揺りかごでララバイを

「善逸、炭治郎くんには絶対に言わないでほしいの」

名前ちゃんは困ったように笑いながら言ったんだ。まるで俺がそう言われて、簡単に頷くはずがないということを分かって、先回りしていたかのようだった。

彼女から『お願いがある』と言われた時、いつも俺のことを助けてくれる名前ちゃんが俺を頼ってくれたことが嬉しくて、能天気に喜んだ。そうして、彼女の口から告げられたのは、お腹に赤ん坊を身篭ったということ、だから鬼殺隊を抜けなければいけないということだった。『みんなと一緒に戦えなくて、ごめんね』と、心苦しそうな表情をしていた彼女だったが、俺にとってはそんなこと、どうだって良かった。嬉しかったんだ。俺の大好きな二人の間に子供が出来たということが。当時、二人が恋仲であるということは周りのみんなも、もちろん俺だって知っていたから、お腹の中の子供のもう一人の親が炭治郎だということは、そんなこと聞かなくたって分かってた。俺は本当の親を知らないから、こんなことを言ったら少し可笑しいと笑われるかもしれないけれど、まだ生まれてきていないお腹の中の赤ん坊は、炭治郎と名前ちゃんの二人の子供だという事実だけで、きっとこの世で一番幸せになれるって、予告をされて生まれてくるようだった。

だけど、そんな呑気なことを考えていた俺に名前ちゃんは『それでね、』と続きの話を切り出した。ひとりで勝手に舞い上がっていた俺が高いところから地面へと瞬く間にその感情を突き落とされたのは言うまでもない。それは自分が子供を身篭ったことを炭治郎には絶対に言わないでほしいということだった。しかも父親である炭治郎に、だ。無理だ。無理に決まってる。

俺はどうしても府に落ちなかった。何で、二人がこうして離れ離れになってしまわないといけないのか。だって炭治郎からも名前ちゃんからもお互いを想い合っている音がするんだ。

『約束ね、』と、彼女は俺の腕を取ると右手の小指を出して俺のそれと絡めた。これが名前ちゃんが俺へと頼んだ、最初で最後のお願いだった。あの時の指切りがなければ、きっと俺はこんなふうになってしまったことに耐え切れなくて、炭治郎にぜんぶ打ち明けていたのかもしれない。それが出来れば、どんなに良かっただろうか。だけど、俺は彼女が絡めたその小指を振り解くことは出来なかった。俺が約束という言葉に弱いことを、俺がそう言われると破ることが出来なくなるのを知って、わざと分かってやったんだ。

そして、名前ちゃんは死んでしまった。


*   *   *


「そういえば、善逸はひなたちゃんのことを知っていたんだよな?」

炭治郎が俺の方を向いてそう言った。その日の薪割り当番であった俺が、外で薪用の原木に向かって斧を振って薪を作っていると炭治郎がやってきた。どうやら様子を見に来たようだった。『お茶が入ったから、少し休憩しよう』とお盆に湯飲みを二つ乗せている。俺も丁度ひと段落したところで、近くにある大きな岩に腰掛けながら話をしていた時だった。

「うん、知ってた、言えなくてごめん」
「ううん、いいんだ」

まさか名前ちゃんが死んじゃうなんて、俺だって、夢にも思ってなかったんだ。生きていてくれさえすれば、いつか二人は元どおりになって、ひなたちゃんの小さな手を炭治郎と名前ちゃんが握って、親子三人で並んで笑っているのを見れる日が、来るんじゃないかと思っていた。だけど、名前ちゃんは先に居なくなってしまった。じゃあ、ひなたちゃんの空いた方の手は誰が優しく包んであげられるんだよ。炭治郎はもう片手しか握ってあげられないんだから。こんなことになるのなら、約束なんて破ってしまえばよかったと、何度思ったことだろう。だけど、それが出来なかったのは他でもない、俺自身なんだ。

