唯ひたすら、透ける空へ、煙と紛う雲へ、手を伸ばせば




 温かい初夏の空のような友がいた。
 およそ普通の友人関係ではない。己は確かに生きた人間で。彼はどうしてか死者であった。
 幽霊、とでも。だけどいっそ己よりもよほど生者らしかった。
「こんにちは」
 初めて会ったのはいつだったか。多分、一度、たった一度きり、家出した次の日だったと思う。
 公園で、小さなパンを、妹と女の子と三人で分けて。朝が来て、女の子が帰って。帰る気もなく二人でただ座りこんでいた、そのときだった。
「こんにちは」
 そう返したのは、彼ではなくて、多分、後から生まれた名も無い俺。
 朝日に透けた幽霊に、俺は何故か、酷く安らぎを覚えたのだった。


「じゃあ、あなたの名前は」
 一日ずつ。今日は俺、明日は彼。
 幽霊は暖かい葉擦れのように、いつも俺にだけ話しかけてきた。
「じゃあ、あなたの名前は」
 ……名前を得た俺は。
 名前を得た俺を見た彼は。
 きっと。同一でも。兄、だったのだろう。
 妹も。弟≠焉B失いたくなかったんだろう。
 そうするくらいなら、消えてしまおうとでも思ったんだろう。
「そういうとき、大事な言葉があるんです」
「そういうとき、使ってもいい権利があるんです」
「わかりますか?」


 はい、わかります。
 でも、わかりません。
 彼を彼女を助くそのためだけに生まれた俺に(そしてできなかった俺に)、そんな権利が本当に?
「わかりませんか?」
「それが方法なんですよ」
「あなたがずっと目を逸らし続けてきた、方法アムリタなんですよ」


 はい、わかりました。
 今、やっとわかりました。
 あなたは、ずっと、このために。
「……ええ。少なくとも、記憶が始まってから」
「でもこれは紛れもなく僕の意志」
「ねえ、千秋さん。彼を、彼女を、あなたを、救ってあげてください」


 はい、わかりました。
 今、やっと繋がりました。
 隣で妹が緊張しています。
 相手は優しそうな女の人です。
 俺は、あなたのそのあたたかい緑青の瞳を、信じてみようと思います。
「    」




バベルとアムリタが無事完結しました。ちなみに最後の二つに<了>が無いのはわざとです。これから始まる千秋の物語ですから。
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