ある一人の話をしよう。 ――ただ存在していた。 理由などない。必要もない。万物に意味を請求するなど愚の極み、そも何物にも意味などありはしない。 ただ在る。その何が悪い。 とはいえ。己が在ることは、罪悪であったらしい。 「お前がいなければ、この世界は、」 はて、誰が言ったのやら。 はて、いつ言われたのやら。 はて。それに対し、何を抱いたのやら。 ……そう。それも至極もっともだと。己が在るが故の螺旋であると、その認識は僅かながら確かにあったのだから。 ――今まで一体幾度の終焉を見届けたかなど、疾うに記憶にない。そもそも数えることすらしていなかったように思う。 いずれにしても、星の死に方は一様であった。恐らくはそれこそこの星の――所謂神≠フ望まぬものであって、であるからこそこの螺旋なのだろう。それを齎したははて私なのか、別の何かなのか、それとも星自身なのか。少なくとも私こそが因であると、皆々は、そして私自身すら、目しているらしい。 知ったことではない。 終わりの到来は必定。そして新たに始まることもまた。それは夢に限ったことでなく、現にしても同じ事だった。ただ望む経過と終わりでなかっただけの話。神の大いなる我侭だ。 ……でも、だけど、やはり。少しは、羨ましかったのかもしれない。ただ在るだけの己と違い、彼らには意味が、何物にもあるはずのなかった意味が、付与されていたのだから。 だから――――この手は、あの小さな惨めな背中を白に向かい押し出したのだろう。 * ある二人の話をしよう。 ――ただ生きたかった。 誰だって抱く望みだ。いいや、それは或いは間違いか。誰もが死を意識して生きていくわけではない。でも死に瀕すれば、きっと、皆。 だから。真っ白な真っ白に過ぎる鳥篭を抜け出し。 「おにいちゃん」 幼い妹の声に耳をとざし。 「真冬」 やつれた母の縋る手に目を背け。 「……物好きだなあ。生きたいから死にに来たの?」 最初で最後の友人の呆れた声に、ただ苦笑を零した。 後悔がないわけじゃない。だからってどうすることもできないし、できたとしてもする気は無い。人生は選択の連続であり選択する以上は後悔など付き物だと、割り切って進むしかない。無限に存在する別次元に飛べるはずもなく、果たして、きっと途切れているに違いないのだから。 そうでなくては。この選択をした意味など。 ……きっと、何事にも意味があるのだと。この病も、見捨てざるを得なかった家族も、何か意味があっての因果であったのだと。 そう思わなければ、 ――そう思わなければ、きっと兄は立っていられなかったのではないだろうか。 そんな、無味乾燥な思索。正直に言って興味もなく。 ただ。ただ、生きたかっただけなのだと、その気持ちは今ならば痛いほど分かる。 ……嗚呼可笑しい。今などと。もはやこの手に今など無い。 だというのに果たしてこの意識は何者のものであろう。きっと、次なる螺旋に持ち越された私≠フ中。 皆、こうして生きていたのだ。 ずっと、私の中から囁き続けていたのだ。 「だからね、カナ。ボクは、この選択を、後悔してないよ」 ――どうせなら。どうせ結果が同じなら、救ってあげたかったのに。 でもこれも彼の望みだというのだから、なんともまあ、 * ある三人の話をしよう。 ――ただ必死だった。 己の意味を見出すことに。その意味を全うすることに。 そうした先に何があるのか。それすらも考えぬまま。 ……そうしていつしか、各々には各々に、何かしらの芽生えが起こる。 ある者は、人らしくあれと。(そうして己の存在意義を棄て去る) ある者は、憧憬のためにと。(そうして不可視の影と成り果てる) ある者は、 「自分のことなんて、自分が一番、分からないものですから」 混迷していく己に、諦観すら覚えていた。 あちら、こちら、そちら。どれもが思考にあり、全てが選択肢にあり。基準といえば、そう、気紛れであろうから無きに等しい。 ――この星に在るということは、紛れも無く、生きることであった。 人の形を与えられたからには、限りなく、人に近くなった。 だけれども。彼はどこまでも人らしくなく。 或いは、だからこそ。彼の歪みは最後だったのかもしれない。 「もし、彼らが君の周りから居なくなったら、君はどうするのかな」 あの時既に、彼には罅が入り始めていた。 少しずつ。一歩ずつ。自分の中の自分が消えていくのを感じていた。 孤独。そう、孤独だ。生まれながらにして無数であった彼は、あの時たった一人で立っていた。 己と。過去と。同胞とも。意味とさえ。 ……この上世界とすらも。 畢竟。