染色体に乗せた愛

────ねぇ、もし私と炭治郎くんの間に子供ができたとして、その子はどっちに似ると思う?

「ゴホッ、ゴホ…こ、子供?!?!」
「あははは、もしもの話だよ」

あれはまだ、俺たちふたりの想いが通じ合ったばかりの頃だっただろうか。突然名前ちゃんがそんなことを言い出したものだから、まだ年頃だった俺は直前まで口に含んでいたお茶を勢いよく気管に入れてしまい、大きく咳き込んだ。『大丈夫?』と俺の顔を覗き込んで心配そうにする彼女から渡された手拭いを受け取る。『すまない、洗って返すよ』と申し訳なさそうに言う俺に、『ううん、そのままでいい』と彼女は首を横に振る。

「それで、さっきの質問、どう思う?」
「うーん、俺は名前ちゃんに似てほしいなぁ」
「私は炭治郎くんに似てほしいのに、」
「俺に似てもなぁ、」
「えー、じゃあ炭治郎くんみたいに赤くて綺麗な瞳はおんなじだったらいいなぁ、炭治郎くんが見てる優しい世界が見えそうだもの」

あの時はただの例え話だと思っていた。ひなたちゃんがまだ名前ちゃんのお腹の中にいる時に、彼女が遺伝子操作でもしたんだろうか。そうだとしか思えないくらいに、目の前のひなたちゃんの瞳は、宝石のようにキラキラと透き通った、綺麗な赤色をしているんだ。

「炭治郎、そんなに強く抱きしめたら、ひなたちゃん潰れちゃうよ」

善逸の声で我に帰った俺は、慌ててひなたちゃんから身体を離す。

「ご、ごめん!痛いところはないか?」

まるでその問い掛けが聞こえていないんじゃないかという程に、俺の顔をじぃっと見つめ続けるひなたちゃん。

「おにいちゃん、たんじろうくん?」
「そうだよ、俺の名前は竈門炭治郎っていうんだ」

俺が名前を告げると、ひなたちゃんはそのまぁるい瞳を更に大きく見開いた。その瞳の中には反射して映り込んでいる俺の姿が見える。瞳の色は純度の高い炎のように澄んでいた。

「おかあさんのおしゃしんのたんじろうくんだ!」

ひなたちゃんが口にした写真が何を表すのか、俺にはさっぱり見当が付かないけれど、もしかして、俺のことを知っているのか…?俺は今日初めてひなたちゃんの存在さえも知ったというのに。

「おかあさんがね、ひなたのおとうさんはたんじろうくんっていうんだって、おしえてくれたの」
「ひなたちゃん、」

“君は俺が君の父親だということを知っているのか?”、そう俺が口にしようとしたところで、タイミングでも見計らったかのように『ひなたちゃん』と背後から名前を呼ぶ知らない女の人の声が聞こえた。

「おばあちゃん!」

おばあちゃんと呼ばれたその人は、俺の方を向いて『一緒に遊んでいただいて、ありがとうございます』と、軽く頭を下げて微笑んだ。きっと名前ちゃんの母親なのだろう。優しい空気を纏ったような柔らかな雰囲気が、どこか彼女と似ているような気がした。

「初めまして、俺は竈門炭治郎といいます。」
「炭治郎くん、貴方のことは名前から聞いていましたよ。娘にとても良くしてくれていたようで、ありがとう。」
「いえ、良くしてもらっていたのは俺の方で!いや、そうじゃなくて、あの、それよりも、この子、ひなたちゃんのことなんですが、」
「キミがタンジロウか!?」

ミシミシと誰かの足音で床が沈む音がしたかと思うと、気難しそうな顔をした男性がやってきて、俺の頭のてっぺんから足の爪先まで、まるで品定めをするかのように上から下まで見た後で、じぃっと俺の顔を睨む。たぶん、この人が名前ちゃんの父親だ。あまりにも強く睨まれるものだから、思わず身体が萎縮してしまう。暫く俺を睨み続けた後、気が済んだのだろうか、その顔を背けると家の中へと戻っていこうとする。

「あ、あの!」

俺は咄嗟に大きな声を出して、彼女の父親を呼び止める。

「何か用かな」
「ひなたちゃんを俺のところで、お預かりさせてはいただけませんか!?」

どうして、俺に隠してまで、名前ちゃんが一人でひなたちゃんを産んで、ここまでずっと育ててきたのか、今の俺には分からないけれど、きっと理由があるはずなんだ。こんなにも遅くなってしまったけれど、どうか俺にだって親である役割を務めさせてほしい、父親という責任を取らせてほしい。男には腹を括らなければならない時があるんだ。それは、ひなたちゃんが名前ちゃんと俺の子供だと知った時から、もう決めていたんだ。

