四方を深い山々に囲まれた中にぽつりとある町は春を待ちわびる冬色で

今日も賑わう通りでは
下駄や草履の音の行き交う中を縫う様に颯爽と飛脚が走り抜け、過ぎる人々の着物を揺らし、
商人や宿屋がこちらへこちらへと威勢のいい活気溢れる声をあげると白い息があちこちであがる

ちょいとあんた、今日はいい品が入ったんだよと今日も賑わう町の背後、
そんな様子を見下ろす様無言で高く聳える山々の手前に、
町の賑わいを他より近くに聞く一際小さな山がひとつあり、
その中で木々に隠れる様に佇む一軒家がある


入り組む葉の間から落ち揺れる木漏れ日の中静かにたたずむその家は、
所々苔むす瓦屋根のその一枚一枚に木々の影をざわつかせ、
庭先で寒さにたえる梅の木の影をうつす縁側を見下ろす

その縁側に座り、もしかしたら町の賑わいが聞こえるのではないかとそっと耳をすませる女がいた

まだ春の訪れない灰色の寒空の景色の中、冷たい風に枝を揺らす梅の木の向こうに町を思い浮かべ視線を向ける女の着る薄桃色の着物は、小さな花を思わせる

きっと今日も町は賑やかなのだろうと想像し微笑むと、縁側の軋む音がしてその先に視線を向けた

視線の先では心配そうに優しい笑顔を見せる夫の清墨が眉を下げている


はっきりとした二重に切れ長の瞳を細めると清墨はしっかりとした口元に困ったような笑みを浮かべた


「梓、あまり長い事いると冷えてしまうよ」


縁側を軋ませそう梓の横へ腰をおろすと清墨は「今日は何か聞こえたかい?」と町の方へ目を向けた

肩までの墨のような黒髪が風に揺れる


清墨の言葉に梓は笑顔で静かに瞳を閉じると首を横へ振った


「ねぇ清墨覚えてる?この家に越したばかりの頃二人で町へ行ったでしょう?貴方の描いた絵が売れてるか見に行ったけど……」


そこまで言うと梓は堪えていたのを吹き出すようにくすくすと口を押さえ笑いだした


「貴方あんなに自信満々に絶対売れてるからなんて言って私の手を引いたのに、一枚も売れてなくて町の人の前で叩き売りなんか始めるもんだから私可笑しくって」


と目を糸のようにして梓が清墨の方を向くと
清墨は一層困ったように眉をさげ笑った


昔は絵を描きながら各地を旅しそれを売っていたのだが
数年前に梓が病を患い移動する事が難しくなりそのままこの地に住む事を決め、
空き家となっていたこの家を借りる事にした

消して大きな家ではないが不自由なかった

そういえばもう筆を握らなくなって何年が経っただろうと考えながら、清墨は組んだ足に両手を乗せた

冬の匂いのする風がふわりと漂い吹き抜ける

あちこちを旅し、挫折しそうになったときも自暴自棄になったときも
隣で笑う梓の笑顔を思えばこらえられた

清墨にとってなにものにも変えられない大切な存在だ

笑いながら梓が
「さぁさぁ寄ってらっしゃい!こちらにあります絵は───」
と眉をつり上げ清墨の真似をしてみせると
清墨は返す言葉がないといったようにこれでもかと眉をさげ笑った

ひとしきり笑うと梓は涙を着物の袖で拭き、やっと落ち着いたと息をつくと

「また町まで売りに行きたいね」

と微笑んだ


清墨の胸に針が突き抜けたような痛みが走る

梓の病は治るものではなかった
何が原因かわからず薬もない

医者にかかったときに言われた言葉がそれだった

一応渡してもらった薬には進行を遅らせる事は出来ても根治させる力はない

勿論梓は知るはずもない

医者の言葉を聞いた清墨は体を突き抜けた何かに
記憶も感情も考えも何もかも持っていかれ自分が何かも思い出せないのではないかという程に空っぽになった感覚に襲われたが

しっかりしなくてはと何度も言い聞かせては
それでも何か手があるはずだと夜な夜な調べぬいてきた

しかし未だに何も見付からないもどかしさと胸の詰まる思いは日々付きまとい
少しでも気をぬけば負けまいと力を込められた瞳から涙が溢れてくる状態をなんとか抑えていたが、

梓の言葉に清墨は僅かに喉をならしじわりと溢れそうになる涙をぐっと堪える


「それならまた描かないといけないなぁ」

なんとかそう笑顔で答えたとき、
どこから転がってきたのか庭の端から毬が姿をあらわし静かにころころと縁側の前まで進んできた

やがてその様子を見詰める二人のすぐ前でふらふらと左右へ傾きながら毬はその足を止め、
清墨は足元からそれを拾い上げ立ち上がると、庭へ出て辺りを見回したが毬の持ち主だろう人影はどこにも見当たらなかった

首を傾げ、きっと人様の家に入ってしまったため隠れたのだろうと思い
そのうち取りにくるかもしれないと庭の隅にそれを置くと清墨は縁側にあがり
そろそろ部屋の中に戻った方がいいと梓に言い聞かせた


