ホワイトデーは物騒

 忘れないうちに用意しようと思ったのだろう、同居しているのに関わらず、デスクの上に置いてあった同居人の買ったクッキーを、アリアンスは眺めた。日持ちはじゅうぶんだ。
______コンビニで買ったな……
 一応、ホワイトデーの特設コーナーで買ったのだろう。もし、ローがしっかりとした店で買っていたならば、どこにでもある品のよいだけのクッキーにはならない。しかしながら、ローが活動できる時間帯に空いている店はなく、ネット販売を利用しようにも同居しているアリアンスが受け取る可能性が高い。そうかといって、お返しを用意しないような性質ではない。
______これこそ、義理。
 本当に義理しかないお返しだが、おそらくローが今回用意したお返しはアリアンスのものだけだろう、とアリアンスは思っていた。むしろ、義理を通してくれるだけアリアンスは幸せなのだ。
 とはいえ、アリアンスは例年通り何もなくても何も思わない。むしろ、ローに密かに心を寄せている同僚たちのことを思うとアリアンスは素直に喜べなかった。アリアンスにとってローは特別で、ローに対して求めるものはあるのだが、それは資本主義社会で決められた日の物のやり取りで得られるものではない。
 その日は、アリアンスはバレンタインに配った分以上のお返しをもらい、若干本命ではないかというものももらったが、全て持ってきていた大きな鞄に箱と紙袋を別にして詰めた。そして、ローからのお返しを紙袋ごとその上等なお菓子の上に置いた。
 アリアンスの帰宅時間はあまり変わらない。買い出しをする日などは幾分か遅くなるが、少なくとも病院を出る時間は大概定時である。その日も同様だった。そのため、アリアンスを待ち伏せるのは難しいことではない。
 その日、アリアンスが病院から歩いて出ると、道の脇に黒のボルボが停まっていた。
「アリアンス殿、お迎えにあがりました」
 迎えなど頼んだはずがない。見慣れた顔が窓から覗き、ドアが開くと手を差し伸べられる。アリアンスは紙袋の大量のチョコレートを持ったまま、淑女のようにその手をとって車の後部座席に乗り込む。
「不用心が過ぎませんか」
 アリアンスをエスコートして後部座席に乗り込んだのはヴェルゴだった。ヴェルゴは長い潜入期間中に幼い頃のアリアンスと出会し、その頃からの仲であり、そしてその仲は当時から頗る悪い。
「なんかヴェルゴよく喋るようになったよね。内偵向いていないんじゃない。何しろ、子どもに一発で見破られるって」
 幼少期のアリアンスはヴェルゴを見破った。そして、何も持たない幼女に見破られたヴェルゴは、その矜持を酷く傷つけられた。その上、基本的にアリアンスは昔から常にヴェルゴを下に見ている。
 プライドの高いヴェルゴが大人しくしていられるはずがない。
「今は何の後ろ盾もない小娘が」
 ヴェルゴは体勢を変えるが、それを阻むようにアーミーナイフが光る。アリアンスは、黒のボルボを視認した瞬間から、すでにナイフを手にしていた。
「私にいつも勝てない理由、考えた方がいいじゃない?」
______ 僅差なら煽りに乗った方が負けなんだよ。
「軽犯罪法違反だ」
 刃渡りの関係で銃刀法違反にはならないが、相手に見せないようにして刃物を出していたアリアンスは確かに軽犯罪法違反である。
「こっちはヴェルゴを起訴できる証拠は大量に保持しているよ」
 アリアンスはヴェルゴを起訴できる証拠も伝も全て所持している。ヴェルゴがアリアンスに対して冷静ではいられない理由の一つでもあり、逆にアリアンスがヴェルゴに対して強気な理由でもある。



 ドフラミンゴのオフィスのひとつ。二人は緊迫した空気のままで、運転手がヴェルゴの代わりに扉を開ける。
「お前ら、二人揃うといつも仏頂面だな」
 クラシカルな漆黒の革張りのソファーに桃色のファー。黒を基調とした薄暗い部屋で、異様な存在感を放つのは、裏社会のボス、ドフラミンゴだ。
「わかっているなら、ヴェルゴを迎えに寄越すのやめたら?」
 ドフラミンゴがアリアンスを招待したのはこれが初めてではない。警戒するべき相手をしっかりと見極める彼は、アリアンスの迎えに最も信頼できる幹部を選んでいた。そのせいで、いつもアリアンスはドフラミンゴと会ったときは無表情だ。