「俺は名前ちゃん本人から、口止めされてたんだ、絶対に言わないでほしいって」

瞼を閉じれば、あの日の約束を今でも鮮明に思い出すことができる。約束というよりも、それは彼女からの一方的なものだったけれど。

「炭治郎には鬼舞辻を倒して、禰豆子ちゃんを人間に戻すっていう、絶対に成し遂げなければいけないことがあるから、自分がその邪魔をしたくないんだ、って」
「そんなわけあるはずない」
「俺もそう言ったさ、炭治郎は、名前ちゃんのことも、お腹にいる赤ちゃんのことも邪魔だなんて言うはずないよ、って」

だけど、俺は気付いてしまったんだ。名前ちゃんは誰よりも炭治郎のことを分かっていた。だからこうしたんだろう?今だったら名前ちゃんがこんな風にひなたちゃんのことを炭治郎に隠し続けていた理由が、少しだけ分かる気がする。ほんの少しだけ。だって、炭治郎は優しすぎるから。

「名前ちゃんのお腹の中に自分の子供がいるって知ったら、炭治郎は家族になろうとしただろ?」
「そうするに決まってる」
「じゃあ、まだ鬼だった禰豆子ちゃんと名前ちゃんどっちかを選ばなければいけないことになれば、どうする?」
「それは、選ぶとか、そういうのじゃない」
「たぶん、そういうことなんだよ」
「そういうこと、って、?」
「炭治郎は自分で気付いてないのかもしれないけど、お前は家族の枠に入れた人たちのことを他の人よりも大事にするから、だから、これは俺の憶測だけど、名前ちゃんは身を引いたんだ、炭治郎が迷わないように、お前が自分の成し遂げるべきことを見失うことがないように」

俺に言われて炭治郎は言葉に詰まる。きっと、炭治郎自身にも思うところがあるんだろう。名前ちゃんは、お前の足枷になりたくなかったんだ。大事なひとを想う余りに。

名前ちゃん、炭治郎は今、君の子供と一緒に暮らしているよ。だけど、そこに君が居てくれたら、どんなによかっただろうか。


*   *    *


炭治郎とひなたちゃんが一緒に暮らすようになってからどれくらいの日が経っただろう。もうひなたちゃんは立派な俺たちの家族の一員になっていた。

外から戻った俺は『ただいまー』と、今では当たり前になった、幸せの呪文とでもいうのだろうか、どこかくすぐったくてあったかい、その魔法のような言葉を口にしながら、俺は玄関の扉を開けた。初めの頃は、誰かが待ってくれている家に帰るということが慣れずにいたことを、俺はふと思い出して、何だかひとり懐かしくなった。

すると、しーっと、人差し指を顔の前で立てて、大きな毛布を手に持った禰豆子ちゃんが奥の部屋からひょっこりと顔を出す。『お帰りなさい、善逸さん』と、ひそひそと小さな声で俺の帰りを迎えてくれた禰豆子ちゃんに、何かあったのだろうか、と不思議に思ったが、部屋の中を覗いた俺はすぐに納得した。

「お兄ちゃん、ひなたちゃんと一緒に寝ちゃったみたいなんです」

自分の兄とその血の繋がった子供を、優しい瞳で見つめながら微笑む女神のような目の前の彼女に、今日も禰豆子ちゃんは可愛いなぁ、といつものように惚けそうになったけれど、俺も彼女に倣うかのように畳の上でそのまま横になって眠っている炭治郎とひなたちゃんに視線を落とす。二人の近くには絵本が転がっていて、外から入ってくる隙間風によってパラパラとページがめくられる音がする。大方、ひなたちゃんに絵本を読んであげていた炭治郎も、つられてそのまま一緒に眠ってしまったんだろう。

すーすーと寝息を立てて眠る炭治郎とひなたちゃん。まるでタイミングでも計っているかのように二人のそれがぴったりと重なる。生き物からは様々な音が聞こえるんだ。特に人間は、それが顕著だ。その音が、二人が本当の親子であることを教えてくれる。炭治郎の右手はしっかりとひなたちゃんの身体を抱きしめていた。

「今度はちゃんと手、離さないようにしろよ」

起こしてしまわないようにと、俺と禰豆子ちゃんは眠ってしまった二人の身体に毛布を掛けてから、静かにそっと部屋の襖を閉めた。


(20200803)




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