頑張れ忍足君!! | ナノ

恋せよ忍足君!


 ……ああ、困ったわ。めっちゃ困ったことになったわ。……え? いや、ちゃうねん。別に、こんな新年早々雨降ってるからって困ってんちゃうねん。ちゃうちゃう、冬休みの宿題が終わりきらんかったわけでもないで。岳人と一緒にしてほしないわ。……はいはい、あともうちょいなんやな、頑張りや。で、俺が困ってる理由やねんけどな……いやだから俺の髪の毛が湿気でやばいことになってるとか言うなや。たしかに気になっとるけども。ちゃうねん、そうじゃないねん。……あかんで、笑ったらあかんで。岳人を信用して言うからな。笑ったらあかんで。……興味なさそうな顔しなや、目ぇ合わせんかい。……で、笑ったらあかんで。いや押すな押すなやあらへんわ。振りとちゃうっちゅーねん。……あんな……ここ教室やから、あんま大きい声では言われへんねんけどな……一目惚れしてん……。……え? なんやその顔、鳩か。豆鉄砲くらった鳩か。そんな微妙なリアクションされるくらいやったら笑われた方がましやわ。……は? なんで謝るん……、え? 俺とお前は友達で、ダブルスのパートナー……ってアホか! 誰がお前に一目惚れした言うてん! ちゃうに決まっとるやろ、あーびっくりした。鳥肌たったわ。
 ……ほんでな、俺、一目惚れした相手に困っとんねん。いや、だから男ちゃうて。女子や女子。その女子がやな、困った子やねん。聞いて。……おーい岳人? 聞いてる? なんや聞いてるか聞いてへんかわからんような顔してるから、もう勝手にしゃべるわな。
 その子との出会い方からしてもう困っとるんやけど、実は冬休み前の大掃除の日、廊下の曲がり角で曲がった拍子に、その子とぶつかってもうてん。俺はなんも持ってなかってんけど、その子はバケツいっぱいに雑巾汁抱えとってん。それ言ったらもうわかるやろ。ぶつかった時に、バケツがひっくりかえってな、俺と彼女にふりかかってん。びっしゃあって。バケツってそんなに水入るん? ってくらいの量やったわ。そんで、焦ったその子が俺を押したおす形でこけてん。俺の尻は水たまりにダイレクトについて、びっちょびちょになった。うわ最悪や、って思ってん。パンツにまでしみてきとるわ、はよどいてや、って思ってん。でも突然のことで放心してもてな、ずれた眼鏡もそのままでぼけーっとその子見ててん。そしたらその子もやっと我に返ったんかして、めっちゃ謝りながら立ち上がって、俺に手貸してくれてん。その手をとって俺も立ち上がったとき、やっとその子が俺を見てん。そんときのあの子の顔って言ったらもう、なんていうんかな、この世の絶望を一気に経験したような顔やったわ。真っ青になって、俺の顔じーっと見たまま、しばらく動かんかった。俺はその子とは初対面やったから、なんでそんな顔するんかって不思議でな。なんかひどいことしたんやったらわかるで、でも、いいことも悪いこともあの子にした覚えなかってん。なんでやろうなあ、この子、何組のなんて子なんかなあって、眼鏡ずれたまんまで思っててん。そしたらその子、急に俊敏な動きでバケツ回収して、ぱっと俺に向き直ってまた謝ってな……なにしたと思う? 俺のずれた眼鏡、かけなおしてくれてんで。きゅっきゅって。もうおっかしくておっかしくて。自分もめっちゃ濡れてるし、スカートもちょっとめくれあがってるのに、泣きそうな顔で俺の眼鏡なおしてんで。しかも、なおした後すぐまた謝って、逃げていってんで。人間、ほんまにおもろいことあったときってしばらく反応出来やんもんやねんなあ。俺が我に返ったんは、その子が廊下をまた曲がって、姿が見えんくなったときやった。尻から雑巾汁したたらせたまま、めっちゃ笑ったわ。岳人は当事者やあれへんからわからんやろうけどな、あの一連の流れを経験したら絶対笑うわ。……そんで、俺は彼女に一目惚れした。なんでかはわからんねん。びっくりしたから、そのドキドキと勘違いしたんかなって最初は思ってん。つり橋効果、やっけ? なんかあれかなーって思ってんけど、ちゃうかったわ。今朝、その子見てん。目合ってん。めっちゃドキドキしたわ。すぐ目そらされたし、顔真っ青にされたし、逃げられたけどな。……で、困ってるってのが、このことやねん。避けられてるねん。逃げられるねん。勘違いとかちゃうねん、わかってや。自意識過剰とか言わんといて。俺がみじめな話になったとたん、急に話に戻ってこやんといて。
 ……あ、ほら、今廊下にあの子が……。……笑うなや。な? めっちゃ逃げられたやろ? 完全に俺見てから逃げたやろ? 困ってんねん。いや、「俺が嫌われてる」でファイナルアンサーしやんといてえな。とにかく困ってんねん。……いや、なんていうか、避けられてるのに困ってるっていうかな……。
 ……血相変えて逃げてるあの子が可愛くて、困ってんねん。


