この世界に残してくれた宝物

ゆらゆらと小さく煙を揺らしながら燃える線香の匂いが、この広間一帯に広がって充満している。この匂いは昔から、あまり得意ではない。祭壇の上に飾られた写真の中で笑う彼女は、4年前、俺に“さよなら”を告げた時と変わらない笑顔で笑っていた。

『流行り病らしいが、余りにも早すぎる』

彼女の親族の誰かだろうか、知らない人がそう話していた声が聞こえた。

かつての同志たちがこんなにも揃って顔を合わせたのは鬼殺隊が解体されて以来だろう。彼女と共に鬼と戦ってきた鬼殺隊の面々が集合した。彼女は“柱”の階級では無かったけれど、鬼の手から沢山の人たちを守る為に、その小さな身体で刃を振っていた立派な鬼殺隊の剣士だった。俺なんかよりも鬼殺隊として誇りを持って鬼と闘っていたのだ。それこそ、世の為、人の為に尽くすことを表す、“滅私”の想いで。葬儀に出席している顔ぶれが、彼女がこれまで生きた生涯で築いてきた人との繋がりの広さと深さを物語っている。


手向の花を彼女の顔の周りへと置いてやる。本当に死んでしまったのか、と疑いたくなるくらいに、その顔は綺麗なままで、『炭治郎くん、おはよう』なんて今にも瞼を開いて、昔みたいに言ってくれるんじゃないかとさえ思ってしまう程だった。『名前ちゃん、起きてよ、朝だよ』なんてその肩を揺らして、手を伸ばせばすぐに触れることの出来たあの時のように声を掛けてしまいそうになって、喉まで出てきた言葉を必死に押し戻した。もしも俺が、君の好きだった海の向こうにある異国の絵本に出てくる王子様だったなら、君は俺の口付けで目を覚ましてくれるのだろうか。そういえば、その前に俺は君の王子様にはなれなかったんだった、ということを思い出して思わず自嘲してしまった。

苗字名前 享年 20歳
俺にとって、これから先の未来を共に生きていきたいと思っていた唯一の女の子だった。全部終わって禰豆子を人間に戻してやったら、もし俺が鬼を知らずに生きていた、あの時の穏やかな日常を取り戻せるのなら、君の隣で生きていきたいと思っていたんだ。君があの日、俺の前から消えてしまったことで、それは叶うことはなかったんだ。こんなことを言ったら君はその眉を下げて困ったような顔をするかもしれないけれど、俺は今でも君のことが好きなんだ。君はあの時にもう俺のことを嫌いになってしまったのかもしれないけど、それでも、それでもやっぱり、世界で一番愛していたのは、名前ちゃん、君だったよ。

「それでは出棺のお時間です」

怖くなって火葬場には行かなかった。名前ちゃんの遺骨なんて拾える自信なんて、これっぽっちもなかったし、最後に見た君は色鮮やかな花に囲まれて、棺の中で目を閉じて眠る君がいい。冷たい何かが自分の頬を伝っているという感覚で、俺は自分が泣いていることに気が付いた。これで本当に、さようなら。最後にもう一度、君が笑った顔をこの目で見たかったなぁ、なんて後悔ばかりが津波のように押し寄せてくる。


お兄ちゃんが行かないならばと、俺の代わりに火葬場には禰豆子が向かってくれた。善逸と伊之助は火葬場へは行かずに俺と一緒に残ってくれた。俺をひとり残す訳にはいかないと、二人なりに気を遣ってくれたのだろう。

何となくこの気持ちから開放されたくて、俺は靴を履いて外へと出た。慣れない喪服の黒い背広の上着を脱いで、黒いネクタイが締められた襟元を緩める。窮屈だったそこに新しい空気が入ってきて、首元が少し楽になった気がした。ふと庭の方に視線を向けると、小さな女の子が地面にしゃがみ込んでひとり遊んでいるのを見つける。誰かの子供だろうか。この場所からだと表情までは伺えないけれど、とても綺麗な黒髪をしている。どうしてだか俺はそれが気になって、その子の正面に身体を移動させる。目線の高さになるように蹲み込んで、俺は顔を覗き込んだ。女の子の瞳は宝石のように赤く澄んだ色をしていた。俺と同じ色をしていた。

「こんにちは」

目の前の小さな女の子へ、出来る限り怖がらせないようにと気を付けながら、優しい声色で声を掛ける。

「こんにちは!」
「何してるの?」
「かぞくごっこ!」

小さな女の子は両手に人形を持って無邪気に笑いながらそう答えた。禰豆子や花子がまだ小さい時に、俺も一緒になってやっていたなぁ、となんだか懐かしい気持ちになった。

「へぇ!楽しそうだなぁ、兄ちゃんも混ぜてくれないか?」
「うん!いいよ!じゃあ、おにいちゃんはおとうさんをしてね!」
「うん、わかった」

渡された人形を受け取って、俺はしばらくの間、彼女と一緒に遊んでいた。すると突然に何かを見つけたのだろうか、『あっ!』と声を上げて俺の背中の向こうにあるであろう何か一点を見つめると、手に持っていた人形をそのまま地面に落として駆け出した。つられるように俺が背後を振り返ると、善逸と伊之助が並んで俺たちを見ていたようだった。

