短編 | ナノ



※ネームレスです



『愚痴を聞きながら一緒に飲んでほしい』

――――以前、そんな依頼を受けたことがある。その依頼人は、今ちょうど俺の隣で生ビールのジョッキを傾けて喉をごくごくと鳴らしている女だ。

「あぁ〜〜〜生き返る!最っ高の週末!」

俺がこの女に呼び出されるのは、これで四回目。依頼人として出会った一回目のあの時……今思い返せば、ずいぶん荒れていた気がする。

『仕事辞めたくないのぉおお!!だからさぁ、私はぁ!!一生!!結婚、したくなああいぃぃいい!一生ね、独身で良いの!!!!』

そんなことを言っていた彼女の職場には結婚して育児をしながら働いていたり、今絶賛婚活中という人間もいるらしい。そんな環境下で、こんな内容の愚痴を漏らすことはできない。だから、たまたま存在を知った万事屋の俺に依頼したのだという。
こんな得体のしれない男と二人で飲みに行って、しかも依頼料として飲みの代金を全て払って。お前は女として本当にそれでいいのか。そんな問い掛けに女は、にへらと笑いながらこう言った。

『その方が気兼ねなく飲めるしぃ、気ぃ遣うことなく愚痴れるからさぁ。ね?愚痴り屋さ〜ん』

職場以外でも、周りにこういう愚痴の言えるダチくれぇ一人や二人いねぇもんかね。それにうちは愚痴り屋じゃねぇ、万事屋だ。
……まぁ、俺への依頼はあくまで愚痴を“聞く”ことだ。深掘りはしない、正論を投げない。それが鉄則だと思う。ただ受け身で愚痴聞きマッスィーンに徹するだけだ。でも、本当にそれだけで良いのか。そんな疑問を感じている節もある。

この女が俺を“依頼”で呼び出していたのは、決まって平日の仕事終わり。なかなか忙しくしているらしく、世間一般で終電が無くなる一、二時間前くらい。とはいっても彼女の職場は新宿、家はそこから二駅。まぁ、なんとかギリギリ徒歩圏内、というところ。何も取り決めをしていたわけではないが毎回、日を跨いだ頃にお開きとなっていた。
……“そういうこと”なのか?と深読みしたこともあった。しかし、彼女を家まで送り、家のドアを閉めるのを見届けた後、またかぶき町に帰ってくる。俺はそれを今まで、三回やっている。というのも、彼女に呼び出された今までの三回は全て週の半ばだった。そのたびに『明日も仕事だ〜』とニコニコ上機嫌で言っている彼女をただただ真面目に家まで送り届ける俺は、なんて紳士的で常識的な男なのだろうか。

――――しかし、今日はこれまでとは少し状況が異なっていた。今日は、週末だ。

「明日は休日だね〜。あ、ごめん。坂田さんには関係ないか」
「まぁなぁ。なんせ年中無休だからな」
「え〜?年中開店休業の間違いでしょ〜?」

……そう。今俺の横でぐびぐびとビールを煽り、枝豆を食らっているこの失礼な女。明日は仕事が休みなのだ。しかも今日は残業もそこそこに退社できたらしく、今までのようにまだ夜は深くない。そんな日に仲の良い同僚や女友達でもなく、俺と飲みに行くことを選択したということは……やはり“そういうこと”なのか?むしろ、“それも依頼に含まれている”と深読みするべきなのか。正直、彼女の意図を読み取ることが出来ないでいる。

「今日はいつもより長く飲めますねぇ〜嬉しい!」
「そうだなぁ」
「私の奢りですから、さぁさぁ!じゃんっじゃん飲んじゃって〜!」
「へいへい……で、今日はどんな愚痴?」
「ん〜〜〜……今日はないかも」
「あぁ?」
「今日はさぁ、普通に。……飲みましょ?」
「なにそれ。単純にタダ酒?ラッキ〜」

それでは依頼にならない。ならば彼女は俺に依頼料、もとい奢る必要はないはずなのに。

「ん〜、じゃあ今日の依頼は……私と、一緒に過ごして下さい」
「……つまり、どゆこと?」
「……今みたいに、ただ飲んで、話してくれれば良いんです」
「ふーん」

(……んだよ、深読みしそうになったじゃねえか)

そんなもん、いくらでも。別に依頼じゃなくても付き合ってやるというのに。そう思いながらも、彼女に言われた通り酒を煽った。

――――ビールジョッキを空にして何度目かの時、彼女の鞄からプルルという機械音と共に何かが振動しているのか聞こえる。

「あ……」
「電話か?出ろよ」
「すみません」

鞄をごそごそと漁り、携帯電話を取り出す彼女。それを手に持ったままパタパタと店の出口の方へ小走りで駆けて行った。
死語かもしれないが、いわゆるキャリアウーマン的な彼女。『仕事を辞めたくない』と言っていた通り、かなり遣り甲斐を感じているらしい。その証拠に『仕事が嫌だ』という愚痴は一度も聞いたことがない。なんせ彼女の愚痴の内容は一貫して『仕事を“辞めたくない”』という内容なのだから。

――――まだそこまで嵩が無かったはずの枝豆の殻入れがこんもり盛り上がって来たころ、ガラガラと引き戸を開ける音の後に彼女が席に戻ってきた。

「……重ね重ねすみません。ちょっと急ぎで仕事のメールしなきゃいけなくなっちゃいました」
「今ここですれば良いじゃん」
「居酒屋でパソコン開くのもなぁ……」

ここはカウンター席の一番端。しかも、コの字型に折れ曲がって2席しかない壁際の席。後ろに厠や出入り口があるわけでもないし、背後に人が立つということはない。だから“誰かに見られる”という心配ならいらないはず。

「……それに、ちょっと時間掛かっちゃうかも」

あー、そっちね。つまり、わざわざ呼びつけた俺を待たせることに気を遣ってると。

「あぁー……じゃあ俺は、」

――――――お前の横でこれ見よがしに旨そう〜に酒飲んどくわ。

……悪戯に、揶揄うように。意地悪く笑いながらそう言おうと思った。なのに彼女は、俺よりも先にこう言った。

「帰っちゃう?」
「……あ?」

何やら困ったように眉尻を下げ、酒のせいもあり頬を火照らせ、潤んだ瞳をこちらに向けてくる。その表情は、哀愁と同時に煽情的な雰囲気を醸し出す。

「……帰らないでほしい」
「…………」
「ね?お願い」

あぁ〜……これは。深読みが必要なやつ、ということでファイナルアンサー……?

「……帰らねぇよ。でもさぁ、お前気ぃ遣うだろ?この間にちょっと用事済ましてくるから」
「……どこ行くんですか?」
「ちょっと……、な」

どこ、とは告げずに席を立ち、不安そうにこちらを見上げる彼女の頭をポンポンと軽く二度叩いた。そしてカウンター越しに『すぐ帰ってくるけど、この女のこと気に掛けといて』と顔馴染みの店主に一言頼んでから店をあとにした。

居酒屋を出ると、見慣れた新宿かぶき町の看板達がキラキラと蛍光色の光を放っている。でも、酒の勢いに任せて喧嘩をおっ始めるような質の悪い酔い方をしたヤツ、電柱に寄っかかってリバースしてるヤツ、自動販売機に頭突っ込んで寝こけてるヤツ。そういうのが出てくるにはまだ少しだけ早い。なんせ今日飲んでいるのはいつものような日を跨ぐ手前ではなく、まだドラッグストアも開いているような時間帯なのだ。
居酒屋から一番近いドラッグストアに来て、必要なものをかごに入れていく。家に化粧落としだの何だの置いてるはずもないので、一泊用の基礎化粧品セット。シャンプーリンスは大丈夫、俺ツバキキ派だから。あとは……あぁ、歯ブラシか。それと替えの下着……はさすがに気遣いの域を超えてキモイと思われるかもしれないのでやめておこう。あと重要なのは……コレ。

(家にあったかどうか、覚えてねぇんだよなぁ)

あったとしても、いつのかわかんねぇし。古すぎるとアレだし。自分の家の収納スペースに思いを馳せつつ、無駄にギラギラ光るパッケージの多いの男のエチケット用品の中から、一番薄いやつを選んで買い物かごに放り込んだ。そもそもメインはこれで、他にカゴに入れたのはオマケみてぇなもんだ。飲み代出してもらってるから、その代わり……みたいな。
必要なものを入れ終えてレジへ向かうと、運悪く女の店員しかいない。さすがにこんなことで何も躊躇することは無い。真っ直ぐそこへ行き、台の上にかごを置いた。ピッ、ピッ、とリズム良く機械音が鳴る中、メタリックなエチケット用品箱のバーコードを最後に読み込んだ店員は渋い顔をしながら合計金額を言う。財布を漁っている間に、女店員はこれまた渋い顔をしながら紙袋にそれを入れていた。
普段の俺ならば、「なんだよそんな渋い顔しやがって」と心の中で悪態をつくかもしれない。

(……いや、普通に悪態つくわ。買わねえ男の方が問題だろうが。邪推してんじゃねえよ。これがマナーだろうが、エチケットだろうが。男の最低限の嗜みだよ。いざ!という時に無かったらどうすんだよ。めちゃくちゃテンパるだろうが。テンパりすぎて縮こまったらどうすんだよ。そもそも銀さん、意外とその辺はしっかりしてるからね。舐めんなよコラ)

