頑張れ忍足君!! | ナノ

それいけ忍足君!


 時は4月。春のあたたかな日差しが差し込み、随分と過ごしやすい季節になった。
 そして、ここ氷帝学園では、生徒たちがにぎやかに新しく割り振られたクラスを確認していた。これからの一年を過ごすクラスに、誰もが一喜一憂している。

「う、嘘やろ……」

 そんな中、忍足が新しく張り出されたクラス表を見て、小さく呟いた。
 ある一点から目が離せなくなり、全身がぶわっと泡立つのを感じた。じわじわと体温が上がり、思わずその場で硬直する。本当は小躍りしたかった。小躍りどころか、隣で「人でクラス表見えねー!」とぴょんぴょん跳ぶ向日にでも頬ずりをしたい気分だった。しかしなんとか耐えた。
 やっとクラス表をまともに見られた向日が、あっと息をのむ。

「……侑士! お前! まじか!」
「ああ……まじや……」

 がくがくと向日に肩を揺さぶられながら、忍足はクラス表のある一点、ある女子の名前を見つめた。
 尾形あずさ。何度見ても、自分と同じクラスの欄に、その名前があった。
寒い冬の日にぶつかった、件の女子の名前を忍足が知ったのは、つい先ほどのことだった。新学期も始まるというのに、なかなか彼女の名前を知ることができない忍足に、しびれを切らした向日が教えてやったのである。もちろん忍足は「なんで今まで教えやんかったんやああ」とヘッドロックをかましたが、向日が知っていなければ自分も知ることはなかったのだと思いなおし、ジュースを一本おごる約束をした。そして、その約束をした直後、クラス表で彼女の名前を見つけた。しかも、自分と同じクラスである。

「やったじゃねーか侑士! 応援してやるよ!」

 バシバシと肩をたたかれるが、忍足は夢でも見ているかのような表情で、クラス表に釘付けだ。

「……おい侑士? まばたきくらいしろよ、怖いぜ」
「……どうしよう」「あ?」

 ぎこちない笑みを浮かべた忍足が、向日を振り返る。

「……な、なんて声かけたらええと思う……?」
「女子か!」

 めったにしないツッコミを、忍足の肩あたりにびしっと入れる。すると、「だってびびられてんねんで? 話しかける前に逃げられてアウトやわ」と肩をすくめた。
 ふむ、と向日は腰に手を当てる。

「だったらよ、逃げられる前に後ろから声かけてみれば?」

 後ろから? と忍足は首をかしげた。
 それに答える前に、そろそろ自分の教室に向かったほうがいいかと呟き、向日は歩き出した。忍足がそのあとを追う。
 歩きながら、向日が言った。

「前からだとお前が向かってくるのがモロわかるだろ? けど、後ろからだと話しかけられるまでわからないんじゃね? さすがにさ、話の途中で逃げるような奴じゃあないだろ」

 周りの生徒もぞろぞろと新しい自分の教室へと向かう。その流れに乗りながら、忍足は「なるほど」と目を輝かせた。

「すごいな岳人! なんでお前そんな天才なんや! いつもは俺の方が天才で通ってんのに!」
「うるせー! カブトムシとかセミだって、前からだと逃げるけど後ろからだと逃げねーだろ」
「……岳人……」
「それとおんなじだろ」

 けろっとそんなことを言う向日に、忍足は輝かせていた顔を瞬時にがっかりとさせた。

「人の好きな子をカブトムシと一緒にすなや……」


****


 忍足は教室に着くと、すぐに教室内を見回した。彼女――あずさはまだいない。登校自体まだなのか、忍足と同じクラスになったことで教室に来たくないだけなのかはわからない。
 教室内にいた知り合いに軽く挨拶をしてから、自分に割り当てられた座席に腰を下ろした。
 ぼんやりと頬杖をつきながら、あずさに話しかけるための脳内シミュレーションをする。
 ――岳人の言うとおり、一発目は後ろから声かけよう。……でもなんて? こんにちは? ええ天気やね? 久しぶり……はなんか怖いな。これからよろしく、とか?

「おーいお前ら、始業式始めるから行くぞ」

 あれでもないこれでもないと考えているうちに、担任が教室内に呼びかけた。はっとして顔を上げると、いつのまにか登校していたらしいあずさが、ちょうど教室から出て行ったところだった。
 忍足、痛恨のミス。


****


 始業式も終わり、担任の長い諸注意、意気込みも終わったところで、本日はこれで解散となった。
 忍足の席からあずさの席はそう遠くなく、少し振り向けば彼女の顔が見えた。担任が話しているあいだ、ちらちらと見ていると、彼女もまた忍足を見ていた。目があったとたん、顔を青ざめさせ、脂汗をにじませながら必死に忍足から視線を反らすが。
 そんな彼女は今、帰りのしたくをしているため、立った状態のまま視線を下に落としている。忘れ物がないかどうかを確認しているらしく、鞄の中を覗いていた。
 よし、今やったら前からでもいけそうや! と忍足も立ち上がる。音を立てないように、驚かさないように。カブトムシを捕まえるみたいに、こちらの気配を悟られないように。そっと彼女に近づき、あと数歩で声をかけられる距離や、と油断したその時。

「あ、ねえ忍足くん! 今いいかな?」

 叫びたくなった。それはもう、クールなどとかいう自分のキャラをかなぐり捨てたくなるほどに。
 忍足の背後から近づいてきた女子が、大きな声で忍足の名を呼んだのだ。当然それで迫りくる忍足の存在を知ったあずさが、「なぜこんな近くに!」とでも言いたげに目を見開き、脱兎の勢いで教室を出て行った。呼び止める間もなかった。
 なにしてくれとんねん! と叫びたかったが、彼女のあまりの速さに、忍足を呼び止めた張本人も「え、なに、なにがあったの?」と目をしばたたかせていた。
 ドアとあずさのいた席を見比べ、目を閉じる。

「……いや、なんもないで……」

 彼女を責めるかわりに、忍足は深くため息をついたのだった。




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