堂々と青空の下を手を繋いで歩くような、そんな二人になれればよかったのに。

「さむ」
「女性は冷えやすいですからね、なにか温かいものでも買っていきますか」
「なにそれ、優しくしないでよ〜」
「失礼な、私はいつでも優しいでしょう」

まぁそうだね。優しいよね貴方は。優しくしないでよ、なんてふざけて言ってみたけれどそれは割と本心だった。貴方に気持ちはなくても、優しくされたら嬉しくなるし、もしかしたらと期待してしまう。何度も何度も期待して、その度に落胆しているのに。

七海健斗は職場の同僚だった。彼はある日急に仕事を辞め、そしてある日急に飲みに行かないかと連絡を寄越した。元々同僚時代から仕事に対する考えなども似ていて、暗いオフィスで適当なご飯を食べながら話す機会は多かった。ただ、それも職場が一緒なだけの希薄な関係。辞めたあと、そんな場を設けられるとは思わなかった。近くの小綺麗な居酒屋で、料理が美味しくて酒が進んだ。2人ともそこまで酔っては居なかったけれど、夜の雰囲気に流された。好きかと聞かれれば好きだったし、それが恋かと言われれば違う気もする。大人になると、感情に名前をつけるのが下手になる。終わったあと、彼は私を抱きしめた。

「私、今死ぬ可能性のある仕事をしています」
「え?何言ってんの」
「冗談ではないんですよ、本当です」
「なに?ヤクザにでもなったの?」
「ヤクザより質が悪いのを相手にしていますね」

抱きしめた手で私の髪を梳いて時々頭を撫でた。飲んでいる間も今の職場の話はしないなぁと、何回か聞いてみたけれどはぐらかされるので聞くのはやめた。そうして突拍子もない事を話し始めた七海は、でもどこか満足そうな顔をしている。

「あなたのおかげで生きていることを実感出来ました。また会ってくれませんか」

私を見る彼の目をじっと見返した。彼の瞳に私が映る。マンガやドラマでよくある表現だけど、本当に、相手の瞳に自分が映ることなんてあるんだなぁなんて的はずれなことを考えていた。髪を梳いている彼の手が背中を這う。肩がびくりと震えてもう一度彼を見つめると唇が重なった。「いいよ」なんて私言ってないのに。無遠慮に口内を蹂躙する舌が気持ちよくて、いいよってことにしてしまった。

それから週に1度のペースで逢瀬を重ねている。

「っ、ちょっと待って、おでんは、」

温かいものでも買っていこうという提案のもと、コンビニでおでんとその他つまみを買い込んでいつものホテルに入った。おでんをあけようとしていると、手を洗った七海が後ろから抱きついて、首筋にキスをする。そのまま耳を甘く噛むのでこちらもスイッチが入ってしまう。

「せっかく買いましたけど、2人で温まってしまった方が早いでしょう。合理的です」
「ん、」

抱えられる形でベッドに下ろされる。合理的な人がする顔じゃないでしょう。思ったけれど口に出せなかった言葉は深くなる口付けによって頭の隅にも残らない。あれから週に1度くらいのペースで体を重ねているけれど、この人は本当に優しく私を抱きしめる。慈しむように背中にキスをして、真っ直ぐに私を見つめてキスをする。この人の瞳に映る自分をみているうちに、自分がいつの間にかこの人を好きになっているのだと知った。優しいけれど、決して愛の言葉は口にしない。優しくしてくれるのは、私に気持ちよく足を開かせるためなのね。

「いっ、た…なにするの」
「貴方、いま失礼なこと考えてたでしょう」
「考えてない、本当のことでしょ」
「なにがですか」
「七海が私に優しくする理由」
「なんだと思ってるんです」
「…こういうことするためでしょ」
「まぁそれもありますが、それだけじゃないですね。私別に優しくしなくても抱いて欲しいと言ってくる女には困っていませんので」
「あっ、や、ぁ」

憎たらしいことを言ったと思ったら、急に彼が中に入ってきた。気持ちいいのは好きだけど、気持ちよくなりすぎるんじゃないかと思うと怖くて、どうしても腰が引ける。彼はそれを防ぐために、私をぎゅっと抱きしめて、より奥にそれを沈める。

