見つかる
宙に浮いた女子を見かけてから数日がたった。当日やそれから二日三日こそあれはおれの幻覚だったのかとかまた見かけたらどうしようだなんて思っていた。けれどそんな心配とは裏腹に、あれから彼女らしき人物を見かけることはなく、おれの記憶からも薄れはじめていた。そんなことをふとある時思い出して、あ、これフラグじゃん、と思った。今までちょっと忘れかけてたのに、急に思い出すのは完全にフラグだった。不覚だ。
そしてそのフラグはすぐに回収されることとなる。
「見……つ、けた……!」
部活の帰り道、いつも通りゲームをしながらクロのそばを歩いていると、肩からゆったりとかけたリュックサックが後ろからぐんっと引かれた。ゲームに夢中だったからバランスを崩してしまい、とっさにクロの服を掴むことでなんとか耐えた。
「おい研磨引っ張んな、伸び……って、ん?」
体勢を整えて、服を掴む手を離す。クロが文句を言う途中で片眉を上げた。その下にある目はおれの後ろでリュックサックを引っ張る人物をとらえていた。おれは心の中で「フラグ、見事に回収」と呟いて、後ろを見た。
茶色がかった長い髪の女子が、リュックサックからぴょこんと出たフックのようなところを掴みながらおれを見上げている。やっぱり、あのとき宙に浮いていた女子だった。あのときと違うのは、あまりにも近すぎるお互いの距離と、今にも泣き出しそうな顔がおれよりも下にあることだった。いつものおれならすぐに距離をとるんだろうけど、このときは後者の違いの方が少なからず気になって、思わず彼女の足元に目をやった。影は、彼女の足からまっすぐに伸びていた。
いつも浮いてるわけじゃないんだ、と思った。
「あー、知り合いか? 研磨……」
いつまでも黙ったままのおれたちを見かねてか、クロが頭をかきながら聞いた。
「……別に」
知り合いではない。 多分、【見られた者】と【見た者】、というだけの関係だ。彼女にとっては、もしかしたら少し違うかもしれないけど。 ちらりと彼女を見ると、何かを言おうとしてはためらい、口をつぐむというようなことを繰り返していた。フックをがっちりと掴まれているから動こうにも動けないし、こういう場合ってどうしたらいいんだろう、とクロを見上げた。クロも困ったようにおれと彼女を見比べていた。珍しい、と思った。こういう時真っ先に対処してくれるクロがこんな調子だと、おれも困る。
端から見たら異様なこの雰囲気の中で一番最初に動いたのは彼女だった。大切にしていた秘密基地を荒らされてしまったような表情のまま、おれに言った。
「……見、た……?」
見た、というのはつまりあれのことだろう。おれは彼女から視線を外しながら「うん」と小さく頷いた。嘘をつかなかったのは、「見た?」というのは質問ではなく確認だと思ったからだ。
おれの返事を聞いて、彼女はさらにショックを受けたように一歩後ずさりした。その手がリュックから離れた隙を見計らって、おれも彼女から一歩退いた。訳が分からない、という顔をしたクロが、代わりに一歩前に出る。
「えーっと……三宅、なにがあった?」
三宅と呼ばれた彼女は、クロとは面識があるようだった。「黒尾くん」と小さく呟いたあと、彼女はゆるゆるとかぶりを振った。「なんでもない」
そんな泣きそうな顔してなんでもないわけがない、とクロは言いたそうだったけど、一言「そうか」とだけ言ったきり黙った。面識はあっても、深入りするような仲ではないらしい。
しばらくの沈黙のあと、彼女はぺこりと頭を下げて、逃げるように走り去っていった。クロとおれは黙ってそれを見届けた。クロは違うだろうけど、おれは彼女の後ろ姿がまた浮かないかな、と思いながら見つめていた。けれど彼女は姿が見えなくなるまでしっかりとアスファルトを蹴っていて、ちょっと残念だった。
「……お前なんかしたのか?」
呆れたような怒ったような、そんな声でクロが言った。
「……なにもしてないよ」
嘘は言ってない。おれは直接彼女になにかしたわけじゃないから。肩ベルトの位置をなおし、おれは歩き出す。ゲーム機は片手に持ったままだ。クロはしばらく突っ立ったままだったが、ため息をついた後おれの後ろを追ってきた。
「クロは……」
ぽつりと呟くと「んん?」と後ろから返事がある。
「クロはあの人と、知り合いなの?」
歩くたびに後ろに流れる地面を見つめていると、クロが隣に立つ気配がした。
「なんだ、気になんのか?」
横からぐいっと顔を覗かれ、おれは「別に」とクロとは逆向きに顔をひねった。それが面白かったのか、クロは静かに喉で笑った。長いつきあいだけど、クロのこういうツボは未だに理解できない。
顔を背け続けていると、クロが「あいつなぁ……」と呟いた。ちらりと見ると、クロは遠くを見つめるように視線を宙に向けていた。
「……去年、同じクラスだった。あいつの名前は三宅。三宅あきひだ。」
三宅あきひ。やっぱり年上だったんだ。
「ふうん」
どんな人? とか、その頃は変なところはなかった? とは聞かなかった。言うと絶対になんでそんなこと聞くんだ、って言われるから。それに答えるには下手な嘘はつけないだろうし、おれはそう他人のことをべらべらしゃべるようなことはしたくない。彼女は宙に浮いていたことを明らかに秘密にしたがっている様子だったし、あまり蒸し返すのはよくないだろう。
そのあとおれたちは一言も話さなかった。かろうじて片方が家に入るときに、お互い「じゃあ」と手を挙げたくらいだった。
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