らみてーにロードバイクやってるヤツの話ィ。シリーズもんだけどこれが一番いいんじゃね。短編集みてーなかんじだけど、この中に出てくる石尾ってクライマーがバカがつくほど正直で頑固で、どこぞの鉄仮面に似てるっつーか…ま、あんま時間なくてもさくさく読めるし、オレらみてーのにはちょうどいいんじゃねーか」

 どうやら私以外の三人は荒北くんが紹介したその本自体は知っているらしく、さっきのように戸惑った様子はなかったけれど、どこか意外そうな顔をしていた。 

「靖友の推薦本はIWGPあたりかと思ってたけど、そう来たか」
「荒北、お前…オレやフクがそれの感想を話していたときには特に何も言っていなかったのに、読んでいたのか?」
「っせェ!」

 そっぽを向いた荒北くんの表情はわからない。ただ、東堂くんの言葉から察するに荒北くんはその本が面白いという東堂くんたちの感想を聞いたからこそ読んだような気がした。聞いても正直には話してくれないと思うから真相は謎のままだ。
 荒北くんから無言の視線で促され、福富くんは二冊の本を机の上によく見えるように並べた。

「俺が紹介するのは『蒼穹の昴』だ。清の末期を舞台にしている。主人公の一心に努力する姿には胸を打たれる。西太后の時代に翻弄されながらも自分の信念を貫くところや李鴻章の力強さを感じさせる威厳もとても印象的だ。荒北が紹介した本よりは量も内容も重めだが、読めばその良さがわかる」

 単行本にして上下巻、文庫本になれば全四巻という長編でありつつも誰もその量に文句は言わない。それも当然だろう。そもそも新開くんが制限をかけていなかった上、この中で福富くんが推薦するものに読んでもいないのにケチをつけられる人など一人もいないのだから。

「……なんかもう福ちゃんに勝てる気しねぇわオレ」
「寿一がそういう小説勧めてくるとは思わなかったな」
「そうか? オレはフクらしいチョイスだと思うぞ?」

 三人の反応に「そうか」と一言で答え、福富くんは腕を組んで椅子にしっかりと座りなおした。自分のターンは終わったという合図だろうか。意図を汲んだらしい東堂くんのハイテンションな声が響く。

「さて、トリはオレだな!」

 スッと流れるような動作で音一つ立てずに東堂くんが一冊の文庫本を掲げる。

「俺が持ってきたのは『はつ恋』だ。ロシア文学と言うとどうも重そうだのなんだの言う奴がいるが、これなら誰にでも読めるだろう。憧れの女性と過ごすひと時、その儚さと少しの苦さを感じられるし、通り一遍の初恋話とはまた違った独特の味わいがある。主人公が憧れている少女もまた、ただの美人というわけでもないのがいい。初恋が叶う人間などほとんどいないだろうが、この話の中の『初恋』は苦味の中に芳醇な香りを閉じ込めたような、夢に似たところがあるから、読みながらにして初恋の苦さと甘さを味わえる」

 これまで私は東堂くんが教室や人のいる前で本を読んでいるところを見たことがなかった。だからこそ東堂くんが選ぶ本が気になっていたのは確かだし、仮に参加していたら内容の如何に関わらず東堂くんに入れていたことは新開くんに指摘されるまでもなく自覚していたけれど、まさか紹介するのが恋の話だとは思っていなかった。
 東堂くんの初恋はどうだったんだろう、と、やはりそれが気になってしまう。

「意外とロマンチックなもので来たな、尽八」
「おい、『意外と』とはなんだ『意外と』とは!」

 からかうような新開くんの言い方に噛みつく東堂くんは、なんだか教室などで見せる完璧で超人的な東堂くんとは違って、男子高校生としての素の姿のように見えた。そんなことを思ってもどうにもならないというのに、やはり私は新開くんのことを羨ましがってしまう。
 荒北くんの「で、もう全員終わったけどどうすんのォ」という一言によって新開くんが司会役に戻らなければ延々と私は答えも救いもないことを考え続けていただろう。筆箱からペン四本とメモを取り出して、新開くんは私を除く全員にそれを配った。
 
「じゃあそろそろ、投票タイムと行こうか」
「うむ! 圧倒的な差になってもキレるなよ荒北」
「どっから来んだヨその自信は」
「尽八、まだ勝負はついてないぜ。投票の紙は今渡したやつだから、それにいいと思った本のタイトルを書いてから折って名前に渡してくれ。それなら不正は起こらないだろ?」

