Hello, My Dreams
生まれたときからそれは定められていた。私は世界に嫌われていた。
弱ければ死に方すら選べない。そんなことはない。ただ、強ければ生き方は選べない。この身に余る力を私は望んだことはない。
幼い私。お菓子の時間が大好きで、誰かに置いていかれるのが嫌いで、遊んでもらうのが好きで、我儘だったどこにでもいる普通の子ども。意地っ張りで、泣くことは苦手だったけれど、よく笑う。両親はいなかったけれど、愛してくれる人がいた。そのまま幸せになるはずだった普通の子ども。ただ、世界は私に普通を許さなかった。
愛と同時に憎悪を知った。人の心は美しくなくて、世界は騒々しくて穢れていた。眠ることができなくて、姉様の胸に耳を当てて目を瞑った。姉様の心は子守唄のようで、私は眠りに落ちることができた。眠っている間だけはこの穢れた世界から逃れることができた。
船ではベポの心音をよく聞いていた。ベポの方が先に起きて、私を起こして、全然起きないと呆れていた。
子どもの私にはこの穢れた世界から逃れる刻がなければ、生きていくことができなかった。世界が、ベポのように騒がしくも綺麗な心に満ちていれば、そんなこともなかったのだけれど。
私はベポの心音を聞きながら瞼を落とす。そんな穏やかな日々が続いた。
ハートの海賊団での毎日は騒がしくも嫌いではなかった。海も好きだった。なぜ、もっと早く海に出なかったのだろうと思った。海は時に静かで時に騒がしく、疲れもしなかったし、退屈もしなかった。
北の海。配属先が決まり、その海に入った私はフランベルジュを手にした。海軍本部だけだと思っていた糸を切るために。海軍が闇社会と糸で繋がっている以上、世界は変わらない。
軍医だったが、艦隊指揮権限を与えられていた私は、駐屯地の練度を上げた。駐屯地は特に強い海兵はいなかったが、それでもトラファルガー・ローにあれだけの大怪我をさせたということは、私の海軍将校としての腕は確かだったのだろう。
与えられた中将。嘗てジェルマ王国に制圧されたために未だ政状不安定な北の海に配置された隠匿された海軍の駒。知将センゴクによって与えられた役目。十六歳という異例の若さの隠された海軍中将。中将の指揮下にあったあの場所は海軍駐屯地ではなく、海軍基地相当だった。つまり、裏を返せば指揮官が非番であったとはいえ、死なずに済んだローの実力は高かったといえる。
ガープはきっと知らない。最後まで私が海兵になるのを望んでいなかった。表向きの顔は軍医だったのだから、知らなくても当然だ。ただ、私を生かす道を選んで、私に戦う術を授けてくれたのがガープなのだから、皮肉な話だ。
あの人はいつも間違いばかり。
そういうところが好きだった。だから、あの人が帰ってくるのをマリンフォードで心待ちにしていた。あの頃はそんなこともわからかったけれど。
私に心がない方が正しいから。それが世界のためだったから。
姉様の苦しみが増していくことがわかってしまう毎日。耳を塞いでも聞こえてしまう海兵たちの声や人々の憎悪。
______たすけてたすけてたすけてたすけて。でも、そんなことはいってはいけない。私が、私が、守らないと。しっかりしないと。でも、でも、怖いよ。助けて。ひとりぼっちにしないで。私をおいていかないで。
苦しむ姉様と二人だけ。あとは私たちを憎む世界。姉様の呻吟響く中で、安心させるように微笑む私。
______さかごだと大変って。頭がここにあって、足が……これでいいのかな。わかんないよ。さかごだったらどうしよう。
「大丈夫だよ、合っているから。逆子でも大丈夫。私がやってあげるから」
______血が出てきたよ。怖いよ。
「そうだね。血がたくさん出てきて怖いね。でも、すぐに止まるから大丈夫」
______不安なの、不安なの。助けて、助けて。
「大丈夫だ。私がやる。「私」がやってあげるから、大丈夫だよ、______」
小さな手。小さな体。それを隠して微笑むことを強いられた子ども。私ならあの子を助けてあげられるのに、なんで助けられないのだろう。世界に嫌われた小さな私。今の私なら助けてあげられる。あの子の心を救うことができる。
______心をなくせ。
初めて聞こえた世界の声。消えていく心とともに、己が研ぎ澄まされていくのを感じた。
かくして私は王となる。
ガープが産婆を連れてきたときには全てが終わっていた。ルージュは辛うじて生きていた。そして、ルージュを看取った後、私は最初のフランベルジュを手に取る。私にとっての初めての王剣。
最後に見たのは極彩色のガープの心。私を哀れみ、私を畏れ、私を救おうとしためちゃくちゃなガープ。知らない感情もたくさん混じり合っていた。絵の具が混じり合えば汚いはずなのに、それは美しくて、私が心をなくす前に最後に見たものがそれで幸せだったのかもしれない。
こんな人がいるのならば、海軍は存在していてもいいのかもしれないと思ったから。だから、たとえ救いの手が手遅れだったとしても、私はガープを恨まない。
心をなくしたのは正しかった。一度は憎み、刃を向けた海軍本部にも、私は何も感じなかった。憎悪すら薄れていき、生きていくのに必要な最低限の心だけが残った。そうでなければ、殺されてしまうから。ただでさえ、穢れて騒々しい世界の中心。私は世界の声に従うだけ。研ぎ澄まされた刃を悪戯で隠し、なくなってしまった憎悪を笑顔で埋める。
