おれとフラグと10cm | ナノ

目撃する


 三宅あきひはなぜ浮くんだろう。授業中にふと疑問に思い、ノートの隅に書いた。
 なぜ浮くんだろう。
 いつ浮くんだろう。
 いつから浮いてるんだろう。
 浮いてるときってどんな感じなんだろう。
 おれの疑問は尽きない。
 浮くことをおれの他に知ってる人はいるんだろうか。
 家族も浮くんだろうか。
 授業中は浮いたりしないんだろうか。
 座ってるときや寝ころんでいるときは浮かないんだろうか。
 いつか機会があれば、少しずつ聞いてみようと思った。

「お、孤爪、えらく頑張ってノート書いてるな」

 はっとして顔を上げると、えらいな、と教卓のそばに立つ教師がおれを見て笑った。教室中の視線がおれに集まり、思わず縮こまる。小さくなったまま気にせずノートをとるふりをすると、教師は「ほら寝てる奴起きろー」とようやくおれから視線を外した。クラスメイトたちも寝ている人を探そうとあたりを見回し、注目から外れたおれは小さくため息をついた。
 勘違いされたし、目立っちゃったし、最悪だ。

 休憩時間に入り、おれは財布だけを持って教室から出た。なにか飲み物を買いに行こうと思った。

「お、研磨」

 階段を降りると、二階の踊場でクロとはちあわせる。クロも財布を片手に持ってるから、多分目的はおれと同じだ。クロもそれを感じたのか、「行くか」とおれの隣に立つ。一つ頷き、再び階段を降りた。

「なんか急に緑茶が飲みたくなってなー、気がついたら財布片手に廊下に出てたわ」

 財布を振りながらケラケラと笑うクロに頷く。

「あるよね、そういうの……おれもそんな感じ」

「すげー偶然な」とクロが言う。確かに今までクロと行動する事はよくあったけど、1日に何度もある休み時間のうちの一回に、しかも本当に仕組まれたみたいに同じ目的を持ってばったりと出くわすのは珍しい。お昼に購買に行くときに会ったりするのとは訳が違う。

「なんつーんだっけ、こういうの」

 自動販売機の前に立って、ふとクロが言った。

「あ、フラグ」

 ピッと緑茶のボタンを押し、そうそうフラグだわと納得したように繰り返した。
 フラグ。おれは少なくともクロの口からその単語が出てきたことに驚いていた。

「……クロもフラグなんて言葉使うんだ」

 素直にそう言うとクロは「まあな」と言いながら人差し指を立てた。

「研磨はどれ買いに来たんだ?」
「え……りんごジュースだけど」

 緑茶じゃねーのなと言いながらクロは立てた人差し指でパックのりんごジュースのボタンをぐっと押した。ピッと音が鳴り、続いて取り出し口にガシャンという衝撃。

「ほら、優しい黒尾先輩が奢ってやったぞ」

 そう言いながら取り出し口から緑茶とりんごジュースを取り出し、「ん」とおれに突き出した。

「あ……ありがとう。珍しいね」
「せっかくばったり会ったんだし、たまにはな」

 おれはありがたくりんごジュースを受け取り、ストローを突き刺した。
 クロは部活帰りに大勢で店に寄ったときには奢ってくれたりするけど、おれと二人の時はあまりそういうことはしない。たまに、会計でお金の端数が足りない時に、お金の貸し借りはしたりするけど。
 何口か緑茶を飲んだ後、クロはおれと目を合わせる。

「……偶然俺に会って……」

 ぐっとペットボトルのキャップをひねり、言った。

「その俺に気まぐれで奢られる……なんて、ちょっとしたフラグみてえのが立ったんだから、なんか起こったりすんのかねえ」

 例えば明日には俺がいなくなっちまってる……とか。クロはへらりと笑った。

「……止めてよ。なんか痛い」
「うるせーな、例えだよ例え。……ほら、もう行くぞ」

 そう言ってクロはおれの右に立つ。

「クロから話振ってきたくせに……」

 横からぐいぐいと背中を押されながら歩く。クロは「まあまあ」と笑いながらおれの横を歩いた。なにか怪しい、と思った。よくわからないけど、妙だ。なにかある。
 しばらくクロの横顔を見つめる。
 ふとひらめき、右側でおれに密着しているクロの向こうを、歩きながらそっと覗いた。校舎に入る前にちらりと見えたのは、「……三宅……あきひ……?」三宅あきひの後ろ姿だった。
 すぐに校舎の壁でそれは見えなくなったけど、あれは間違いなく三宅あきひだった。彼女は一人、爪先立ちをするようにして佇んでいた。
 おれが名前を呟くと、クロは「ん?」と聞き返す。

「……クロ、今……」

 三宅あきひが、と言おうとした瞬間、チャイムが鳴る。

「やべ、授業始まるぞ!」

 クロは急げ急げと言いながらおれの背中をぐいぐいと押す。それに逆らわずにされるがままとなったおれはつい躓きかけて、それを見てクロはぶっひゃひゃと笑った。
 その笑顔を見て、さっきのはおれの勘違いだったのだろうかと思った。三宅あきひが、まるで体が空に吸い込まれるのに身をゆだねるように徐々にかかとをあげていたのは。クロが三宅あきひを隠すみたいにして歩いていたのは。おれが三宅あきひの名を呼んだとき、クロの手がぴくりと震えた気がしたのは……勘違いなんだろうか。


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