「まあ、でも、お迎え、感謝するよ。最近は、黒のワンボックスが主流なのに、黒のボルボなんて。そういうところ好きだよ、天夜叉」
「世間知らずのお嬢様を傷つけてしまったらまずいだろうよ」
 昔こそ黒のボルボが主流であった裏社会の車事情も、今となっては時代の波に乗って、国産の黒のワンボックスが多い。天井が高く、中で着替えることも可能で、世間の中に紛れることで、警察の目を掻い潜ることができる。しかし、物理的な安全性でいえばボルボに勝るものはない。ドンキホーテファミリーは、日本の警察組織など相手にしない実力を持っているからこそ、車としての実用性のみでボルボに乗り続けることができる。
 ドフラミンゴはヴェルゴに下がるように指示をして、アリアンスを座らせた。アリアンスは来客用のソファーに腰掛け、ドフラミンゴに尋ねた。
「世間知らずのお嬢様からのバレンタインは、どうだった?」
「あァ、とりあえず、あいつらがバカだということはよくわかったぜ。お前が何もわかっていないと思い込んでいたんだからよ」
 お嬢様だなんて皮肉だ。彼は世界に轟く血筋の持ち主だ。それを調べ上げたものが、アリアンスの贈ったバレンタイン。少なくとも、アリアンスの実力でさえもその程度の情報は漏れ出しているということを示している。それは、ヴェルゴの権限でも調べきれなかったことであり、ドフラミンゴにとっては有用でありながら、同時に不快なことでもあった。
 しかし、ヴェルゴとは異なり、その程度で冷静さを欠くようなことはお互いにしない。
「お返しだ」
 青いファイルが投げ出される。アリアンスは器用にそれを受け取ると、中身を開いた。
「随分と物騒な出自だ。流石の俺でもぶったまげたぜ。ヴェルゴを一発で見破ったのも納得だ。むしろ、この二人の血を引いて、その程度のことすらできないのならば鼻で笑われるだろう」
 記されていたのは、アリアンスの出自。アリアンスは戸籍がなかった。今記されているのは、養父であるガープの名前だけである。出生届はなく、アリアンスがエースの従兄弟であり、ルージュの姪であることも、当時四歳であったアリアンスの伝聞に過ぎない。ルージュの戸籍を辿っても、ルージュに兄姉は存在しないことになっている。
 公的には存在しないアリアンスの両親。問題なのはアリアンスの両親だけではなく、それを抹消したのは誰なのかということ。アリアンスは自身が見つけることができないことから、抹消したのはアリアンスの両親であると結論づけた。
 そして、アリアンスの両親は少なくとも光の当たる場所にはいなかったことも。
「ありがとう、天夜叉。私も知らなかったよ。まあ、ここまでひどいとは思っていなかったけれど、だからこそだね。私があらゆる手段を講じても調べられなかったのに関わらず、ここまで綺麗にまとめてくれるなんて、やっぱり裏社会のカリスマは違うね」
 アリアンスの目的は、ドフラミンゴを利用して自身の出自を探ることだった。ドフラミンゴが調べることができなければ、誰も調べることができない。アリアンスはドフラミンゴのことを正当に評価はしていた。
 闇の中の闇を煮詰めたかのようなアリアンスの両親。一人は、生死不明となっている国際指名手配犯にして、世界的な政治的宗教指導者。もう一人はさらにひどい。二人の関係性は不明だが、アリアンスの両親であることだけは確からしい。エースの親は有名な国際指名手配犯だったが、アリアンスの場合両親が同程度でひどい上に、徹底的に隠匿されているので性質が悪い。ただ、その決定的証拠はない。そもそもこの二人の繋がり自体が知られていない。
 アリアンスの両親は互いの関係性と同時に、アリアンスと自身の関係性を隠し通した。今手元にある資料は、アリアンスだからこそアリアンスの両親だとわかるだけであって、そうでない者にとってアリアンスの両親だと証明できるものはない。
 唯一証明ができるはずだったゴールド・ロジャーもポートガス・ルージュも正義の名の下殺されたようなものだ。
「そういうことか。目障りなゴミだと思って油断していたが、まんまと利用されちまったってことだな」
「世間知らずのお嬢様じゃなかったっけ?」
 アリアンスはわざと穏やかな笑みを浮かべてみる。
「鷹の子鷹ならずとはお前のためにある言葉だな」
「鷹にならなかったのは、ドフラミンゴのおかげだよ」
 ドフラミンゴは舌打ちする。そう、いつもローのことになるとそうだ。光の中にいながらも、悪に染まる可能性を孕んでいたアリアンスを、人を救う医者という存在に落とし込んだのはローだ。
 沈黙が流れる。嫌な沈黙ではない。お互いにとってのローという存在を噛み締める。
 それを破ったのはアリアンスの着信音だった。アリアンスはローの着信音は他の着信音と変えてある。病院からではなくローから直接の連絡となると仕事関係ではない。
「今日に限って帰りが早いみたい」
 家にいるはずのアリアンスがいないことにローが気がついたのだ。
「天夜叉、ここはGNSSの電波遮断している?」
 アリアンスの位置情報はローが把握できるようになっている。プライバシーのカケラもないが、アリアンスはその程度のことは気にしないので普段は問題にしていない。しかし、今は別だ。
「残念だが、ここは遮断してねぇな。死んだお前の亡骸が腐る前に引き取りに来てもらうこともあるだろう。わざと遮断装置を切断してある」
 アリアンスは強い。しかしながら、裏社会のボスが本気でアリアンスを消そうとしたのならば、銃刀法違反にならない程度の装備ではアリアンスは生き延びることはできない。
「ここに居座れば。直にローが来る。悪いけど、お暇させてもらうよ」
「帰るのか?」
 アリアンスがドフラミンゴの脅しに臆したかのように映ったのだろうか。しかし、アリアンスはドフラミンゴが自分如きを殺さないことを知っている。アリアンスを殺すメリットよりも、殺したときに波及するデメリットの方が大きい。アリアンス自身の価値とはその程度なのだ。
 それに、アリアンスがこの場を立ち去る一番の理由はそれではない。最後にとっておきをお見舞いしたかったのだ。
「"私の"ローを見たいなら居座らせてもらうけど?」
 ドフラミンゴの舌打ち。アリアンスをそれを背に足速にオフィスを出た。



 ヴィオラは客人が来ると言われて、ドフラミンゴの簡易的な私室に追い出されていた。簡易的とはいえ、調度品は全て一級品であり、待たされたところで困ることはない。もっともヴィオラは、そこが喫茶店だろうがなんだろうが、問題はない。
 慌ただしく来客が出ていったのを音だけで確認すると、ヴィオラは私室と扉一つ隔てた先にあるオフィスに戻った。
「それは、どうしたの、ドフィ」
 オフィスを出たときにはなかった場違いなものがテーブルに置いてあった。一級品に埋め尽くされた空間に、コンビニで買ったような庶民が口にする程度の上等な菓子。
「ローがあの女に贈ったお返しとやらだろう。鞄の一番上に袋入りで置いてあったから、俺のとっておきに集中している間に奪ってやった」
 ドフラミンゴはテーブルに足を置き、ソファーから宙を見ている。
「あなた、不器用ね」
 その姿、纏う雰囲気を見るだけで、ヴィオラはドフラミンゴに何があったのかを悟ってしまう。
「お前の命知らずなところは嫌いじゃねぇ」
 それは事実だ。目の前の男は強欲で、盲目に信じる者たち以外に、ヴィオラのような存在を求める。だから、ヴィオラもそれに応える。
 それが彼女と彼女の家族が生き延びるための唯一の手段だっただからだ。
「そういえば、ドフィ。私に大切なもの、忘れていないかしら」
 ヴィオラが彼の近くにいて気づいたことの一つが、彼が意外とまめなことだった。そうでなくては、いくらカリスマがあろうとも裏社会のボスなどやっていけはしない。
 叩きつけられた紙袋は上等な品で、かつヴィオラが好むものだった。ストックホルム症候群に陥っている自覚はあるものの、ヴィオラは彼の細やかさは嫌いではなかった。
「ありがとう、ドフィ。私、これ、好きよ」
 そう言いながらも、ヴィオラの興味はテーブルの上の紙袋にあった。それに気がつかないドフラミンゴではない。そして、ヴィオラもそれに気づかれることくらいはわかっている。
「ローがあの女に贈った物など、俺は興味がねぇ。持っていけ。あの人間もどきの女のことだ。奪われたところで何も思わねぇ」
 ヴィオラはローのことも、アリアンスのこともほとんど知らない。とはいえ、ドフラミンゴは時折思い出したかのように二人について語り、ベビー5もよく二人の住居に出入りしているようで話をする。
 何も思っていないなんてことは嘘だ。自身の別側面を映し出したような二人がどうしようもなく妬ましいことをヴィオラは知っている。