眉間に寄りそうな皺を何とか抑え、終始渋い顔の女店員から商品の入ったレジ袋を受け取り、店をあとにした。

…………夏、残暑といったところか。昼間はまだ暑い日もあるが、夜は少し涼しくなる日も増えて来た。酒で少し火照った頬を掠める夜風がひんやりして心地良い。下手糞な口笛を吹きながら徒歩一分程度の距離間にある先程の居酒屋に戻ると、店の前に見覚えのあるスーツ姿の女が立っていた。

「あ、帰ってきた」
「……何で外にいるんだよ」
「メール、打ち終わったから。会計も済ませておきました」
「…………」

居酒屋の前で女が一人で待ってるのはあんま感心しない。そう思いながらも、あまりガミガミ言えるような関係性ではない。

「ねぇ、何買ってきたんですか?」

俺の手に下がっているドラッグストアの袋を不思議そうに見つめる彼女。

「あぁ、お前の分の歯ブラシ買っといたから。あと、他にも色々」
「……色々?」
「そう、色々」
「……え、何で?」

相変わらず、不思議そうな表情から変わることがない。きょとん、とした彼女と目が合っている。

「何でって……」

一点の曇りもなく、本当に不思議そうに。もうとっくに“子供”なんて言う年齢じゃないのに、まるで何も知らない子供のようなキラキラした目でこちらを見つめてくる彼女。そんな彼女に、一体何を言えというのだろうか。

「う〜ん?……な、何でもないよぉ……??」

そう、言うしかないじゃないか。精一杯の笑顔を作りつつ、顔中の筋肉が硬く引きつっているのを感じる。心なしか、顔の影も濃くなっているんじゃないかと思ってしまう。

(……え?こいつ『何で?』って言った?え?何で『何で』って言った?え、『何で』って何だっけ。『何で』ってどんな漢字だっけ?あんな漢字だっけ?え?本当にそんな字だったっけ?何か頭の中が『何で』だらけでゲシュタルト崩壊して来たんだけど。あれ?そもそも『何で』ってどういう意味だっけ?何で『何で』って言われてるんだっけ?何で何でなn……)

「あの……顔、怖いですよ?どうしたんですか?」

こちらの気も知らず、心配そうに顔を覗き込んでくる彼女。俺より背が小さいので、自然と下から俺を見上げてくる体制になる。

(くっそ!不意打ちの上目遣いやめろ!今の俺にはしんどいからぁぁぁ!……え、何?俺、もしかして深読みしすぎたの?え?全部、勘違いなのぉおおお?!)

先程まで心地良かったはずの冷たい夜風が、血の気の引いた俺の頬にグサグサと痛い程に突き刺さってくる。痛い、本当に痛い。今の俺……もしかして、めっちゃイタイ奴になってる?

「……何でもねぇって」
「ねぇ、もしかして怒ってますか?私が変なタイミングで仕事しちゃったから」
「ちげえよ」
「怒ってるのは否定しないんだ」
「怒ってねぇよ」
「……いや、怒ってるじゃないですか」
「だからぁ、怒ってねえって。ほら、見てみ?銀さんめっちゃ笑顔じゃん」
「いや、だから……その笑顔が怖いんですってば」
「……お前のせいだろうが」
「ほらやっぱ私のせいで怒ってる。ねぇ、何で?」
「何でって……だあぁー!もう!だいだい雰囲気でわかるだろうが!その場の雰囲気とか!会話の流れとか!空気読めよ!察しろよバカ!」
「……ふっ」

濁すのにもさすがに限界が来て、思わず大声をあげる。すると目の前の女は俯いて、肩を上下に震わせ始めた。

「ふふっ」
「……おい、何笑ってやがる」
「だって……ふふっ、必死だから……はは!あぁー!おもしろっ!」
「っ、てんめぇ……ッ」
「ねぇ、まだこんな時間ですよ?当然もう一軒、行くでしょう?」
「…………」
「その袋の中身の出番は、もう少し後で。ね?」
「……おい、てめぇ、わざとやりやがったな?後で覚えてろよ?」
「え〜?そんなこと言うの?じゃあ帰っちゃおうかなぁ〜?」
「ごめんごめん、すみません、何でもありまっせん!」
「そもそもねぇ、もっとハッキリ言わないとわかんないですよ〜」
「……ハッキリ言われて困るのは、お前だろうが」
「……それは、お互い様ですよ。私だけのせいにしないで欲しいなぁ」
「…………」
「さ、早く行きましょ?坂田さん」

そう言って手を差し出してくる彼女。背後に映る夜の街、かぶき町のピンクのネオンライト。それに照らされて鈍く、妖しく光る左手薬指の石っころ。そんな汚い石と比べ物にならないくらい、生き生きと輝かしい笑みを浮かべている彼女が眩しい。
そうやって言い訳して、指輪の送り主は俺ではない、という事実に目を逸らした。

(22.9.8→22.12.13修正)



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