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 傘からぼたぼたと垂れた雨水が鞄へと落ちていく。
 あ、ノートがびしょ濡れになる。わかっていても、わざわざ抱えていくのもなんだか授業に必死な奴みたいで恥ずかしい。無残に濡れていく鞄をかばうことはせずに、ただ雨の音を聞く。バケツをひっくりかえしたような、という比喩を雨に対してはよく聞くけど、なるほど言い得て妙だ。暴力的なまでに聴覚を侵食するその音は、お世辞にも美しいとは言い難い。
 私は大抵予鈴が鳴る十五分前に校門をくぐる。早く着きすぎると退屈してしまうし、遅刻してしまえばばつが悪い。傘入れに適当に傘を突っ込んで、上履きに履き替える。屋内に入るとじめっとした空気が肌にまとわりついて気持ち悪い。今日は一日この湿気との戦いかとため息をつきたくなった。教室までの階段を上がりながら、そういえば一限の英語の宿題を全然やっていなかったな、と気づく。でももう遅いから諦めるしかない。
 そんなどうでもいいことを考えてふらふらと廊下を歩いていたら、向こうから誰かが手を振っているのが見えた。誰だろうと目を凝らせば、見知った隣人の姿。

「おはよう、苗字!」
「お、おはよう…東堂くん」

 珍しいこともあるものだ。予鈴が鳴る前に東堂くんと遭遇することは、まずない。自転車競技部の朝練がある上に、東堂くんは予鈴が鳴るまではわりと他のクラスに行っていることが多いから。完全に油断していたせいで、動揺してしまう。心臓がうるさい。

「鞄がびしょ濡れではないか」
「うん……雨、ひどかったから」
「そうだな。全く、こんな雨では外での練習も制限されてしまうから困ったものだよ」
「うん…」

 今日の東堂くんはどこか元気がないように見えた。雨はあまり好きじゃないんだろうか。朝練が外じゃないとテンションが上がらないとか? どちらにせよ、私にできることは何もない。私と話しているようでどこか心ここにあらずな東堂くんの横顔をじっと見つめる。

「苗字」

 東堂くんがその視線に気づいて、私を呼ぶ。

「……?」
「そんなにオレのことを物欲しげに見て、どうしたいんだ?」
「へ…っ!?」

 予想だにしなかった言葉に素っ頓狂な声をあげてしまう。自分でも顔が真っ赤になっているのがわかる。ああ、変な汗出てきた。見てただけでバレた? いや、私はそんなに東堂くんのことばかり見てたわけじゃないけど、でも勘が鋭い東堂くんなら気づいてもおかしくないし、きっと気づいていても「オレに見惚れる気持ちはわかるがな!」とか言って冗談で済ませてくれるものとばかり思っていた。それが今、私を見ている東堂くんの目はいつもみたいな自信を感じさせるものというよりは、全てを見透かすような、強い、ものだった。

「と、東堂くん、えっと」
「ああ、わかっている。何も言わなくていい」

 ぽん、と肩に東堂くんの手が置かれて、鼓動が一気に速くなる。どうしようどうしようどうしよう。混乱する頭で必死に考える。東堂くんとここで気まずくなってしまったら、次の席替えまで私は地獄の日々を送らなくてはならない。それよりなにより、東堂くんと今までと同じように話せなくなるのは嫌だ。とかぐちゃぐちゃ思う暇があるなら何か言わないと。ごまかさないと。

「あ、あああの、私っ……!」
「英語のノートを借りたいのだろう。そんな鞄の中に入れていれば悲惨なことになっているだろうからな」
「……え」

 そして東堂くんに促されるまま教室に入って、英語のノートを手渡され、「ありがとう…」と流れで口にしながら、私は一つ、思った。
 東堂くんってもしかしたら、とんでもなく鈍感なのかもしれない。




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