するすると起き上がるように平面から抜け出た木々や草花は
先に抜け出た方から段々と形を確かにしていく

木々の枝は厚みをもち部屋の空気に草花は揺れ、
墨色をしている事以外はすべてあの日にみた懐かしい風景にあったものそのものだった


清墨は瞳を振るわせその様子を見ていたが
はっとすると咄嗟に目の前の絵を掴むよう丸めた

紙がしわをよせる音が部屋に響くと同時に
男の姿も形をあらわした絵も何もなかったかのように消えた


一人に戻った部屋の中で清墨は大きくひとつ息をつき絵を握る震える手を緩めた

硯から溢れ流れる墨がちらばる紙に染み込みその動きをとめた


と、障子の方で縁側の軋む音が聞こえ清墨は勢いよく振り向き立ち上がる

鋭く睨み付ける清墨の視線の先に立っていたのは卯衣だった

清墨は大きく息をはくと肩をおろし瞳をとじた

「どうした卯衣?」

清墨の言葉に卯衣はしわをよせ墨の匂いが充満し白紙が散らばる部屋を見回し眉間をよせると

「何かあった?」
と不思議そうな顔をした

清墨は「あぁ」と思い出したように部屋をぐるりと見ながら「いいや」とだけ答えた

「ふーん…。イサキが来てるけどどうする?」




「悪かったな急に押し掛けて。たまには外にでもでた方がいいかと思ってさ」

町の通りを清墨と歩くイサキがそう並ぶ店先に目を向けながら言うと髪を揺らし足を止め茶屋を指差した

清墨に気をつかってかそれとも偶然か
この茶屋に梓と訪れた事はなかった

通りにだされた長椅子に腰をおろすと暫く人々が行き交う通りを見詰めた


「悪かったな」

暫く何か考えるように黙っていたイサキが沈黙を裂くよう口を開いた

その言葉に何故お前があやまるのかというよう清墨はイサキの方へ顔を向ける

「町の連中。気の悪い奴等じゃないんだ。ただ、迷信を信じてる奴も多い。夜に訪れてくるのは鬼だから戸をあけると喰われちまうって」

イサキの言葉に清墨はあの日、夜に戸をあけるのは不吉だからと戸を閉めた町人を思い出し俯いた

町人をせめるつもりはない
恐らく誰かが戸をあけた所で結果はかわらなかっただろう

「今じゃそんな昔話しする奴はほとんどいないが爺さん婆さんには信じてる奴もいる」

馬鹿げた話しだろ?と付け加えるとイサキは組んだ足の上に頬杖をついた


「鬼をみた」

くだらない!とでも言い不満をぶちまけてでもくれるかと思っていたイサキは
清墨からのまさかの言葉に「は?」と頬杖をつく顔をあげ眉をあげた


「わからない。実際にいたのかそれとも疲れていてそんな幻覚をみたのか」

「夜に戸でも叩かれてご親切に開けでもしたのかよ?」

イサキの言葉に清墨は首をふった

「見たのは昼間だ。それと一度夜に。お前が来ていたときだ、見えなかったか?」

「いーや。」と眉をよせるイサキを見ると清墨は「そうか」と再び俯いた



鬼が口にした言葉は確かに自分の中にあった気持ちそのものだった

そう考えるとやはりあれは幻覚だったのだろう

仮に実際にいたのだとしても、鬼に付きまとわれる理由などひとつも見当たらなかった

もしひとつあげるとしたら
嘆く自分が引き寄せてしまったのかもしれないが
紙という平面から絵に実体をもたせる理由などそれこそ見当もつかない


とんでもない幻覚をみるようになってしまったものだとため息をつくと
清墨はとっくに冷めてしまっている茶を手にしたが、
何日も締め付けられたままの胸と同様詰まった喉を茶が通る気はしなかった

茶屋から腰をあげ調度医者の家の前を通りすぎたとき聞こえた声に清墨は足を止め
はっとし目を見開いたがすぐにその目にやりきれない思いを漂わせつりあげた眉のしたで閉じると足早にその前を通りすぎた

「何だよ?」と足を早める清墨の背を見るイサキは聞き耳をたてるよう足を止める

「夜中に戸を叩くなんてねぇ…気の毒だけど開けられやしないよ」

その声にイサキは目を丸くすると奥歯を噛みありったけの力で戸を叩きつけるよう開け放つと
驚き飛び上がるようこちらを向き急になんだといいたげな顔をしている者達をぐるりと見た

たった今気の悪い奴等じゃないんだと友人に言ってやったばかりなのにとイサキが声をあげようとした時

握り潰してしまうのではないかと思う程の力で引き戸をつかんでいたイサキの手を
何者かが指先でトントンと叩いた

「どいとくれ、入れないよ」

拍子抜けしたイサキは叩かれた手の方を見ると視線を少しさげ更に引き戸から手をどかし
やっと見えた老人の姿に眉をあげる

「何だよニシんとこのばーちゃんか、どっか体悪いんか?ニシは一緒じゃねーのか?」

「あんたに言ったって治りゃしないんだ話したってしょうがないよ」

お医者様じゃないんだからねとイサキの背を数回軽く叩くと老人は中へ入った

皆さん調子はいかがですかと挨拶しながらゆっくり進む老人の背を曲げた眉をあげ拍子抜けした顔で見ていたイサキの前に息をきらし走ってきた男が足を止め
「はぁ」と大きく息を吐き膝に手をあて乱れる息を整えると

「もぉばーちゃん!俺が用事すませるまで待っててって言ったろ!?何回も!」

と猫毛のやわらかい髪を揺らし眉をまげた

そしてその様子をみていたイサキに気づくと中に入ろうとした足を戻した

「イサキ何やってんの、こんな所で」

お前んとこのばーちゃんにからかわれてたんだと目を細め言うイサキに「あぁ」とニシはたれ目の上の眉をさげる




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