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 とある作家曰く、芸術にはバカとボケとパーの見方がある、らしい。
 見たものを文字通り「そのまま」見るバカの見方、自分の中である程度作者の意図を汲んで解釈して見るボケの見方、そして誰にも思いつかないようなある意味で革新的であり乱暴ともいえる独特の解釈をして絵を読むパーの見方。
 私はパーのような見方はできないけど、なんとなくその作品を作った人がどんなことを考えていたのかを予想するのは好きだ。美術室に入ると気持ちが落ち着くのはそういう理由からかもしれない。私は書道選択生だけど。
 そういうわけで、七限の書道が終わってから教室に戻る前に、人けのない美術室を少しのぞいてみた。美術の先生は作業室にいるのか、電気も消されてしまっている。壁にかかっている絵は卒業生の描いたものが多く、額の中で私の知らない人が私の知らない表情をして私の知らないことをしている。あるいは、人の形をしていない何かが、「ある」。私の想像が及ばない世界が確かにそこにあって、私はそれにどうしようもなく惹きつけられる。知りたい。触れてみたい。もっと考えて、解き明かして、私のものにしたい。その欲求は何かによく似ていて――

「ここにいたのか」
「ひっ!? あ、と、東堂くん……」

 肩に手を乗せられて文字通り飛び上がりそうになった私に逆に驚かされたような顔をしていたのは、案の定というかなんというか、東堂くんだった。電気が全て消されているし美術室の中はさほど明るくないのに、見つかってしまったらしい。

「そこまで驚かなくてもいいだろう。先に帰ったかと思えば寄り道をしていたのだな」
「うん…絵、見るの好きだから」
「そうか。さっきまでこの絵を見ていたのか? これはまた不思議な絵だ」
「東堂くんもそう思う?」
「ああ。わかるようでわからんよ」

 私の隣に立って、東堂くんも同じようにさっきまで私が見ていた絵を見つめた。その真剣な眼差しは、書道の時間に字を書き始める時のものと、似ている。普段は人を辟易させるほど怒涛の勢いで喋る東堂くんが無言で何かに向き合っている姿には、近寄りがたい雰囲気と美しさがあった。

「丸とか三角とか、それを作ってる線の太さとか細さとか、この絵を見たままで取れば全くといっていいほど意味がわからん。もしかしたら丸は円満、三角は曲がり角をイメージしているのかとか、太い線は男で、細い線は女を意味しているのかもしれんとか、考えてみても正しいかはわからないな」
「じゃあ、東堂くんにとってこの絵は熟年夫婦の絵?」
「そうなるな。離婚間際かもしれん」

 悪戯っぽく微笑んだ東堂くんにつられて私も少し笑ってしまった。東堂くんはいつだって私の予想を軽々と飛び越える。本人には言わないけど、東堂くんはきっとパーの見方が「できる」人だろうなと思う。するしないは別として。

「苗字はどう思うんだ?」
「東堂くんほど深くは考えてなかったから……。綺麗な絵だとは思ったけど」

 本当のことなど言えるはずがなかった。私があの絵を通して見ていたものが何かだなんて。言えばきっと、いくら鈍感な東堂くんといえど私の気持ちに思い至るに違いないから。

「そろそろ戻るか」
「うん」

 遅くなればクラスの人にいらない勘繰りをされかねない。東堂くんはそんなこと気にせずいつもの調子で乗り切るだろうから誤解はされないだろうけど、私はその「いつも通り」ができる気がしなかった。
 教室までの階段を東堂くんと歩くだけで、東堂くんと何気ないことを話しただけで、ふとした瞬間に東堂くんと目が合うだけで、その儚い幸せと時間を思って泣きたくなってしまう。私はバカにさえなれない。目の前にある大切なものを、まっすぐ見ることさえできない臆病者なのだ。




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