「ぜんいつくん!」
「ひなたちゃーーーーん!元気だったかなぁ?」

善逸に抱きつかれているにも関わらず、『くすぐったぁい!』とキャッキャと声を上げる女の子は知り合いなのだろうか。どうやら彼女の名前は“ひなたちゃん”というらしい。俺は落ちている人形を拾ってから、善逸たちのところへと足を動かした。『ひなたちゃん、遊んでもらってたんだねぇ〜!』『うん!たのしかったよ!』と何やら親しげに会話をする二人になんだか微笑ましいなぁ、と思いながら先程から感じていた微かな匂いが再び鼻を掠め、俺はスンと、鼻を鳴らす。そして、ずっと疑問に感じていたことを俺は善逸に問いかけた。

「この子、俺とおんなじ匂いがするんだ」
「そりゃそうだろ、お前と名前ちゃんの、」

さも当たり前であるかのように答えたかと思うと、しまったというような顔をして善逸は途端に黙り込んでしまう。

「おい、紋逸!名前と約束したじゃねぇか、源五郎のやつには絶対に言わないって、」

伊之助は善逸の胸元を掴んで訴える。俺と名前ちゃんがそういう関係であったのは4年前。お互いに明日の命の保証だって出来ないということもあり、子供を授かってもおかしくないようなことだってしたこともある。足元で不思議そうに俺たちを見つめるひなたちゃんの方へ視線を落とす。正確な年齢は分からないが、容姿から見てこの子の年齢は3歳くらいだろう。俺の頭の中で疑問だったことがパズルのようにカチッと嵌った音がした。

「ごめん、でも、もう無理!こんなのって、こんなのって、あんまりじゃないか、っ!!」

そう言ってぐずぐずと鼻を鳴らしながら涙を流す善逸。止まっていたはずの水滴が、俺の頬を消えずに残ったままだった一筋の涙痕に沿って滑り落ちる。

俺は膝を曲げて視線を合わせると、小さな彼女へと問いかける。どこか懐かしいと思ったこの綺麗な黒髪は名前ちゃんと一緒なんだ。どこかで嗅いだことのあるこの匂いは、名前ちゃんの匂いなんだ。

「ひなたちゃん、君は名前ちゃんの子供なの?」
「うん、名前は、おかあさんのなまえだよ」

俺は動かない左腕の代わりに、めいいっぱいに自身の右腕を広げると目の前の小さな命を抱きしめた。

「おにいちゃん、なんでないてるの?」

そう言って、ひなたちゃんはつま先を伸ばして背伸びをしたかと思うと、小さな手のひらで俺の頭を撫でる。

「かなしいの?なかないで?」
「違うんだひなたちゃん、お兄ちゃんはね、すごく嬉しいんだよ、人は嬉しい時にも涙を流すんだ」

大きな赤い瞳をゆらゆらと揺らしながら『そっかぁ、よかったねぇ』とにこにこと笑った。その笑い方もどこか彼女と似ていると思った。

「おかあさんもおにいちゃんみたいになきむしだったから、ひなたがいつもよしよししてあげてたの」
「そうか、えらいね、」

俺よりも彼女の方が一つ年上であったから故かもしれないが、彼女が俺に泣き顔を見せることはあまりなかった。別れたときだって、最後までずっと笑顔だったんだ。きっと俺の方が泣きそうな顔をしていたんだ。もしかしたら、俺の知らないところで隠れてずっと泣いていたのだろうか。

「それにね、おばあちゃんがいってたの、おかあさんはてんごくっていう、そらのうえにあるきれいなところにいったんだって」
「うん、」

人間は死んだ後に、“天国に行く人”と“地獄に行く人”との2種類に分かれると昔から言われているけれど、それならば彼女はきっと前者の方だ。

「おかあさんはおそらのたかいところからひなたのことをずうっとみてくれてるから、ひなたはさみしくないんだって」
「ひなたちゃんはお母さんのことが大好きなんだね」
「うん!ひなた、おかあさんだいすきだよ!」

「そうか、じゃあ、お兄ちゃんと一緒だね」

俺は自分の胸の中に閉じ込めた小さな命を、先程よりも強く抱きしめた。

名前ちゃん、君がこの世界に残してくれた最後のひとかけらを俺は今日、やっと見つけたよ。


(20200724)




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