「っあ、待ってまだ動かないで」
「無理ですね」
「ん、だめ、あ、やぁ、」

私の制止も聞かずに彼が奥に入る。気持ちのいい所に当たると思わず声が出て、彼にしがみつく手に力が入る。少し嬉しそうに微笑んで彼が倒れ込むように首筋にキスをする。

「…あったかいですね」
「っ、あついよ…」

ゴム越しに彼の熱を感じた。終わると同時に感じる虚しさを彼は気づいているんだろう。ゴムを手早く外して、私を抱きしめる。
「好き」、そう言えたらいいのに。言ったらこの関係が終わってしまうんだろう。貴重な20代こんなことだけしていていいわけがない。友人は同棲を始めたり、子どもができたり結婚したり、こんな不毛なことはしていない。それなのにどうしても、もう会わないと言えないでいる。悩みを振り払うように彼の胸板に頭をぐりぐりと押し付ける。

「…優しくしないでよぉ…」
「…優しくなんかしてないでしょう。あなたの気持ちを分かっていて、自分の気持ちも無視して、こんな関係を続けているんですから」
「え?」
「それでも私はあなたにこの気持ちを伝えるわけにはいかないんです。あなたの事を幸せには出来ないでしょうから」
「なにそれ…じゃあ何でこんなことしたの」
「……すいません。これ、今日のホテル代です。先にシャワーもらいます」

頬を強くはたいてやれば良かった。シャワー室から聞こえ始めた水音が私を冷やしていく。たたいたところでどうにもならない。彼は私を幸せにはしてくれない、私もきっと彼を幸せには出来ないんだろう。それでも私は他の誰かではなく七海健斗を求めていた。どうして幸せになれないんだろう。

シャワーの音が止まる。私は浴室のドアをあけて、タオルで水滴を拭いきる前の背中に勢いよく抱きつく。驚いたにもかかわらず、小さく声を上げただけで、傾いたりもしなかった。

「七海」
「どうし、」

振り向いた彼の唇に噛み付くようにキスをした。そのまま体重をかけて彼の右手が私の背中に周り左手で体重を支えながら座り込む。

「どうしたんですか、急に」
「七海、」
「はい」
「また、来週ね」

言わなかった。あんなにも気持ちが溢れそうだったのにどこか冷静な私がそれをさせなかった。好きだよ、幸せになんてなれなくてもいいからずっと一緒にいよう、そんなふわふわとした言葉を使う関係ではないとわかっていた。彼はきっと全て分かっていたんだろう。悲しげに微笑んで、申し訳なさそうにキスをした。深くなるくちづけに目を瞑り、もう一度彼を受け入れた。

疲れて眠ってしまったのだろう。目を覚ますと、昨日彼が準備したお金とホテルのメモ、キレイにたたんだ私の洋服。メモには几帳面な字で、「また、来週。連絡します」と書いてあった。もう何度、このメモをみただろう。どうして今日はこんなにも涙が出るんだろう、あなたの気持ちに触れたからだろうか。

次の週になっても彼から連絡はなかった。毎週、彼に会ったあとに感じた虚しさを感じない代わりに、彼に会えると思うと感じた高揚感もなかった。「今週はどうする?」と送ったメッセージにも、何時になっても返信はなかった。

ある日突然、ひどく顔色の悪い低姿勢なスーツの男性が職場に尋ねてきた。私の名前を確認したあと、「これを」とオシャレな紙袋を渡してきた。

「大変申し上げ憎いのですが、七海健斗さんがお亡くなりになりました。彼の携帯を確認し、メッセージが入っておりましたので、失礼とは思いながら調べさせていただき、こちらに伺った次第です。七海さんにとってもあなたは大事な人のようでしたので。こちらは七海さんの自室を整理していた際に見つけたものです。あなた宛でしたので、勝手とは思いましたがお持ちしました」

見知らぬ男が突然訪ねてきて、彼の死を告げる。深くお辞儀をしてすぐに去っていった。意味が分からず呆然とした私が立ち上がろうとすると、机に置いたままだった紙袋に触れた。開けると柔らかい色合いのマフラーが出てきた。紙袋の底に、無地の白いメモが4つ折りで入っている。懐かしい彼の字だった。

「温かくしてください」

几帳面な無機質な文字が次第に見えなくなる。彼は本当にもういないんだろう、とどこかで理解した。もう届かないと分かっていたけれど、彼とのメッセージの画面を開いた。震える手でお礼の言葉を打つ。彼から届いたメッセージは、素っ気ないシンプルなものばかり。これがこんなにも愛しくなるくらいなら、あの時、伝えればよかった。どうせ幸せになんてなれないのなら、どうせ叶わない夢なのなら、「あなたを幸せにする」と、「あなたがいれば私は幸せだ」と、嘯いて、そして一緒に朝を迎えればよかった。

青空、私は1人で、歩く。柔らかい色合いのマフラーが冷たい風に小さく揺れた。
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