苦しいなんて思わなかった。そんな心は邪魔だから一番最初になくしてしまっていた。
センゴクと兄様は嫌いではなかった。でも、綺麗ではなかった。ガープは騒がしかったけれど、センゴクよりもずっと好きだった。
______ねぇ、兄様が死ぬなんて嫌。行かないで。絶対行かないで。兄様まで、私をおいて逝かないで。
兄の死が必要であることは分かっていた。だから、笑顔で見送った。兄様が敵う相手ではない。たとえ、肉親を想う情があったとしても。
頂上戦争はきっかけに過ぎない。ベポに幼い私を重ねてしまったときには、もうそうなる運命だった。姉様を救えなかった私。泣くことができなかった私。私と違って涙を流していたミンク族のシロクマを放っておけなかった。
助けたかったのは、ベポではないし、ローでもない。誰にも助けてもらえなかった幼い日の私。助けてほしいと泣くことのできなかった小さな子ども。
だから、ローのことなんてどうでもよかった。幾万もの人間の中の一人。そうだったはず。
負けず嫌いで意地っ張りで、優しくて正義感も強いのに素直になれない不器用な私のキャプテン。頭は悪くないのに時々とても馬鹿で、放っておけなかった。穢れた所有欲ですら、私は嫌いになれなかった。
静かな海、自由をくれる場所。少しずつ私は心を取り戻していった。
多くの人には心があって、苦しみながら生きていく。私はそれをやめてしまったから、心を得てしまっては罰を受けていくのだろう。世界に嫌われた私が、楽に生きていくことなんて許されない。
世界の声は、心など不要だと叫ぶ。心は穢れていて私の王としての器をも穢すだろう。ただ、今ここで心を失えば、私は二度と心を取り戻すことができない。
二枚のカード。ただのキングとハートのキング。ただのキングを選ぶべきだった。世界の声だって同じだった。
「お前の船長の名前を言ってみろ。お前が従うべき人間は誰だ」
見慣れた心。毎日を過ごしたからよく知っている。視界はぼんやりしているけれど、そこにいることだけはわかる。姉様のように美しい心でもなかったし、ガープのように心惹かれる何かがあったわけではなかった。ただ、心地よかった。どこまでも私たちにを理解しながら、私たちの側に立てない人間の心が。それを誰よりも理解しなら、歯を食いしばって突き進んでいくそれが。
傲慢で愚かな人。こんな人の言うことなんて耳を貸す必要はないのに。そして、私のような世界に嫌われた王に拘っても、君は苦しくなるだけなのに。何処までも馬鹿な人。
「お前の心は何処にあるんだ」
君のその手をとってもいいのかい。心を取り戻したところで、私が冷徹な王であることは変わることはない。この人では力不足だと世界の声が叫ぶ。
姉様、おじさん、ガープ、センゴク、兄様。私なんて人間を愛してくれた人たちへ。
今だけ私は選択を間違えても、間違えたカードをとってもいい「ですか?」
その手は要らない。その手は必要。ほんやりとした視界の中で見慣れたあの人が映り込む。手を取ることを選んだのに、思考は穢れた心で蝕まれる。
何度も泣いてくれたロシナンテ。危険性を理解しながら不憫に思ってくれたガープ。忙しい時間を縫って面倒を見てくれたセンゴク。たくさんの人たち。
愛していたよ。みんなのことを。そして、姉様も私も、愛していたよ。もう届かないけれど。エース、不甲斐ない私でごめん。君に伝えたかった。君がどれだけ望まれて生まれてきたのか、私たちがどれだけ君が生まれてくることを望んでいたのか。
ごめんなさい、ルージュ。私の怠惰で罪を犯した。私が弱かったから。でも、貴女は赦してくれる。だから、私は生き続ける。もう、大切なものを失わないように。
ルージュ、世界に呪われた貴女が世界を憎まずに、ロー、世界を憎んだ君が生きるから、私は世界の声を聞く。私は穢れた心を抱えながら望まぬ強さに耐え、前へ進み、私は王の道を歩く。
私は貴女の愛した世界で、君の生きる世界で、貴女が見ていた広い海で、君のいる広い海で、ハートの王の夢を見る。
幼い日の私。
「私は、お医者さんになりたい。おじさんを治せるようなお医者さんに」
______私はたくさんの人を治したよ。大切な人を救ったよ。
「ルージュとおじさんとあの子と私で海の向こう。ずーっと向こう。旅をするんだ」
______私は大切な人たちと海を旅しているから。
「私が世界を変える」
______だから、私は……
「夢から覚めたか?」
全てが鮮明に見える。私への劣等感、所有欲、不安も。そして、その全てを私は受け入れる。
「おかしなことを言うね」
今やその全てが愛おしい。ああ、だから、あの人たちは心なき王を愛してくれたのだ、とそう思う。普遍的な愛など存在しなくて、そこには全て理由がある。だから、理由なんて考えなくていい。そこに愛があるのなら、理由は必ずあるのだから。
「私は今から夢をみるんだ」
______君の隣で自由の海を渡り、世界を変える王になる。私は夢をみる。この世界は強者にも弱者にも厳しいから、だから、私はこの世界を変えなくてはいけない。私は世界を赦さない。この世界を愛せる日がくるように。