「あなた、本当に不器用ね」
 可愛らしい紙袋をヴィオラは手に取る。ベビー5にでも渡しておけば問題はないのだろう。しかし、不機嫌な目の前の男のその原因について、ヴィオラはいくら勝手にしろと言われても己の一存で決める気はしない。
 ローとアリアンス。
 二人が合わさるとそれはドフラミンゴであり、その一方でドフラミンゴではなくなる。自己愛と一言で語るには難しい感情をこの男は二人に向けている。そして、それを自覚しながら素直に口に出すことはない。
 そのせいで、この悪党に僅かに残った尊い感情を、向けられたローは理解することができない。それは、ロシナンテも同じこと。
「今晩は一緒にいてあげるわ」
「いつからお前はそんなに偉くなった」
「あら、嫌かしら」
 挑発的な笑みを浮かべると、ドフラミンゴは悪くはねぇ、と口元を歪めて笑った。可愛らしい贈り物をするような二人と、ドフラミンゴとヴィオラの関係も、まるで逆転したかのようなものである。しかし、ヴィオラもローも同じなのだ。魅入られてはいけない人間に魅入られてしまったことも、それを受け入れてしまったことも。



 ローはその日は早く帰った。本当は仕事が長引くはずだったが、良い意味で予想を裏切り、仕事はすぐに片付いた。夕食を適当に済ませて家に戻る。しかし、家に灯りはついていない。そして、アリアンスもいなかった。
 ドンキホーテ・ドフラミンゴ。
 バレンタインにアリアンスが贈り物を贈った相手の一人。それを思い出したローは、アリアンスの連絡先に電話をかけた。繋がらない。ローは電話を切ると、位置情報を確認した。場所は都心。嫌な予感がした。
 ローは慌てて着替えて、とりあえず家の中にある武器になりそうなものを鞄に詰めた、ちょうどその頃に電話が鳴った。
「今、ドフラミンゴのオフィスを出た。多分、小一時間もかからないで家に着くから」
「何をやらかした?」
 ローは強い口調で問いただす。
 アリアンスは強い。それはローがかつてアリアンスに告げた言葉だ。しかし、アリアンスには権力はない。それはローが与えなかった。ローがアリアンスに選ばせたのは人を救う力だ。
 ドフラミンゴが殺しにかかれば、アリアンスを殺すことなど造作もない。
「大したことではないさ」
 それだけ告げられると、電話は一方的に切れた。位置情報を確認すると、アリアンスは駅にいることになっていた。ローは溜息を吐くと、ソファーに腰掛け、人騒がせな同居人の帰宅を待った。
 小一時間でアリアンスは帰宅した。鞄からホワイトデーのお返しをひっくり返している姿をローは特に何も考えずに見ていた。
 アリアンスがある一言を発するまでは。
「忘れた」
「何をだ?」
 珍しくアリアンスがバツの悪そうな顔をしている。それだけでなんとなくローは予想はついていた。
「ローからもらったやつ、ドフラミンゴのところに」
「ああ、別に構わねぇ」
 ローは前日まですっかりホワイトデーの存在を思い出したり忘れたりを繰り返しており、当日の朝、コンビニエンスストアでお茶を買ったときに思い出し、忘れないうちにアリアンスのデスクに置いたのだ。そもそも、ローはホワイトデーに興味がない。ただ、アリアンスが毎年用意しているとわかった今、お返しをしないほど、不真面目な人間でもない。
「じゃあいいや」
 よかった、とばかりあっさりと返されて、ローの中を理由のわからない不快感が支配した。表に出さなければ良いのだが、ローは比較的感情が顔に出る方である。
「なんで不機嫌になる? 構わないって言っただろ」
 そんなことローにだってわからない。その日は不機嫌なまま過ごし、翌朝ローはアリアンスが目覚めるより先に家を出ていった。



 翌日、アリアンスが夕食を終えて学会誌を見ていると、玄関のチャイムが鳴った。チャイムを鳴らしてやってくる訪問客は何人かいるが、よくやってくる訪問客の中でチャイムを連打しないとなると人数は限られる。
 ちなみに、チャイムを連打するのはサボとルフィである。エースはアリアンスの帰宅直後に一人でお返しを持ってきて、すでに帰っていた。
 アリアンスが扉を開けると、そこにはアリアンスの予想していた人物がいた。
「ねぇ、若様がお使い頼んでくれたのよ」