「無理だ」
「でも、お義父さん、」
「お義父さんなんて呼ばないでもらえるかい?ひなたは俺の孫だが、君が父親だなんて俺は認めない。それに碌に子供を育てたこともないくせに、一人で子供を育てるということがどういうことか本当にわかってるのか?」
「で、ですが、!」
「大体どの面下げて、今まで散々放ったらかしにしてた子供に会いにきたんだ!?」

俺はひとり握った右手に更に力を込める。

「ひなたちゃんに合わす顔なんてないことくらい、そんなの、俺が一番わかってるんだ!」

いきなり目の前に現れて、今まで名前ちゃんがずっと一人で育ててくれていた裏で、俺はそんなことも知らずに伸う伸うと生きてきて、今度はひなたちゃんと一緒に暮らしたいだなんて、そんなの都合が良すぎるのもわかってる。

「だけど、ひなたちゃんの母親が名前ちゃんしかいないように、この子の父親は俺だけなんだ!」

誰になんと言われたって、ひなたちゃんの父親は俺なんだ、

「こんの!わからずやめーーーー!!!!」

────ゴチン!

額と額がぶつかり合う音がする。考えるよりも先に身体が、頭が動いていた。気が付くといつものように頭突きをかましてしまっていた自分がいた。

名前ちゃんから昔、彼女の父親の話を聞いたことがある。『私のお父さんね、頭固いんだぁ、炭治郎くんと良い勝負かも』とくすくす笑って言っていたのを思い出した。ごめん、名前ちゃん、俺の方が、頭、硬かったみたいだ。

また、やってしまった…

気が付くと俺の足元には額に大きなこぶを乗せて倒れる名前ちゃんの父親。額にかいた冷や汗が頬を伝う。これはマズい、非常に…

『お兄ちゃんは手が出るように、すぐに頭が出るんだから!気を付けてよね!』と禰豆子にしょっちゅう言われていたことを思い出す。倒れてしまったお義父さんへ駆け寄ろうと足を踏み出そうとしたが、何かが俺の足を掴んだ気がした。足元を見ると、ひなたちゃんが俺のズボンの裾を掴んで離さない。

「ひなたちゃん、お洋服が皺になるからやめなさい」
「あっ、大丈夫ですよ」

こんなことでもないと、洋服のようなキッチリとしたものは滅多に着る機会なんてないので、別に皺になったって困ることなんてない。俺は手のひらを前に出して『本当に大丈夫なので!』と、お義母さんへ再び否定してみせる。それよりも、足元にいるひなたちゃんが俺の足を掴んで離さないので、どうしたものかと困ってしまった。

「たんじろうくん、いかないで、」

それは消え入りそうなくらいに小さな声だった。

「もう遅いですし、炭治郎くんよかったらうちに泊まっていってくださいな」
「ですが、」
「あの人なら大丈夫、生まれつき頭が硬くて丈夫なので、少ししたら元気に起きてきますよ。それに、ひなたちゃんが離してくれないと思いますよ」

ふふふ、と微笑むお義母さんの声に比例するかのように、俺の足にしがみ付く力が少しだけ増したような気がした。

*  *  *

『お風呂が沸いているので、どうぞ』と進められ、申し訳ないと思いながらも、先にお風呂を頂いた俺はふと外の方を見る。先程まで明るかった空は既に暗くなっており、日が落ちるのが早くなってきたように感じる。結局は名前ちゃんの実家に今晩は泊めてもらうことになった。善逸と伊之助は俺がお義父さんとどんどん立ち入った話になっていったからなのか、禰豆子と合流した後、先に家へと帰ったようだった。

ふと、懐かしい匂いが俺の鼻を掠める。この家中、名前ちゃんの匂いがするんだ。まるで彼女に優しく包み込まれているかのように感じて、不思議と心地が良かった。彼女がこの家で育ったのだということが、誰かに教えてもらわなくたって匂いだけでも伝わってくる。

家の中を歩いていると、俺は外の方を向いて縁側へ座るお義父さんを見つけた。ぼぅっと、どこかを見つめているようだった。『お義父さん』と近寄って声を掛けると、『君にそう呼ばれる筋合いはない!』とお決まりの言葉が返ってきて、じろりと睨まれ俺は慌てて肩を竦ませる。