それでも雨が降っては大変か、と
屋根の下へ毬を移動させようと見たがつい先程置いた場所に毬はなく
かわりに縁側の端に小さな男の子が毬を抱え立っていた

少し丈の足りないねずみ色の着物のその男の子は小さな手でしっかりと毬を持ったままじっと清墨を見詰める


いつの間にと一度庭へ向けた目を再び男の子の方へむけると、
そのたった一瞬のうちに男の子の姿は黄み掛かった桃色の着物におかっぱ頭の女の子にかわっていた

女の子は暫くこちらを見詰めるとやがて無表情のまま清墨に背をむけ毬をつきながら外へと消えていった

おかしな事もあるものだと
清墨は暫く考えるよう女の子の去っていった先を見詰め、
やがて大きく息をつくと縁側をあとにした



陽が落ちる頃、
一人町へ遣いに出ていた娘の卯衣がどこで一緒になったのか清墨の友人に連れられ帰ってきた

それをおかえりと出迎える清墨の足元に友人の男は抱えきれない程の米や味噌をどさどさと置くと
一つに束ねられた腰までの黒髪を揺らしながら体を起こし、猫のような丸いつり目で文句言いたげに清墨を見た


「なぁお前知ってるか?ひょっとしたら知らねぇかもしれないけどいくら男のうちでもな、これは重い。娘にてめぇで持って帰れる分だけ買うよう教えとけ」

そう男は自分に続いてどさどさと荷物をおろす卯衣を指差すといたずらに目を細め続けた

「うちがたまたま通りかからなかったら今頃やっと米屋の戸出た所だな。手が二本じゃとても足りゃあしない」

丸みのある額からのびるすらりとした鼻の下で薄い唇が「ハッ」とからかうように口角をあげる

その横で卯衣が腰をのばすよう体を起こし負けじとからかいの目をむける

清墨と似つかない丸い瞳は梓似なのだろう

「イサキがいつもこの時間飯屋に行くっていってあの道通るの知ってるし。たまたまじゃなくて私の予定通りなんだよ」

「あぁそうかよおかげで飯屋は行けずじまいだ」

イサキは腕を組み壁にもたれるとそうぼそりと呟き暫く上げた眉の下の細めた目を卯衣の方へ向けていたが、
「手間賃分くらいは貰ってかないと運び損だ」
と独り言のように呟くと草履を脱ぎ髪を揺らしながらずかずかと家の中へとあがっていった


囲炉裏の火を囲む夕食時、
途切れる事のない会話の中清墨はふと昼間の子供の事が気になり口にした

「は?子供?」と眉をあげるとイサキは
「おまえんとこのじゃなくてかよ?」
と卯衣を親指で差した

卯衣が払うようにイサキの手を叩くと振動で反対の手に持つ椀から味噌汁がこぼれ猫のような目を細くし「大事な手間賃がこぼれただろ」と眉をあげる

清墨は首を横にふると見たことのない子供だったと思い出すよう考えた


「じゃあ鬼だな」

いたずらに笑い言うイサキに「くっだらない」と呆れた顔を卯衣がむけると
「少しは驚けよ」とからかうように言いイサキは続けた

「この町にある昔話さ。"鬼の足音が聞こえたら明かりを消せ"…とかなんとかってやつ」

「それと昼間の話しに何の関係があるっていうのさ」

卯衣が再び呆れた顔をする

「昼間の話しと昔話かけただけだよ余計な事突っ込まねぇでだまって聞いとけ」

「あんまり子供騙しな話しだったからさ」

「そーかいじゃあ素直に騙されとけ」


からかうように細めた目を向ける卯衣にそう言うと
イサキは後ろへ寄りかかるよう手をつき
もう何とでも言えというよう目を細め返した

「なんだかイサキと卯衣は年の離れた兄妹みたいよね」
と梓が目尻をさげ笑うと
イサキが「おい」と体を起こした


その夜、
皆が寝静まった頃灯りを持ち清墨がいつものように病について調べものを進めようとイサキの寝る横の囲炉裏を通り過ぎ書物を取りに行こうとしたとき

隣の部屋の灯りの届かない向こうから畳をするような小さな音がして足を止め、
そっとその方向へ灯りを差し出し目をこらす

静かにこちらへ近づく音と共に暗がりから灯りの届く所へゆっくりと姿をあらわしたのは、昼間にみたあの鞠だった

まっすぐにこちらへころがる鞠はやがて清墨の足に当たると止まった

ハッとする清墨が足元へ向けていた灯りを前へ出し顔をあげると
手に持つ灯りのすぐ前におかっぱの女の子が立っていた

笑うわけでもなく、怒った表情をするわけでもなく
昼間同様ただ無表情のままこちらを見詰めているだけのその存在に、
清墨は困惑し眉をしかめ動きをとめ考えた


一体誰で、一体何の目的があって何故ここにいるのか

動かないまま互いを見詰める二人の間で灯りが揺れる



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