机上の終末論

「御免下さい、炭治郎です」

いつものように藤の花の家紋が掲げられている苗字の屋敷の扉を叩き、自身の名前を告げる。暫くして屋敷の中から出てきたのは、いつも扉を開けてくれるお手伝いのトメさんではなく名前の父親で、扉を開けて何とも申し訳なさそうに口を開いた。

「炭治郎くん、すまないが、先程までお医者様が来てくださっていて、名前は今しがた眠ってしまったところなんだ」

『名前、体調が悪いのですか?』俺がそう訊ねると、『稀にこうして大きく体調を崩すことがあってね』ご主人は困ったように笑った。眉を少し下げて困ったように優しく笑う。この笑い方を俺は知っている。名前と同じ笑い方だ。二人は親子なんだなと勝手に再確認をしていた俺に、名前の父親は問い掛けた。

「炭治郎くんは名前の母親の事は知っているかい?」
「…病気で亡くなったと本人から聞きました」

初めてこの屋敷で彼女に出逢った時に教えてもらった。彼女が大きくなって物心ついた時には母親はもう居らず、本人はあまり母親の事は覚えていないと言っていた。

「名前の母親、私の妻はもともと心臓が悪くてね、名前を生んで暫くした頃に病気で息をを引き取ってしまったんだよ」そう言って、ご主人は言葉を続ける。

「どうやら生まれ持った病も遺伝してしまったようで、名前も生まれた時から心臓が悪くてね、生まれた時に“この子は十になるまで生きれないかもしれない”と医者から言われてたんだよ」
「そんな、」

十の年まで、名前は俺と同じぐらいの年だから宣告された齢よりも、もう五年近くも息をし続けていているという事になる。もし名前が告げられた余命通りまでしか生きれなかったのだとすれば、こうして俺が彼女に会うことはなかったのかもしれない。そう考えると、神様なんて実際に見た事は無いけれど、無性にお礼を伝えたいと思った。

「名前も小さな頃から自分は長くは生きれないかもしれないという事を知っていたから自分から進んであまり人と関わる事がなかったんだが、炭治郎くんと関わるようになってから病気とも前向きに向き合っているんだよ」

『もし良かったら、目を覚ますまで側についてやってくれないか』、そう言って屋敷に招き入れてくれた後、名前が休んでいる部屋まで案内してくれた。



「名前、入るよ」

俺は一言断りを入れると、返事を聞かずに襖を開けて中に入る。音を立てて彼女を起こしてしまわないように静かに彼女の布団に近づいて、布団の上で眠っている彼女の枕元に腰を下ろす。スースーと規則正しい小さな寝息が聞こえる。こんなに小さな身体で懸命に生命の炎を灯し続けている目の前の彼女を見て、堪らなく愛おしくなった。顔を覗くと寝苦しかったのか額には薄ら汗をかいており、額に張り付いている彼女の前髪を手で掻き分けてやる。寝顔を見る限り、今は少し落ち着いたのだろう。すると『んぅ…』と小さく声がして身動ぎするとゆっくりと瞼が開いて彼女の双眸は俺を見つけた。

「すまない、起こしてしまって」

額の髪の毛を掻き分けていた手を慌てて自身の身体へ引っ込める。

「た、んじ、ろう、さん…」

『折角来てくれたのに、ごめんなさい』申し訳なさそうに布団に横になったまま顔だけ此方側に向けてそう言った。

「くすり、飲まなきゃ」

枕元にあるお盆の方を見つめ薬に腕を伸ばそうとする彼女よりも先に薬の入った包みを取り上げる。『動いちゃ駄目だ』そう言って、彼女の背中を支えながら上半身をゆっくりと起き上がらせた。『自分でやれるよ』とクスクス笑う彼女を制して薬の入った包みを渡して、自身の腰に下げていた水の入った瓢箪を彼女の口もとへ運ぶ。薬を飲んだ彼女は必然的に水を飲まないといけないので、俺が瓢箪を口もとまで差し出したものだから大人しく従って口に含めた。

「よく飲めたな、えらいぞ」

そう言って彼女の頭を撫でてやる。そういえば、風邪を引いた弟たちに薬を飲ませてやるのも長男である俺の仕事だったなと、なんだか懐かしく感じて目を細めた。

『もう、子供扱いしないでよ…』掛布団を上から深く被った名前は、ひょっこりと目だけを出して訴える。少しだけ顔が赤色に染まっているのが布団の端から見えた。

「今日はちょっと駄目だったけど、調子が良い時は外にだって出れるような気だってするんだから…」

『はいはい』と俺は軽く返事を返して、自身の右手を再び彼女の頭の上に乗せると『ほら、また子供扱いして』と不服そうな声がした。

「じゃあ、元気になって、お医者様が許してくれたら炭治郎さん、外に連れて行ってくれる?」
「ああ、勿論だ」
「本当に…?!約束よ?」

そう言って俺の目の前に出された小さな小指に自身の小指を絡めた。

「しっかり休んで、ちゃんと元気になるんだぞ」



それからは、またいつもの様に他愛の無い話を俺は彼女にする。普段はお喋りな彼女なので、普段より口数は少なかったが、そんな沈黙さえも心地良かった。暫くすると睡魔に勝てなくなってしまったのか小さく欠伸をした彼女に、俺が眠いのか訊ねると、『まだ眠くない』と首を左右に振って頑なに否定する。だけど、言葉とは裏腹に彼女の瞼は直ぐにでも閉じてしまいそうだ。

「名前が眠るまで側にいてあげるよ」

そう言って昔母さんが俺を寝かしつけてくれた時の様に、布団の上に手を乗せて優しくトントンと規則的にリズムを刻むと、遂に観念したのか、『ぜったいだよ…?』そう言って布団に身体を預けて、再び瞼を閉じた。

再び規則正しい寝息が聞こえてきた事を確認して安心したように息を吐く。喉が渇いたと思った俺は先程彼女に渡した水を入れた瓢箪を口にしようと思った時に手が止まる。

「これは接吻になるのでは…」

その隣でスヤスヤと眠る彼女を見ると罪悪感に駆られてしまって、結局その水は飲めなかった。

(20200510)

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