まほうの薬

彼女の咳込む苦しそうな音が、広い屋敷の中に響く。

「ごめんなさい、炭治郎さん、せきが止まらなくて」
「大丈夫か?無理して話さなくてもいいんだよ」

布団の中から彼女の手を掬って自身の両手を上から被せ握ってやる。ここ最近は調子も良く布団の中で過ごす時間も少なくなっていたと思っていたが、季節の変わり目という事もあり、体調を崩してしまったようだった。

どんなに鬼の頚が切れたって、目の前の大切な女の子たったひとり助けることが出来なければ意味が無い。彼女の消えてしまいそうで儚げな姿を見る度に、“俺は無力だ”、といつも思い知らされる。咳が止まらなくて辛いよなぁ、喋るのだって苦しいよなぁ、俺が代わってあげれたらどんなにいいだろう。

せめて少しでも楽になれたらと、頭の中で何か良い方法がないのかと思考を巡らせる。

「そうだ!」

俺は思い付いたように勢いよく立ち上がる。

「名前!すぐ戻るからちょっとだけ待っててくれ!」
「た、炭治郎さん…?」

そう名前に告げると、俺は屋敷を飛び出した。直ぐに戻ってくるから。御免な、もう少しだけ待っていてくれ。





苗字の屋敷を飛び出して、歩いて直ぐの場所にある、町屋が並ぶ長屋通りへと足を踏み入れた。確か、八百屋と、あとは二つ角を曲がったところにある薬屋か。目当てのものを手に入れると、俺は真っ直ぐに屋敷へと戻った。

「少し台所を借りてもいいでしょうか?」

そう尋ねるとトメさんは不思議そうに首を傾けながらも、二つ返事で承諾してくれた。昔はよく家の手伝いで台所に立つことがあったな、となんだか懐かしく感じた。お盆に湯呑みを乗せて名前の部屋へと戻り、彼女に出来上がったばかりでまだ温かさの残るそれを手渡す。

「炭治郎さん、これは…?」
「擦った生姜と蜂蜜を入れた白湯だよ。身体の悪かった俺の父さんの咳が止まらない時、いつも母さんが作っていたんだ」

俺が話したのを聞くと、名前は目の前の湯気が立つ湯呑みをジッと見つめ、静かにそれを口に運んだ。

「美味しい」

心做しか顔色が良くなったように見える。苦しそうな咳も少し和らいだようで、俺はホッと胸を撫で下ろした。

「また、炭治郎さんに助けらてしまいましたね」
「俺はただ母さんの真似をしただけだよ」

すると彼女は『そんなことない』と言って、ふるふると首を横に振ってみせた。

「この前だって浩ちゃんを助けてくれてありがとう」

彼女の屈託の無い透き通るような綺麗な瞳が俺を見つめる。違うんだ。本当はお礼を言うのは俺の方なんだ。妹を人間に戻す為、何の罪も無い人たちの命を守る為とはいえ、俺は余りにも鬼の返り血を浴び過ぎている。そして、穢れを知らない君を見るたびに俺は救われているんだ。だけど、そんなことを言ったら君は困ったような顔をして笑うんだろうな。

「早く良くなるといいね」

俺は誰かを救ってやれるような、そんな大層な人間ではないけれど、君がそうだと言ってくれるのであれば。自分でも心底ずるいとは思いながらも、今だけは彼女の救世主でいさせてほしい。


(20200701)

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