優しい番犬 前篇

「おい!お前!」

町を歩いていた俺は、不意に背後から肩を強く掴まれて振り返る。

目の前には最近知り合ったばかりの知人が立っていた。

「お前!俺と勝負しろ!」

───事の発端は、2日前に遡る。




それは俺が苗字の屋敷に遊びに来ていた時だった。

お茶を飲みながら今日も良い天気だな、なんて言いながら、いつもの様に二人で縁側に腰掛けていた。お手伝いのトメさんが俺たちのいる縁側の方へ来て、『浩一さんが見えていらっしゃいますよ』と名前へ告げると、『ほんとう?』と目をキラキラ輝かせ、白くて細い彼女の腕が俺の腕を掴んだ。

「炭治郎さんも行きましょう…?」
「えっ、名前のお客さんなんじゃ、」

俺の返事も聞かずに屋敷の中をバタバタと音を立てて進む名前。玄関先にいる人影を見つけると、嬉しそうに彼女はその人影へと駆け寄っていく。俺の左手を掴んでいた彼女の感触はいつの間にか消えていて、その手は目の前にいる男性の背中へと回されている。

「浩ちゃん!」
「名前!元気だったか!?」

俺よりも背の高いその人は、名前を見つめる眼差しがとても優しくて印象的だと思った。最初、ふたりは兄妹なんじゃないか、とも思ったが、名前は兄妹は居ない、と言っていた。そんな事を考えながらふたりを見つめていた俺だったが、不意に視線を感じる。名前の身体を背にして、『浩ちゃん』と呼ばれる人物はジトリとこちらに目を向けている。流石に俺でも分かる。これは睨まれているな、と。

『そうだ、紹介するね、』と名前は俺の方へ向き直し、目の前の人物へと告げた。

「炭治郎さんは鬼殺の剣士様でいらっしゃるの!」
「鬼狩り…?」

俺が鬼殺隊であることを知った故なのかどうかは分からないが、先程から向けられている俺への視線が一層に鋭くなった気がした。


後から聞いた話では、浩一は名前の家の近くに住む小さい頃からの幼馴染で、是松屋という、100年続く造り酒屋の家の子供らしい。冬の間は酒蔵に篭って父親の仕事を手伝っている。こうして酒造りが終わると蔵から町へと戻ってくるそうだ。

その後も、名前は俺も一緒に居てもいいと言ってくれたけど、きっとお互いに久方振りの再会なのだろう。そう感じ取った俺は、『また来るよ』と二人に告げて屋敷を後にする。

いつだって、近くにあった彼女の手が自分ではない男の所に在るのを見た。俺が彼女に1番近い存在であると勝手に思い込んでいたようで、何だか面白くないと思ってしまった。





「お前!俺と勝負しろ!」

そして冒頭の場面に戻る。

「なんだ!浩一じゃないか、背後から急に掴まれたから驚いたぞ!」

後ろから強く肩を掴まれた正体が知り合いだったと知り安堵した俺は、目の前の浩一の肩にポンと軽く手を置いてそう答える。

「気安く呼び捨てで呼ぶんじゃねぇ!」
「まあまあ、それで勝負って何だ?」

目の前で声を荒げた知り合いをまぁ落ち着いて、と軽く制し、勝負の約束をした覚えもないと不思議に思った俺は訊ねる。

「俺がお前に勝ったら、名前にこれ以上近づくな!」
「なんだ、それは」

目の前の人物は突拍子も無い事を告げた。

「だってお前、名前の事が好きなんだろ?!」
「もちろんだ、名前は俺の大事な友人だからな!」
「ちがう!そういう種類の好きじゃなくて異性としての好きだよ!」
「異性、好き、」

俺は浩一の言葉を繰り返す。浩一の言った“好き”は血の繋がっている禰豆子のような家族に対する“好き”や、ましてや俺が言った友人へ対する“好き”でもなく、異性に対してのそれだった。それが家族や友人へ対する想いとは違う事ぐらいは俺でも分かる。ただ今まで一度たりともそういった感情を持ち合わせた事がない俺は鳩が豆鉄砲を食らったような、そんな気分だった。

「こう、その人を見ると胸が熱くなったり、触れてみたいと思ったり、愛おしく思うことだよ」
「愛おしく想うこと、」

そう言われて思い浮かぶのは彼女の優しく笑った表情だった。胸が熱くなるのも、触れてみたいと思うのも、愛おしく思うのも、全部彼女だった。

───そうか、俺は名前の事が好きなんだ。


「浩一!教えてくれてありがとう!どうやら俺は名前の事が好きみたいだ、だから浩一の頼みは聞いてやれないよ」

たった今気付いた自身の気持ちに正直になると、それまで憑き物でも付いていたんじゃないかというくらいに足が軽くなった様だった。

「なら尚更許せるわけないだろ!やっぱり俺と勝負しろ!お前の得意な勝負にしてやる!」

どうやら勝負をするのは避けて通れないみたいだ。

「そうか、じゃあ蕎麦早食い勝負にしよう!」
「は?蕎麦の早食い…?」





蕎麦の早食い勝負は俺が浩一に大差を着けて勝利した。義勇さんにだって勝ったんだ、俺だって元から負けるつもりだって無かった。

「お前、もう一回勝負しろ…!」
「浩一、君が俺の得意分野で良いと言ったんだ、素直に負けを認めようよ。それに、俺の名前は竈門炭治郎だ!」
「うるせぇ!だから名前で呼ぶな!」

『それに、』先程の威勢の良さとは一変した声が隣りから聞こえる。

「鬼狩りは嫌いだ」

地面の方に顔を向けながら浩一は消え入りそうな声でそう言った。

「鬼になった俺の家族の…母さんの…頚を、目の前で切り落としたんだ。鬼になってしまったら、もう助からない事くらい分かってる。分かってた…けど…!俺にとっては大切な家族だったんだ…」

そう言って浩一は、膝の上に乗せた自身の拳を更に強く握りしめた。

「浩一、それ以上強く握れば血が出てしまう…」

慌てて浩一に駆け寄ろうと伸ばした手は払われ、煩いと一言で制されてしまった。

「名前は昔から身体が弱くて、ずっと俺が隣で名前を守ってきたんだ。小さい頃から、ずっとずっと。それに鬼狩りのお前が近くにいたら鬼に襲われるかもしれない…名前は鬼になんて絶対に近づけない…」

決意をした強い眼差しが俺に突き刺さる。

「だから俺はお前の事を認めない」

義勇さんは鬼になってしまった禰豆子の頚を斬らずに俺たち兄妹の可能性に賭けてくれたけれど、もし禰豆子が浩一の家族のように殺されていたとしたら?俺はゾッとしてしまった。もし自分が浩一の立場だったなら、そう考えると、暫く経っても俺は浩一に何一つ言葉を掛ける事が出来なかった。


(20200522)

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