「さっきはすみませんでした、」
「いや、こちらも大人げなかった」

俺はお義父さんの隣に腰を下ろす。

「これから言うことは全部、俺の独り言だから聞き流してくれていい」
「ハイ、」
「ひなたを身篭っていることが分かった時に、俺は父親は誰だと問い詰めたんだが、名前は頑なに口を閉ざしていてな、だけど自分ひとりで産むと言って聞かなかったんだ」

「父親が誰か言わないと産むことだって認めないって言ったら君の名前をついに教えてくれたよ、だけど君にはこのことは絶対に言わないでほしい、と。君も鬼殺隊だったんだろう?大方、君に迷惑を掛けたくなかったんだろう」
「そんな、迷惑だなんて、」

迷惑になるなんて、そんなこと、あるはずがないじゃないか、

「俺にはそれが正しいのかどうかなんて分からなかった、俺からしたらまだまだ子供だった娘がひとりで赤ん坊を産むと言っていたんだから。だけど何かを決心したかのように、あんなに強い意思を持った娘を、名前の決意を、俺は止めることなんて出来なかった」

「普通に結婚して子供を産んで、普通の幸せを手に入れればいいものを、鬼殺隊なんかに入って、自分が命を落とすかもしれないのに他人のことばかりで、じゃあ、いつ娘は幸せになれるんだと、そんなことばかり考えていた。」

名前ちゃんは俺のように鬼に誰か身内を殺されて鬼殺隊に入隊をした訳ではない、鬼から人の命を守るため、これ以上理不尽な理由で命が奪われないようにと、そのために刃を振るって闘っていたんだ。そんな君がひとりでひなたちゃんを産むと決めた覚悟は、どれほど大きな覚悟だったんだろうか、想像しただけで泣きそうになる。

「だけど、娘はすごい子だったんだろう?」
「はい、名前ちゃんはすごい子でした、優しくて、強くかった、誰よりも」

『そうか、』横顔しか見えないけれど、少しだけ嬉しそうに口角が上がったような気がしたように見えた。パタパタと小さな足音がして、俺の背中へと何かがぶつかる。身体を後ろに向けると、それはひなたちゃんだった。

「ひなた、たんじろうくんといっしょにいたい!」
「ひなたちゃん、」

『おじいちゃん、おねがい』そう言って隣のお義父さんに向かって赤い瞳を大きく揺らす。お義父さんはひなたちゃんを見つめると、観念したのかのように大きく息を吐いた。

「偶には此処へ顔を見せに来ること、俺の大事な孫を泣かせたりなんかしたら、今度こそ許さないからな」
「ハイ!お義父さん、ありがとうございます!」
「だからお義父さんって呼ぶな!」
「すみません!お義父さん!!」

『よかったね、ひなたちゃん』、俺はそう言って笑いかけた。ひなたちゃんも小さく笑った気がした。


その夜は名前ちゃんが使っていた部屋に布団を敷いてもらい、ひなたちゃんと一緒に寝ることになった。きっと今日一日、沢山疲れたんだろう、すぐに瞼を閉じて規則正しい寝息が隣の小さな身体から聞こえる。

俺は部屋の隅にある机の上に、写真立てがひとつ置いてあるのを見つけた。そこには幸せそうに笑う俺と名前ちゃんが写っていた。俺と彼女が恋仲であった頃に、彼女に連れ回されて街へと出掛けた時だった。俺と二人で写真を撮りたいと言った彼女に腕を引かれてそのまま連れ込まれるように入った写真館。壁に掛けていた喪服の上着の内ポケットの中から俺は同じ写真を取り出す。ひなたちゃんが言っていた“写真”とは、この飾ってある写真のことなののだろう。あれからずっと、捨てられる筈なんてなくて、それを持ち歩いていた俺のように、彼女もずっとこうして持っていてくれたことを知り、心の奥がポカポカと温かい気持ちになる。

「名前ちゃん、俺も忘れないでいてもいいかい?」

分かってはいたけれど、その返事はいつまでたっても返ってくることは無くて、夜の静寂に消えていった。

*  *  *

朝になって、俺たちはご両親に挨拶をした後で名前ちゃんの実家を出た。ひなたちゃんを右手で抱えながら家へ続く家路を歩く。

「ひなたちゃんは今日から竈門家の一員だ!」
「かまど、?」
「そうだ!竈門ひなただよ」
「かまどひなた、?ひなたのおなまえ?」
「うん、きっと賑やかで楽しいと思う!これからはずっと一緒だよ」

こうして、俺とひなたちゃんの生活が始まったんだ。名前ちゃん、君が大事に育ててくれたこの小さな命を、今度は俺が大事にする番だ。きっと、大切にするから、空の上から見ていてくれないか。

(20200729)




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -