せかいがあなたを




『まのすけ!たいへん!すぐきて!』



留守番電話に残されたナナシの声。3つのキーワードを叫んで切れたメッセージを聞き終えた俺は携帯電話を握り締めたまま立ち尽くしていた。

一体なにが起きた?

メッセージが残されたのは今からおよそ10分前。
仕事が終わって携帯電話に電源を入れたところでメッセージに気がついたのだが、ナナシの必死の叫びが一体なにを表しているのか全くわからない。
ナナシはこの時間には自分の家にいるだろう。
悪戯電話をかけるような娘ではない。と、思う。多分。
するとやはり『たいへん!』なことが起きたのだろう。
部屋に虫でも出たか?
それくらいで電話をかけてくるだろうか。
まさか空き巣強盗に遭遇したのか?
ぐるぐる、ぐるぐる、俺の思考は悪い方へと向かっていく。
考えるのは後にして、ナナシの住むマンションに向かおう。






「まのす、け」
「ナナシ!」

オートロックのエントランスを合鍵を使って抜け、エレベーターのボタンを連打してナナシの部屋に駆け込んだ。
玄関に、ナナシは、いた。

「大丈夫か!?」
「大丈夫じゃない、でしょ」
「……ナナシ?」

ナナシの様子がおかしい。
いや、様子がおかしくないのがおかしい。
どうしてそんな
(なきそうなかおしてやがるんだ)

「いったじゃない」
「は?」

細い腕が力強く俺の腕を掴んだ。

「まのすけが、たいへんって」

流れる無言。
ナナシの言っていることを理解しようとしたが理解できない。いや、理解したとしても意味がわからない。

「何で俺が大変なんだ」
「それはまのすけも気付いてる、でしょう?」
「……そうだとして、何でお前がそんなに慌てて俺を呼んで、心配、かけさせんだ」
「わ、私が」

しんぱいだったから、と。

意味が、わからない。
白い壁に息遣いすら吸い込まれて消えていくような無言。
ナナシは、すぅ、と息を吸った。



「そうでも言わなきゃまのすけは私と真面目に話してくれない本当のことなんて絶対に話してくれないってわかってたからまのすけには迷惑かけたくないけど私まのすけのつらい顔見るのもういやだしまのすけだけがつらいのは嫌だからまのすけのこと知りたくて」
「お、おい」
「まのすけは優しくて強くて頭のいい人だから私になんか頼りたくないかもしれないけど私はまのすけのことが大好きで大好きで大切で大切だからまのすけの支えになりたくて私ならまのすけの支えになれるんじゃないかって」

がらがら。
プラスチックのチープな玩具が崩れるように、ナナシの言葉は溢れていった。
それと一緒にナナシの目から涙が溢れてくるものだから、コートの袖で何度も何度も拭ってやって、空いた片手でナナシを抱きしめた。

「……そんなに」

言葉の氾濫をおさめ、嗚咽を漏らしているナナシの背中をとんとん、とたたく。

「ひでぇ顔、してたか?」

小さくうなずいたのがわかって、情けなくて、息を吐くように「ごめん」が出る。

「まのすけがすごい人だって、私、知ってるの」

擦り切れそうな声。

「まのすけが、せかいでいちばん、なんだから」

ひでぇ顔をした俺たちは、そっと、音もさせずに唇を重ねる。



せかいがあなたを


(みとめなきゃおかしいの)

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