Fly In The Sky! | ナノ

13


「行くぞー!」
「よしこーい!」

バッターボックスに立ち声を張ると、それぞれ守るべき位置に着いた子ども達もそれに応えた。「ファースト!」と言いながら放ったボールをバットで叩く。それと同時に横で待機していたランナーを走らせた。カキン、と気持ちいい音を鳴らしたボールは何度かバウンドし、もたつきながらも前に出ていたファーストのグローブになんとか収まる。

「ってこらショート! カバー!」

がら空きだったベースに慌ててショートがカバーに入ったが、ランナーはすでにベースを駆け抜けていた。ボールを持ったままのファーストが困った顔で私を見たので、思わず笑いながら「もう一回!」と声を上げた。


一通り打ち終わると、「紗世ー!」と私を呼ぶ声。そちらを見ると、先ほど家に向かわせた男の子が手を振りながら走ってきた。

「おかえりー走ると危ないよー」

近くに寄ってきた彼の頭を撫でくり回し、彼が大事そうに腕に抱えるものを見た。

「わざわざありがとね」
「紗世にはいつも遊んでもらってるからな! こんくらいしないと!」

へへんと自慢げな彼の頭をもう一度撫で、腕の中の物を受け取った。代わりに持っていたバットを預け、私は向日君の元へと向かった。グラウンドから出て、どうかしたのかと私を見つめる彼に向かって手の中のものを放った。

「え、わ、なんだよ!」

彼は急なことに驚きながらもそれを見事キャッチする。改めてそれを眺め、彼が言った。

「グローブ……?」
「そ、グローブ」

さっきの子には、彼でも使えそうなグローブを取りに帰ってもらっていたのである。私の記憶違いでなければファミレスで向日君は左手でペンを握り、住所を書いていたはずだ。つまり左利き。ここにいる子ども達は皆右利きだが、あの子のお兄ちゃんが左利きだったことを思い出し、借りてきてもらったのだ。
使い古されたグローブを見つめ「訳が分からない」といった表情をする向日君に、私は言った。

「君もノックに参加してよ」

直後、「はっ?」と驚きの声が上がる。まぁそりゃそーだ。彼はテニス部なのだからテニスに参加してよと頼まれることはあれど野球のノックに参加してよと頼まれる謂れは全くない。
けど。

「一人ぼっちでフェンス越しに見てちゃ寂しいでしょ?」
「……」

私達をあんな寂しそうな目で見られちゃ、誘うしかないっしょ。

「ね、やろう?」

言うと、フェンスの向こうにいる子ども達も「やろー!」「にーちゃんも来いよ!」「俺のセンターと代わってやるよ!」と一斉に騒ぎ立てた。向日君はそちらを見て、私を見て、もう一度そちらを見て、ため息をついた。呆れたようなため息じゃなく、照れを隠すようなため息。赤い髪に少し隠れた横顔だって、少し嬉しそうな顔に見える。
ちろりと私を見やり、「仕方ねーからやってやるぜ」と意地悪そうに言った向日君の手を取り、私は走り出した。


「じゃーセンター行きまーす! ライト、レフト! カバーよろしく!」

外野三人に声をかける。センターを守っている向日君は「どっからでも来い!」と飛び跳ね、その左右を守る子ども達も「来ーい!」と両手を上げた。

「行くぞ!」

ボールを宙に放り投げ、バットで叩き上げる。キン、と軽い音を立てたボールはセンターの方へ放物線を描く、が。

「あ、やべ、気合い入れすぎた!」

どうみても後ろのフェンスまで飛んでいってしまう勢いだ。向日君がいる位置からかなり走らないと捕れない。

「あちゃーごっめん!」

「見逃して!」と叫び、側にいた子に新しくボールを貰おうとそちらを向いたとき。
パァン。革の音が響く。
え、とそちらを見ると、軽く弾みながら左手のグローブの中を覗き込む向日君がいた。私の視線に気がついた向日君は、ニヤリと笑いながらその手を掲げる。黒の革の中には、確かにオフホワイトのボールが包み込まれていた。

「え、なんで、ボール、あれ?」

ボールは向日君の頭上を飛んでいったものだと思っていた私は頭にハテナを浮かべるが、子ども達は違った。
「どうだ!」と言わんばかりにグローブを掲げる向日君に向かって、グラウンド中の子ども達は一斉に走り出した。

「にーちゃんすげえ!」
「ジャンプ力どんだけだよ!」
「ナイスキャッチ!」
「え、うわ、ちょ!」

向日君はあっという間に子ども達に囲まれた。
あ、あの高さのボールを、ジャンプして捕ったのか……。呆気にとられた私は、胴上げでもし出しそうな勢いの子ども達の中心にいる向日君を、ただただ眺めた。初めは困ったような顔をしていた向日君だが、今は子ども達と楽しそうに話している。ぐしゃりと近くにいた子どもの頭を撫でる彼を見て、ほっと胸を撫で降ろした。
そのうち「もう一回! もう一回!」ともう一度センターフライをジャンプして捕るようコールされ、向日君は「仕方ねーな」と笑った。
作り笑いや小さな笑いじゃない、初めて見る彼の心からの笑顔だった。



「ごめんね、結局夕方まで付き合わせちゃった」

帰り道、夕日を浴びながら私は自転車を漕いだ。後ろに座る向日君は「別に、俺もなんやかんや楽しかったしな」と笑った。

「しかしすごいジャンプ力だね君」
「まあな! てか大守さんもすげー野球上手かったな。びっくりした」
「まあね! ずっとソフトしてたし、小さい頃は外で野球チーム入ってたし」

どうりでな、と向日君はケラケラ笑った。

「向日君も野球どう? チビ達に誘われてたじゃん」

言うと、彼は威張ったように「俺はテニス一筋だからな!」と言った。そっかと相槌を打ち、道を曲がる。後ろで向日君がバランスを崩しかけたのを感じた。

「ちゃんと掴まりなよー。あ、でも荷台持ったら鉄臭くなるから気をつけてね」

「んー」という返事を聞きながらペダルを漕ぐ。
私の肩には、しっかりと向日君の両手が乗せられていた。


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かつてこれほどまでに>>>テニスしろ<<<と言いたくなるような話はあっただろうか。



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