02
「あれ、大守ちゃん飢えてんの?」
タイムカードを押した後、廃棄のためにカゴに集められていた商品を漁っているとそう聞かれた。夜勤の相方さんである。
「違いますよー。まぁ飢えてますけど」
「飢えてんのかよ」
ははは、と笑顔ではあるが、彼の目の下には隈が出来ている。陰で「クマさん」と呼ばれる彼は、もう忘れてしまうくらい前から働きづめだという。可哀相なくらいに広がった隈を見つめながら、彼がこの間店のパソコンで「労働基準法」「労働組合」などと調べていたのを思い出した。
「まぁ持って帰って損はないですからねえ」
「でも一人暮らしだろ? そんなにいるか?」
そんなに、というのは、私の左手に提げられたLLサイズのレジ袋である。
「廃棄商品全部持って帰る気かよ」
「……まぁ、いただけるなら」
「ちゃんと俺の分も残しとけよ、俺だって飢えてんだから。つーかそんな大食いだっけ?」
「ええ、はい。私が、というより、同居人が、ですけど」
同居人? とクマさん先輩が片眉を上げた。詳しく聞かれる前に、私は「お疲れ様でした」とその場を去る。
「ああ、お疲れ……って、ちょ、俺の分残ってないし!!」
申し訳ないが、聞こえないふりをさせてもらう。なぜなら仕事中にも関わらず私の隣でエロ本を読む先輩より、私を家で待つ同居人の方がはるかに可愛らしいからである。
私はそんな可愛い彼の寝顔を想像しながら、コンビニを後にした。
私が住むアパートに着き、ポストを確認する。様々なチラシの間に家族からの手紙が挟まっているのが見えて、思わず頬がゆるむ。あの人達に、同居人の向日君の話をしたらどうなるだろうか。愉快な人達だから、きっと受け入れてくれるに違いない。末っ子が出来たと喜ぶだろう。特に兄と父なんかは、下の男の子を欲しがっていたし。
万一彼がいる間に金銭的に困ったら話してみよう。そう思いながら鞄から家の鍵を取り出す。このアパートは古いため、鍵がなかなか回らないのが困りものだ。いつか自腹で鍵を変えようと思う。
「大家さんに相談しよ……」
鍵穴に、デコボコとした鍵を差し込む。案の定すんなりと回らなかったので、ガチャガチャと小刻みに揺らした。
「くっそ、早く開いてよ……向日君起きちゃうじゃん……」
もし起きて不審者だと思われたらたまらない。予め鍵のことは言っておくべきだった。
ガチャガチャガチャガチャ。音が徐々に激しくなる。
「あ、開かない……!」
今日はやけに頑固だな、と思った瞬間、今までの頑固さが嘘かのようにするりと回った。
「やった、開い……」
た、と言う前にノブが回され、ドアが開く。私の意志とは関係なしに開いた外開きのそれは、突然ドアが開いたことに驚く私の顔面に見事に直撃した。
「っだ!!」
「大守さん! おかえ……り……?」
脳が揺れ、鼻が熱くなる。両手で顔をおさえながらふらりとよろめき、思わずしゃがんだ。ぺたりという音が目の前で聞こえ、指と指の間から見ると、白くて細い二本の足が私の前で立ち尽くしていた。その素足の持ち主が顔を両手で塞ぐ私をみとめ、息を飲むのがわかった。
「……あは、ただいま向日君……」
「…………ごめん」
爽やかな朝の空気と沈黙が漂う中、私が痛みに耐えすすり泣く音がやけに響いた。
「本っ当に悪かった! わざとじゃないんだって! ただ、その……」
「いいよ、でも鼻が潰れて嫁の貰い手がなかったら君がもらってね」
ベッドに座りながら、未だにじくじくと痛む鼻とおでこをアイシングする。即席で作られたこのアイシングは向日君お手製だ。
悪かった悪かったと平謝りに謝る向日君に冗談を言うと、何故かいきなり挙動不審になられた。冗談だというと心底安心されたので、なんだか地味に傷付いた。
「いやあそれにしても、あんなに情熱的でバイオレンスなお出迎えは初めてだよ」
袋に入れられた氷越しにハハハと笑うと、ベッドの隅に座る向日君はばつが悪そうに目をそらす。
「あー違う違う、責めてんじゃないよ。ただ嬉しいのさ」
だって、私が帰ってくるの待ってくれてたんでしょ。
私が笑うと、向日君が訝しげに眉を寄せた。
「痛いのに嬉しいのか?」
「うん、痛いのに嬉しい」
不思議だね、と笑うと、変だろ、と笑われた。
一人暮らしをしていると、どんなお出迎えでも嬉しくなるようだ。だから一人暮らしの人は犬とか猫が欲しくなるのかな。
「あ、そうそう」
ふと思い出し、向日の方に座ったまま近寄った。ベッドが反動で揺れ、きょとんとした向日君の体も小さく揺れた。
顔をのぞき込み、にんまりと笑う。
「昨日もありがとね」
告げ終わり、顔を引く。しばらくパチパチと目を瞬かせていた向日君だったが、数秒後に彼の顔は真っ赤に染まった。
「な、違、あれは……!」
「やーね照れないでよ! 私もう嬉しくってさー!」
弁解しようと身を乗り出す彼の肩をバシバシと叩く。
「起きてたんなら言ってよねーだったら私もっとちゃんといってきますしたのに!」
ごめんねーあんな投げやりでさぁー! とご機嫌な私に反し、向日君は真っ赤な顔で小さくなる。居心地悪そうにしながら、もにょもにょと何かを言った。
「ん?」
なにかな? と再び顔をのぞき込むと、赤いままの向日が目だけをこちらに向けた。
「つ……次はちゃんと言うから……うん……」
ふてくされたような顔で告げられ、私は思わず笑顔で大きく頷いた。
あーくそ! と三角座りをして顔を隠してしまう向日君。そんな彼の頭を撫でながらもう一度「ただいま」というと、そのままの体勢で「おかえり!」と吠えられた。
私の同居人は、やっぱりとても可愛かった。
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bkm
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