***


 まだまだ続く侑士の馬鹿話を聞きながら、俺はため息をついた。聞いていないふりをしながらも実は聞いていたこの話、なんと俺のクラスの尾形あずさの話だった。最初は誰のことかわからなかったけど、聞いていくうちにまさかと思い始めて、さっき侑士と目があったとたん廊下を猛ダッシュするその姿を見て、やっぱお前かと思った。というのも、冬休み前の大掃除の日、体操服姿で女子に泣きつく尾形が確認されたからだ。「やばい私消される」「有名人にテロ起こしちゃった」「クリーニング代っていくらくらいだろ」「いっそ新調させられるかも」「よし、私、今から財布とは縁切る」。
 今思えば、テロを起こされた有名人というは侑士のことだったのだろう。謎がつながって、ちょっとすっきりした。侑士には教えてやんねーけど。その方がおもしろいし。
 それにしても、尾形の中で侑士はどの立ち位置なのか。「有名人」って言うからには、侑士が何をして何で有名なのかもわかってるはず。じゃあファンかって言われたら、多分違う。ファンだったら、これをきっかけに話しかけてくるはずだ。多分逃げたりはしない。じゃあなんなのか。

「やっぱ嫌われてるか怖がられてるかしかなくね?」
「……俺、あの子になんかしたっけなあ……?」

 そら逃げる姿は可愛いけど、名前もまだ知らんのに、とうなだれる。
 いや、お前じゃなくて、お前のファンが何かしそうなんじゃねえの? とは言わない。別に今のところ何事もなさそうだし、余計なことを言ってめんどくさいことになったらめんどくさいし。

「お前の目が怖かったとか? ほら、侑士の目って鋭いし」
「ああー、丸眼鏡越しやったらまだしも、ずれてたからなあ」

 多分これもある。ていうか、侑士のなにもかもが怖かったでファイナルアンサーだろ。尾形、ちょっとびびりっぽいし。

「つか侑士、なんかすげー奥手じゃね?」

 いくら相手の逃げる姿が可愛いからっつっても、怖がられても強引に話しかけるタイプだと思ってた、と呟くと、侑士は一瞬間をおき、ふ、と笑った。

「見つめ合うと、素直に、おしゃべり、できない、や」
「あーそう……じゃ、俺戻るわ」

 そろそろ予鈴鳴りそうだしと言いながら、ちょっとかっこよさげにサザ●の歌詞を引用した侑士を一瞥する。あれはサ●ンだからかっこいいように聞こえることで、目の前で言われたらただのヘタレにしか感じない。
 侑士がこの件に関してはへたれているのだとしたら、案外このまま一生尾形と話さないまま終わるかもな、と思いながら、侑士に手を振る。俺が名前とクラスを教えてやったらそれですむことかもしれないが、たまにはコイツよりも優位な立場にいたい。どうしようと泣きつかれたら教えてやろう。
 自分の教室に向かう途中、侑士の困った顔を思い出しながら、俺はぷぷぷと笑った。

 そしてその後、尾形を意識して見てみると、俺もなんやかんやで避けられてるっぽいことがわかった。



***
よそ様の侑士はきっとめちゃくちゃスマートでかっこいいイメージなんだろうけど私のイメージはだいたいこんなん


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