 満面の笑みのベビー5はアリアンスの予想通りだった。ただ、アリアンスが釘付けになったのはベビー5の手元にあった紙袋。
 忘れ物したんでしょ、と言うベビー5に、自分自身も忘れ物と言っておきながら、すられたものは忘れ物と言って良いのか、などととアリアンスはぼんやりと思った。
「大切な者じゃないの?」
 ドフラミンゴとアリアンスに必要とされた。そう思い込んでいるベビー5は不安げに尋ねる。アリアンスはベビー5の考えていることは簡単に読めるので、自身でも理解しきれない動揺を処理せずに、ベビー5の不安を拭うことにした。
「いや、もう戻ってこないと思っていたから、どう反応していいのかわからなくて」
 アリアンスは基本的に執着心が極めて薄い。しかし、もう戻らないと思っていたものが戻ったことが嬉しい。普通の人間ならばすぐに消化できるはずの感情が、上手く処理できずにいた。
 そんなアリアンスの気も知らず、ベビー5は一気に顔に笑顔を咲かせた。
「若様が言っていたとおり。やっぱり、若様、すごいわ」
 アリアンスは目を見開いた。
 執着をするドフラミンゴ、執着をしないアリアンス。しかし、そのドフラミンゴは、アリアンスにどこでも買うことのできる物であったとしても、ローの買ったものには執着をしてしまうという、アリアンスの思考を読み切った。そして、その事実を突きつけてきたのである。
「どうしたのよ、アリアンス?」
 アリアンスの感情の変化は大きかった。ベビー5ですらわかる程度には。
「何でもない。帰りは大丈夫? 送ろうか?」
「ヴェルゴがここまで車で送ってくれたから大丈夫」
 アリアンスは最も聞きたくない名前を聞かされて、なるべくベビー5に不快感を与えないように感情を抑え込み、笑いかける。
「じゃあ、悪いけどここで見送りさせてもらうね」
 心の中にざわつく何かを前に、あの男と会うのはごめんである。



 ローとアリアンスが病院勤めになってからよかったことがある。それは、アリアンスと始終一緒にいないせいで頭を冷やす時間があることだ。特に人の命が関わっている仕事の最中も同居人のことなど考えていられない。それまでは、高校からずっと一緒だったせいで、ローのアリアンスに対する怒りも長引いたが、仕事のせいで良くも悪くも忘れることができる。
 そのため、昨日の今日だがローは決して機嫌が悪いわけではなく、むしろホワイトデーのことなど記憶から完全に忘却されていた。
 帰宅して、同居人の姿を見るまでは。
「どうした、珍しく不機嫌じゃねぇか」
 アリアンスが不機嫌になることは珍しい。拘りがなく鷹揚で、思い通りにいかないことなどほとんどなく、ゆえに滅多に機嫌を損ねることがない。ローの場合は強い執着心のせいだが、アリアンスの場合、滅多に機嫌を損ねないため、気分転換はそれほど上手くはない。
 ソファーと一体化しているかのように力なくうつ伏せになっている姿は溶けているという表現が一番しっくりくる。
「今すぐ甘いもの食べたい」
 アリアンスはぼそりと呟く。
 今思えば、出会った頃のアリアンスは警戒心の塊だった。極められた武術も、元々のセンスもあったが、世界を酷く恐れたがゆえのこと。頭が良いせいで取り繕えてはいるものの、大人になったのは体だけで、心は子どものままなのだ。
 ふとテーブルを見ると、ローが購入してアリアンスがドフラミンゴのところに置き忘れたクッキーが置いてあった。それだけで、ローは何となく何があったのかを察した。
「ドフラミンゴにしてやられたのか?」
 唸り声。どうやら、あの後、しっぺ返しを食らったらしい。僅差で常に負けるのだから、一々ムキになる必要はないのに、毎回飽きないものだ、とローは思うが、まさにアリアンスが常日頃ローに対して思っていることだとは考えていない。
 ローはわざわざ紙袋から箱を取り出して、箱からクッキーを出してやった。そして、そのクッキーをアリアンスの口元に持っていく。
「甘い」
 何について言ったのかはローにもわからない。ただ、がぶりと齧り付いて、手に取って食べ切った。ローは気をよくして、ソファーカバーに散らばった髪を触れる。かつては体を触られるのを酷く嫌がった同居人は甘えたように少しだけ微笑んだ。

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