 不正も何も、このビブリオバトルの優勝にそこまで熱意を燃やしている人はいないのでは、と一瞬思ったものの、企画した新開くんに負けず劣らず東堂くんはノリノリで参加しているし、福富くんも口数は少ないけれど一切手を抜いていないことは言葉や態度の端々から伝わってくるので、やりすぎだとも言えない。
 ただ一人、荒北くんだけは新開くんの提案を聞いて「何言ってんだコイツ」と言いたげな顔をしていた。

「しっかり頼むぞ、全てはキミにかかっている」
「う、うん」

 全員の視線が集中する中で、一枚ずつ折りたたまれた紙を開いていく。たった四枚なのでメモをとるまでもなく見たままをカウントして報告すればいい。私の予想では福富くんが優勝、荒北くんが次点、東堂くんと新開くんは一票入るか入らないか、といったものだったのだけれど――書かれたタイトルを目で追っていくにつれて、なんとも言い難い結果が見えてきてしまった。

「…………あ、あの…」
「ん? どうした?」

 私の手元をのぞきこんでくる東堂くんに、少しためらいつつも見たままのことを告げる。

「全員に一票ずつ、なんだけど…どうしたらいいかな」

**

 その後、借りていた時間ギリギリまでとりとめのない話をし、福富くんの「そろそろ戻るか」という一言によってお開きになった。守衛室に鍵を返してから、寮までの道をぶらぶら歩く。

「いやあ、まさかそういう結果になるとは思わなかったな」

 嬉しそうにそう語る新開くんを見ていると、割と強引に連れてこられた私でさえ少しほっこりした気持ちになる。東堂くんも新開くんに負けず劣らず上機嫌に「そうだな!」と頷いた。あまり自信はないけれど、荒北くんや福富くんも二人ほどでないにせよ楽しんでいたような気がする。

「ま、楽しかったから結果がどうであろうと構わんさ」
「ケッ。おめーがそれ言うか」
「俺も楽しませてもらった。次がもしあるのなら、他の奴も誘いたいものだな」
「他のヤツ…って、んな本読むようなの他にいるか?」
「読まない人間には読ませればいいだけの話だ」

 福富くんのその一言にはなんだか背筋が寒くなるものがあった。私が自転車競技部の部員で、福富くんに「本を読め」と言われたらその通りにする以外の選択肢など絶対にとれない。新開くんが自分の趣味と気分で企画したこのビブリオバトルに次があるとしたら、そして福富くんの主将権限によって参加人数を増やそうとするなら、相当大変なものになりそうだ。
 そして次回開催のことについて考えながらふと、一つ気になっていたことがあったのを思い出す。私の少し後を歩いていた新開くんを振り返った。新開くんは東堂くんから借りた『はつ恋』をパラパラめくっていたけれど、私の視線を受けて顔を上げる。

「新開くん。そういえば、賞品って何だったの?」
「ああ、言い忘れてたな。これ」

 ごそごそと新開くんが鞄から出したのは、最近公開されたばかりの映画の前売り券だった。イタリア映画で、何かどんでん返しがあるミステリーらしいという噂は聞く。

「映画のチケット…だったんだ」
「デート用に二枚、ってことで。場合によっては名前に相手頼むかもしれなかったから、優勝する奴がいなくてよかったかもな」
「そういうことは先に言ってほしいんだけど…」

 私に雑用を頼むって、そういうことだったのか。東堂くんと行けるならそれ以上のことは何も望まないけれど、荒北くんや福富くんと行けと言われれば相当気を遣うしおそらく向こうも楽しくないだろう。誰が得をするのか、この賞品は。映画のジャンルからしても新開くん以外のモチベーションが上がる賞品ではなさそうだ。
 そんな期待外れの賞品について話していると、前を歩いていた東堂くんが私と新開くんの間を割って入ってきた。

「何をこそこそ話しているんだ?」
「賞品の話だよ。映画のチケットだったんだけど、まあ俺が自腹で買ったやつだし自分で使うさ」
「…なあ隼人、まさか苗字と一緒に行くつもりか?」
「内緒」
「それはならんよ! オレの許可なく二人で出かけるなど!」

 憤慨したようにそう言う東堂くんに「じゃあ三人で行く?」とさらりと新開くんが言って、「オイ何浮かれたこと言ってんだァ?」と荒北くんが会話に入ってきて、「む、それは前から新開が行きたがっていた映画か」と福富くんもさりげなく聞いて、「いっそ全員で行くか!」と東堂くんが軽いノリで言い出したのを私は青春だなあ、と思いながら長く続く坂道をゆっくり歩いた。
 寮の前で別れる時に東堂くんから「というわけだから、再来週の日曜日は映画に行くぞ。空けておくようにな!」と言われ、いつの間にやら勝手に決まっているスケジュールに抗議する気も起こらず「うん」と素直に頷いたのは、きっと私も今日一日をそれなりに楽しめたからだろう。




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