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 口では何とでも言える。肝心なのは実際どうするかという、ただそれだけでしかなくて、その責任は誰にも押しつけられるものじゃない。今までは、あくまで東堂くんの隣の席に偶然座っているだけのラッキーな女でしかなかったから、私は自分に対する関心や羨望や嫉妬やその他諸々の「面倒」を無視することができた。でも、私がこれから自分で決めて自転車競技部に関わるとしたら? 
 荒北くんが念押ししたかったのはそこだろう。彼の言い方や私への態度は雑だったけれど、彼の言っていたことはまともだった。引き受けなければ、今井くんが少し困るというだけの話。私が今井くんの頼みを引き受けないといけない理由はどこにもない。それでも引き受ける理由を探している自分の小賢しさに嫌気がさす。

 練習が終わったらしい新開くんが図書室にやって来たときは、正直ほっとした。委員の仕事も何もせず、ぼうっとして過ごす時間は妙に長く感じられて、いつもなら入ってくる小説の話の筋は全く入ってこずにその文章はただの文字列にしか見えなかったから。
 さっさと図書室から出て、下校時刻ギリギリの中で静まり返った廊下を歩く。こうして新開くんの隣を歩くことにはそれなりに慣れてきた気がする。贅沢な話だ。

「今日は委員の日じゃなかったのか」
「うん」
「何の本読んでたんだ?」
「小説」

 大抵の人は私がこうして一言で答えると機嫌を悪くするか会話を諦めるものなのだけれど、新開くんはそう単純な相手ではない。気分を害する様子もなく「そっか」と聞いているのかいないのかわからない言葉を呟いてからポケットに手を突っ込んだ。あ、と思った時にはもう新開くんはエナジーバーを取り出して包装を軽く破いていた。
 新開くんが話の合間などになるとよくかじっているそれが何なのか気になって、一度東堂くんに聞いてみたことがある。あれはレース用の補給食だ、と答えた東堂くんの表情がどこか苦々しげだったのは、おそらくそれがカロリーや栄養から見て日常的に食べることには向いていないからだろう。でも、ロードレースの選手としてなら多くカロリーを摂ることを意識するのは当然だと言える。
 煙草みたいだなあ、と思った。話が詰まった時など時間が空けばごくごく自然に、それでいて中毒みたいに口にしているところが。ちっとも美味しそうに見えないのも煙草に似ている。

「あのさ、名前って俺のこと嫌い?」

 そして新開くんがエナジーバーを食べ終えてから切り出す話は、大抵突拍子もないものだ。そのくせ私の反応にさほど期待している様子はない。嫌いか、と聞きながらも新開くんは私の答えなどどうでもよさそうに先に階段を下りていく。
 東堂くんと違って、新開くんは本題にすぐに入ろうとしない。どうでもいいようなことを適当に聞きながら探りを入れてくるタイプだ。つまり、こちらが話したくないことをさりげなく聞き出すことに長けている。

「…いきなり、どうしたの」
「嫌い?」
「……嫌いだったら横歩いたりしないけど」
「じゃあ好き?」
「……」

 私が好きな人はいつだって一人だけだ。
 わざわざ聞かなくても新開くんもそれくらいわかっているのか、「ごめん、最後のはちょっとからかっただけ」と笑った。

「どうして名前は俺と一緒に帰るの嫌がらなくなったのか、気になってさ」
「……」

 私を振り返らず自分のペースで歩きながら、新開くんは何でもないようにさらりと言った。疑問を持つのは自然なことだ。でもどうしてこのタイミングで、と思った私の心の中を見透かしたかのように新開くんが「大体想像つくから聞かなかったけど」と呟いた。

「尽八から頼まれたんだろ」
「…知ってたの?」
「わかるさ。尽八が考えることくらい。少なくとも名前よりはわかってるつもりだよ」

 当然のように言ってのける新開くんに反論できるほど私は東堂くんのことを知らない。一年生のときから同じ部活にいたのだから私より新開くんの方が東堂くんと距離が近いのも、東堂くんの気持ちを察することができるのも何もおかしいことじゃないはずだ。でも少しだけ、嫉妬した。私の知らない東堂くんを知っていて、それを当たり前だと思っている新開くんに。

「悔しい?」
「…別に」

 自分でもごまかせていないなと思うほどにふてくされた声が出る。東堂くんのこととなると、いつも通りにはいかなくなってしまう。新開くんはそんな私を笑い飛ばすでもなく、静かな目でじっと見ていた。

「名前のそういうわかりやすいとこ、似てんな。尽八に」

 似てるわけない、と言おうとして、やめた。私は東堂くんのことを新開くんほど知らない。それに、新開くんのことだってそうだ。いくら毎日会っていようが、知っていることなんてほとんどない。一瞬ぎくりとしたのは、新開くんと目が合ったときに本能的に体が強張ったから。私の知らない目。値踏みするなんていう軽いものじゃない、それが何なのかなんて、そのときの私には知りようがなかった。




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