小説 | ナノ
 早足で廊下をかける弦矢を咎める者は誰もいない。
 何故なら、この学園において弦矢とは目をあわせただけで犯されるというバカバカしい噂が浸透していたからだ。
 これは、真っ赤な嘘であるが弦矢自身がその噂を否定することはない。キリがないというのがその大まかな理由であるが、噂の要因となっているだろう脱色しきった髪だとかタレ目がちな瞳にダラダラした服装、そして喋り方をなおすのは、面倒だし、第一気に入っているのでなおす気なんてさらさらない。もちろん、噂を信じてお誘いをしてくるチワワみたいな輩がいるのも事実だが、その時はキッパリと断る。
 しかし、そのせいで弦矢には心おきなく話せる相手がいないのも事実だ。
 噂のせいでろくに友達は出来ず、生徒会のメンバーは友達、というよりは仲間だ。そのため、基本的に一人で行動する弦矢には時間が有り余っていた。そう、その時間を全く興味の無かったお菓子作りにあててしまうほど。
 きっかけは些細なことだった。
 プリンが食べたかったのだ。けれども、外に出るのも面倒で騒がれるのも嫌だった。ならば、プリンを作れば良いじゃない! という、発想に至ったのだ。
 元々、手先が器用だったのでネットで探したレシピを一目見るだけで、すんなりとプリンを作ることができたのだ。楽しいし、達成感はあるし、腹は膨れて、何より時間をつぶすことができる。このようにして、その日から、弦矢の趣味はお菓子作りになったのだ。

 そして、今日も昨夜作ったフォンダンショコラを手にしているわけだが、弦矢が向かう先は保健室だった。

「しっつれーしまぁす」

 ノックもなしに扉を開けるが、誰も文句を言わない。
 代わりに聞こえてくるのは「こんにちは」という落ち着いた声音だった。

「ふふふー、こんにちはぁ」

 ニタニタと満面の笑みを浮かべる弦矢にベッドに座って本を読んでいた少年、須川 洋司(すがわ ようじ)はつられるようにっこりと笑った。
 初めて弦矢が洋司に出会ったときもそうだった。お菓子作りに精を入れ始めた弦矢が図書室にレシピ本を探しにいったときだった。今まで、一度も図書室を利用したことのない弦矢が利用システムを知っているはずもなく、挙動不審でいたところに洋司が優しくほほ笑んで、どうかしましたか? と目を細めて、語りかけてきてくれたのだ。
 自慢ではないが、自分の顔と噂は全校生徒に知れ渡っていると自負していた弦矢は、夜のお誘いだと勘違いして「あの噂、嘘だからごめんねぇ」と返事をした。
 しかし、洋司は目をパチクリと瞬かせて首を傾げる。弦矢もいつもと違う反応が返ってきて、首を傾げた。
 お互いの相違に気付くのは、弦矢が「もしかして、俺のこと知らないのぉ?」とはたから聞けば自意識過剰の質問をして、洋司が申し訳なさそうにその通りであると答えたときだった。
 そのときに弦矢は本当に親切心だけで、接してくれた洋司に罪悪感を覚えると同時に言い様のない喜びに包まれていた。義務や下心無しで、目を見て話しかけられるなど何年ぶりだろうか、と感激のあまり泣き出したのだ。それに驚いて、どこか痛みますか? とまた優しい問い掛けに弦矢の涙は止まることを知らなかった。




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