短編 | ナノ

※ネームレス


 太陽が高い位置からじりじりと焼けこげそうになるような日差しを送って来る。あれはそんな今日と同じような真夏日のことだった。
 あの日の夜はとても綺麗な星空で、三大流星群のひとつであるペルセウス座流星群が最も見頃だと言われていた。私は気まぐれに窓を開けて、いくつか流れていく星に何か願ったような願わなかったような。たぶん「明日バイト行きたくないなー」とかその程度のものだった気がする。本人ですら記憶が曖昧で、別に拾ってほしくもないどうでも良い心の声。どうやらそれを大盤振る舞いと言わんばかりに拾って叶えてしまった。そんな鈍臭い星の子がいたようだ。

──傍観者に徹しなければいけない。

 一本杉の聳え立つ小高い丘。そこに鬱蒼と生い茂っている地面の雑草をぐしゃりと靴裏で踏みしめた瞬間にそう思った。そこは先ほどまでいた自室の窓際でもなければ、ましてや夜ですらない。
 しかし、燦々と照らす日の光も、この地に足を着けて立っているのも、夢でも幻でもないと認めざるを得なかった。それは同時に、嫌でも視界に入ってきてしまうほどの存在感を放っている天に向って高く高く伸びている鉄の塔。あれも本物だという事実を受け入れなくてはいけない事になる。空に散らばる飛行船、街で見かける自分とは異なる種族。“あの世界だ”と確信するのに時間は掛からなかった。



 そうとなれば、行動の指針が定まる。とにかく“彼ら”から遠ざかること。新宿から、特にかぶき町周辺からは離れなければならない。かと言って、身一つで所持金もない。途方に暮れそうになったところ、点滅している横断歩道を渡っているおばあさんが目に入った。慌てて彼女のもとへ駆け寄り、荷物を持ち、手を引いて何とか一緒に渡ることが出来た。

「ありがとうね。お礼にみかん食べる?」

 どこから取り出してきたのかわからない生暖かいそのオレンジ色の物を受け取り、近場のベンチに腰かけて身の上話を三時間。話の成り行きで、おばあさんのお店で住み込みで雇って貰えることになった。何駅も離れた場所の、寂れた街の駄菓子屋らしい。本当に気味が悪い程に運が良いと思った。まるで漫画みたい……あ、そういえば漫画なんだった。



 そうやって独りごちたのも懐かしくなってきた頃、事件は起きた。ここに来た頃よりほんの少しだけ速足になった夕暮れ時、店仕舞いをしようと棚の整理をしていた私に声を掛けて来た人物がいた。

「あれ、もう閉まっちまいやす?」

──沖田総悟だ。

 振り返らなくても、特徴的な声と口調でわかってしまう。ここで変に間を開けてしまう方が不自然に捉えられると思い、ゆっくりと振り返った。視界に入った彼の蜂蜜色の淡い髪には、沈みかけの赤い日の光が柔らかく射している。

「まだ大丈夫ですよ」
「じゃあコレとコレ」
「95円です」
「100円で」
「5円お返しです。ありがとうございました」

 おつりをポケットにねじ込みながら店を出ていく背中を見送った瞬間、何か固定でもされていたかのようにピンと伸びていた背筋を丸めながら静かに溜息を付いた。

(……さすが、登場人物)

 きっと、仮に街で見かけようものなら無視なんて出来ないほどの存在感。ただただ圧倒されるしかなくて、最低限の接客をして見送る事が出来たのは奇跡に近いと自分を褒め称えてやりたい。
 何で彼がここに来たのか、なんてわからない。今日はたまたまこのあたりに用事があって、帰りにたまたま見つけた駄菓子屋でモロッコヨーグルと笛ラムネを買って帰っただけだろう。きっともう来ない。そう信じたい。

……なんて、そんな願いとは裏腹に“もう二度と起きて欲しくない”と思ったことに限って繰り返し起きてしまったりする。こういうのも何とかフラグと言ったりするのだろうか。物語の進行上必要な時もあるけど、まさか漫画じゃあるまいし……って、あぁ。漫画なんだった。



 あれから沖田総悟は何度も店を訪れた。毎日というわけではないが、週に1度だったり、一週飛んで翌週に3回来たり。平均すると週に一回以上のペースで会っていることになる。”このあたりで何か事件でもあったのか”……なんて事は、彼に深入りしたくないので当然聞くことは出来ない。
 彼も彼で、別に長居するわけではなく「これ食ったことありやすか?」とか、「激辛煎餅って売ってやすか?」とか質問じみた当たり障りのない会話のみ。
 そんな日々が2か月程続いた頃、私は余計なことを口走る。