星が彼らに与えた意味とは、到底人≠ノ負いきれたものではなく。 とどのつまり、星が彼らを破砕したといっても、過言でないのだろう。 だから? いいや、なんでもない。 一つ、疑問がある。 彼≠ヘ、果たして何者であろうかと。 その問いかけに、彼は答えない。そも答えなど無い。彼すら知らない。 きっと彼自身は人であるに違いない。だけれども奇妙なことに、彼だけは、彼の背負う痛みだけは、不変なのだ。 わずかながらにより良い形を目指して世界がその様相を変えていく中。彼だけは、同じ刻に在って永久に苦痛を抱いて矛盾を孕む。 ……一番目の彼は、死を抱く存在だった。 粉々に砕け散った心を接ぎ合わせ、別物になってしまった失敗作。同じ音を負いながら尚自己と認識できない他をひきずった一人のヒト。 二番目の彼は、喪失に立ち上がった。 痛みと後悔の過去を背負って尚前に進むために、過去を切り離して歩き出す矛盾。同じ音をよすがに動乱に飛び込んでいった一人の兵。 三番目の彼は、支えあう存在だった。 傷のついた心がこれ以上壊れぬよう、一人の中で二つに分け合う無意味。違う音に同じ音を入れて同一の別個と認識した一人の子供。 四番目、五番目、六番目。観測者が出会ったのは果たして何度目からであったのかは定かではない。だけれどその邂逅から一度とて見なかったことはなかった。 そう。形は違えど。いつだって彼は在って、喪失に分離していた。 ――思えば。彼≠フ原点は喪失だったのだ。 いつの彼であっても、 そうして。彼は観測者に笑うのだ。 自分は幸であったと。こうして支えあう友がいて。自らの死を背負う友がいて。背負ったそれを何の気負いもなく捨ててくれる友がいて。 そんな自分勝手な幻想に、彼は笑って、 だから――観測者は、涙することなく、 彼を己を助く 「昔のコトは、覚えてませんけど。でも、今の方が、幸せ、な気がするんです」 会う度に。お互いに、お互いを忘れてしまっていたのだけれど。 ――雪は容赦なく降りそそぎ。理想に遠き夢を捨て、星は新たな夢想を始める。 簡単な話だ。 不変を厭うて繰り返すのならば、 その絶対こそが因なのである。 可変であり不要な他すら不変としたための不可視、馬鹿馬鹿しい。 畢竟。この世全ての悪を背負ったかのように笑う彼も彼女も、 ただ単なる被害者に過ぎなかったのであった。 ……ここにもう一つ、疑問が生まれる。 唯一人の悲劇を覆さんとした星とは、果たして、 ――――長い、長い夢を見ていたようだ。 そう言えば、彼は小さく口端を上げた。 「とてもよく眠っていらっしゃいましたからね。そろそろ真面目に授業に出ないと、進級できませんよ?」 「……俺、素地はいいんだよね」 「素行は悪いのに」 「テンプレじゃないだけマシじゃない?」 噎せ返るような油の臭気、十二色の環では到底表現しきれない色彩の海溝。散乱したパレット、思い思いに転がる絵の具、無造作に捨て置かれたカンバス。 何故だか滅多に使用されない美術室は、格好のさぼり場所だ。時計を見れば、まだ六限の時間。隣でニコニコ笑っている眼鏡のこいつとてもさぼりではないか。とは敢えて言うまい。その選択にさしたる理由はなく、ただ欠伸が発声を妨げただけである。 「それで、どんな夢をご覧になっていたんですか?」 「……訊くの、それ」 「いけませんか?」 いけなくはない。単純に、興味の有無を問うたに過ぎない。 しかしそこはそれ、人より多分にずれている彼のこと。そこを論じ始めれば途中で面倒になる。 「…………覚えてない」 夢なんてそんなもの。見ていたのかさえも曖昧だ。 「そうですか」 そうして特に残念がることもなく淡々と。 「幸せな夢だったらいいですね」 きっと心よりの言葉を。 ……ああこいつのこういうところが苦手なんだ。昔から。 「――……帰るか」 「え? でもまだ授業は終わって」 「途中で入るのかよ。戻るなら一人でドーゾ。俺は帰る」 「え、ま、待って下さい! 僕も帰ります……って、カバンはどうするんですか」 「持ってきたに決まってる。お前は……置いてきた、と。じゃーね」 「えっ。あ、あと十分ですよ。十分だけ待って下さいよ! 千秋さん!」 季節は春。とはいえ桜は疾うに散り、力強い葉が見向きもされないままただ繁る。 「女はつた。ニレの木のがっしりした枝に纏わりつくの。ああ、好きで好きでたまらない! どんなにあなたのことを思っているか!」 道端で恥ずかしげもなく振舞う演劇部を横目に。 「……ね、来世って、信じる?」 青々とした他愛ない会話を尻目に。 「…………兄さん! こっちこっち!」 清涼な風に、母譲りの長く綺麗な髪が舞った。 |