「……あの、ここまで来るの遠くないですか?」

 しまった、と思った。これでは彼がどこからきているのか知っている事を自らバラしてしまっているようなものだ。
 いや、でも待て。彼は堂々と制服を着て来店するし、その黒い服は新聞やニュースでも度々目にするし、彼らの拠点が新宿あたりだということを知っていてもおかしくはない。
 しかし、何やら彼は不機嫌そうに眉を顰め、唇をへの字に曲げた。

「……来たくて来てんだよ。悪ぃか?」

 その表情の真意はわからなかったが、確か彼がムスッと感情をあらわにしたのも、ため口になったのもその日が初めてだった。



 私もあの日以来、彼に対してタメ口になった。しかし、口を滑らせてはいけないと言葉を慎重に選ぶようになった。そのせいもあり、口数は必要以上に少なかったように思う。それでも彼はやって来た。次第には訪れる度に店の奥の和室に上がり込むようになり、買ったお菓子を食い散らかしていく始末。おばあさんも交えて談笑を交わし、いつもお茶を二杯飲んで帰っていく。
 その光景がもう当たり前に思えてきた頃、変化が訪れた。一ヶ月ほど、おばあさんが家を空けることになったのだ。

──貴女のおかげで安心して出かけられるわねぇ。

そんな穏やかな笑みを浮かべたお婆さんにを見送ったのは、もう十日以上前の話だ。

「なーに“この世に独りきり”、みてぇなツラしてんだ」
「沖田さん……」

 おばあさんが不在の間も、何も変わらず彼はうちの店を訪れた。いや、変わらず、というのは少し違う。気のせいでなければ、私が一人で留守番するようになって会うのは5回目。ちょっと多いと思う。……暇なのかな。

「それって、どんな顔?」
「さぁ」
「さぁって……」
「まぁ別に、その顔をやめろって言ってるわけじゃねぇよ。どんな顔しようと勝手だ。無理に笑う必要も、泣くのを我慢する必要もねぇ」
「……」
「無理に何か喋ろうとしなくてもいい。誰でも、とりあえず同じ空間に人がいて欲しいだけって時あんだろ」
「………」
「良かったな、常連客がいて。感謝しろよ、俺に」

 人は、孤独に慣れる事は出来るけど、寂しいと気付いた瞬間に崩れてしまう。おばあさんが、寂しさを気付かせないようにしてくれていたのだ。

「沖田さん、」

 そして、おばあさんだけではなく、彼も。

「ありがとう」

 二人のおかげで、異世界に来たなんてとても思えないほどに心身ともに穏やかで充実していた。

「……別に」

 自分の素性も、何もかも。ひとつも話せることなんてありゃしないのに、そんなの虫のいい話だ。でも、沖田さんは何も聞いてこない。口数の少ない私を責めもしない。それどころか、そばに置いてくれる。こんな日々が続くのも、悪くはないんじゃないか。そんな甘えが出始めていた。



 店の壁にある日めくりカレンダーを毎日めくるのが私の朝のルーティーンとなって10か月の時が過ぎた。日付が飛ぶなんてことはもちろんなく、一日一日、24時間。体感スピードは正常そのもの。サザエさん方式で年を取らない……なんてことを言っているこの漫画において、この春を超えると一体どうなるのか。
 ただの日常パートが続く、というのであれば私が危機感を覚えることはなかったかもしれない。だからこそ、気付かせてくれたことに感謝しなければならない。日めくりカレンダーをめくる他に、もう一つの日課が朝刊を読むこと。

【定々公、病死】

 その見出しが意味するのは、これから戦乱の世への幕開け。

(一国傾城編……)

 事の経緯も結末も、全てを知る私。

「……帰らなきゃ、」

 私は、ここにいるべき人間では無いのだから。



 そうやって帰って来た、私のいるべき場所。それなのに、毎日どこか物足りなさを感じていた。私が一方的に依存しているのだと思っていた。申し訳なさすらも感じていた。彼が何も言ってこないことを良いことに、“知人”という立場に居座っていた。友人でも、もちろん恋人でもない。彼ら流に言うところの腐れ縁とも違うだろう。あえていうならば、知人。

(もしも、許されるのなら……)

 最後、彼の悲痛に歪めた表情が脳裏に焼き付いて離れない。叫んで、手を伸ばして、何度も何度も名前を呼んで。今にも泣きそうに濁った瞳の色を忘れることが出来ない。

(少しだけ、自惚れても良いのかな)

 そんな私の小さな期待は、今夜の流星群に悟られることになるだろう。


(2023.8.17)



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